聖書の単語を学びましょう

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キリスト(ハリストス)とクリスチャン(ハリスティアノス)

ギリシャ語