妄想百物語 第1夜〜第16夜

 


 

 

第16夜 見てはいけない

 

 「それ」が迫ってきていることがわかっていたので、私たちは全員を招集し、その部屋に立てこもった。

これだけの精鋭が一ヶ所に集まり、それぞれの手には思い思いの武器がある。

これなら何とかしのげるかもしれない。
 そのとき、ふいに何かを感じた。

なぜだろうか。わたしが一番最初にそれに気づいてしまったのは。

それはほんの小さな違和感だった。
 何かがおかしい。

何か……何か妙な感じがする。
 何か……そう、まるで……誰かに見られているような。
 ざわり。
 意識した瞬間、それは明瞭な実感となり、心臓を鷲掴みにされたような震えかが身体を走った。
 間違いない。
 見ている。
 上から。

何かが上から、わたし達のことを見下ろしている。

 身体の奥から猛烈な勢いで湧き上がってくる恐怖に、身体をがたがたと震え出した。
 自分の周りには頼りになる仲間が、何よりあいつがいる。
 言わなければ、助けを求めなければ。
 だが、金縛りにあったかのように、唇も身体も動かない。
 そして自分の中の恐怖が、「見てはダメだ、見てはダメだ」と必死で訴えているのに、それに逆らって首が少しずつ上を向いていく。
 嫌だ、見たくない。
 見てはダメだ。
 でも、見てみたい。
 いや違う、見たくない。
 恐怖が全身をおおって、意識が朦朧としていく。
 ああ、もう見える。
 見えてしまう。
 見えて……
 「!ダメだ!見るな!」
 声とともに視界が反転し、目の前に床があった。

一瞬遅れて、それが彼の声で、彼が私に覆い被さって私をの目の前をふさいだのだと気づいた。
 だが、彼は見てしまったのだ。わたしの替わりに「それ」を。
 「ああ……あああ……ああああああああああああああああああああっ!」
 いつも私を勇気づけてくれた優しい顔が、見たこともない形に歪んでいく。私を守るためなら怖いものなんてないと言って笑った、その顔。その顔が恐怖に塗りつぶされ、 涙を、涎を垂れ流しながら、叫び声を上げ続ける。
やがて声が途切れると、がくんと膝が崩れ落ち、私をかばうようにしていた両腕もだらりと垂れ下がった。抜け殻のようになりながら、なおも目だけは中空の一点を見つめたまま、身体はがくがくと痙攣を続ける。
 その異常な姿に、周りの人間も彼の視線の先に目を向けた。
 あとは、地獄だった。
 連鎖反応という言葉でも足りないほど、爆発するように一瞬で恐怖は部屋中を満たした。全ての人間が狂ったように叫び、痙攣し、崩れ落ちた。
 私はようやく金縛りから介抱された両手で頭を覆って床にうずくまり、この悪夢が早く終わってくれることを祈った。
 

 

どれほどの時が流れたのだろう。ほんの5分か10分の間のことだったのだろうが、私には永遠にも思われた一瞬が過ぎ、後には動くものは私しかいなくなっていた。ただ部屋中に倒れ、折り重なった人間の体のいくつかが、死後硬直のような――あるいはそのものか――痙攣を続けているだけだった。体がすくんで、倒れている者はほんとうに死んでいるのかを確かめることさえできない。人の山に埋まって、彼がどこに倒れているのかもわからない。この仲間たちの身体と精神を一瞬にして壊した、「それ」の持つ力とは一体なんなのか。
 不意にあの気配が動いた。天井から壁を伝い、床に降り立って、こちらに近づいて来るのがわかった。

助けて。
 助けて。
 助けて。
 でも、誰に?
 助けてくれる人はここには残っていない。
 残っているのは私だけだ。
 理不尽な怒りが湧いた。
 なぜ彼は私を一番一緒に死なせなかったのだ。
 なぜ私をこんな恐怖の中に置き去りにしたのだ。
 なぜ先に壊れ死んだのだ。

嫌だ。

こんなのは嫌だ。
 そのとき私は、不意にさとった。「それ」が私の仲間を殺した力とは――恐怖だ。恐怖が彼らを殺したのだ、一瞬で。
 心臓が限界をはるかに超えた速度でどくどくと鳴り続け、それに合わせてからだが痙攣する。
 やがて気配がすぐそばで止まるのがわかった。
 怖い。
 怖い。
 怖い。
 気が狂う。

気が狂う。

いや、狂いたい。

殺してくれてもいい。

この恐怖から救われるのなら何でもいい。

そうだ、目を潰しまおう。そうすれば見ないで済む。

早く、早くしないと、見えてしまう。

私の意志から離れ、まるで憑かれたかのように、首がゆっくりと「それ」の方向を向いていく。

いやだ、見たくない。

誰か助けてくれ。

誰か……!

 

 

そして私は、それを見た。

 



第15夜 彼女がぼくにしたこと

 

「あなたは様々な言葉でわたしを讃え、完璧な女性だと言ってくれましたね。すっと捜し求め続けてきた理想の女性だと。だから、あなたに捨てられないために、わたしはこの1年間毎日「あなたの理想と違うわたし」を殺し続けてきたんですよ。毎日、毎日一人づつ。だからクローゼットの中には、全部で365体のわたしの死体が転がっています。でもね、その死体たちはずっとおとなしく死んだままではいてくれないんです。放っておくと蘇って、クローゼットから出ようと暴れるんです。外に出て押し殺した言葉を喚こうとしてね。だから、わたしはそのたびに何度も、何度も、殺さないといけないんです。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。それでも今日まではなんとか、うまくやってきたんですよ。でも、ごめんなさい。もう限界みたいですね。ほら、聞こえるでしょう?」

 甘い声で囁かれる告白を聞きながら、ぼくは彼女の夢の中に吸い込まれていく自分を感じていた。やがて、がたがたと物凄い勢いでクローッゼットが揺れ始める。戸を突き破って溢れ出してくるのは、365体の彼女の死体だ。襲い掛かってきた一体が私の右足を押さえ込み、一体が左足を押さえ込んだ。一体が右腕を、一体が左腕を、一体が首を、一体が腰を、一体が胸を、一体が頭を、体中のいたるところが彼女たちの白い腕に絡めとられる。

ぼくは不思議と満ち足りた気持ちになり、まだ死体になっていない、今日の彼女に微笑みかけた。

彼女もぼくに、微笑み返してくれる。

「いいよ、このまま引き千切ってくれ」

「ごめんなさいね、本当に」

 

これでぼくの話は終わりだ。今では彼女はすっかり明るくなって、今日も君の街を歩いているだろう。365体の彼女の死体は姿を消し、代わりにクローッゼットの中には、新しい死体が一体だけ残された。

 それが、ぼくだ。

 


 

第14夜 白き矢となりて目を射す夏日かな

 

「ある日突然、ぼくの目に映る光は全部白い矢になってしまった。だから日向を歩くと、たちまちぼくの眼は無数の矢でずたずたにされてしまう。この前も車を運転していたら、カーブ―ミラーからの照り返しで串刺しにされてしまった。いっそのこと目を潰してしまえばいいかとも思ったんだが、一つ心配があるんだ。目が見えなくなったら、自分の周りの世界は想像するしかないだろう?今度は想像の光に悩まされはしないかってね。だって現実の光は手をかざせば遮られるけど、想像の光は何をしても遮ることなんて出来ないからね」

 


 

第13夜 右腕の呪い

 

そのころ、私の右腕はステンレス製の義手だった。ある日、一人の老婆が私を訪ねて来て言った。

「長い間連れ添ってきた連れ合いが、死にました。このまま燃やすのも忍びないので、右腕を切り落として持ってきました。どうぞ使ってください」

 そう言って血色の悪い腕を差し出してきた。しょうがないので義手をはずして右肩からぶら下げてみたが、当然ながら私の意志ではぴくりとも動かない。指で突付くとぶらぶらと揺れるばかりである。妙に死後硬直のしこりが始まっていて気味の悪い感触だ。

「悪いがこんなものは役に立たないな」

そうつぶやいた瞬間、老婆の目が怒りで燃え上がった。それに呼応するかのように、突然右腕が跳ね上がると、私の左腕にしがみつき、恐ろしい力で締め上げはじめた。私の左腕は見る見るうちに青く腫れ上がり、やがて指の一本一本がずぶずぶと食い込んで血が噴き出し始めた。やがて左腕は潰れた桃のようにひしゃげ、私は両腕を義手に換えることになったのだった。

 


 

第12夜 心中少女たちの夜

 

少女たちは楽しそうに談笑していた。白や紺のセーラー服、ベージュや緑のブレザーなど、着ている制服はさまざまだったが、皆10代の女子高生だった。ホームを埋め尽くすようにたたずむその人数はおよそ50人近く。夕方の下校時刻ならともかく、夜10時の新宿駅のホームで見るには少し違和感のある光景だ。いつのまにか少女たちはみな、手をつないで一列に整列している。あまりにもさりげなかったので、ほとんどの人間は気づくことはなかった。そして少女たちは同時に「せーの!」と元気よく叫ぶと、まるで長縄跳びでもするかのように軽く、手をつないだまま、ふっと線路に飛び込んだ。そして到着した電車が勢いよくそこを走り抜けていった。

(註:後に、映画「自殺サークル」の撮影だったことが判明)

 


 

第1夜〜第11夜公開終了 



 

 

 

 

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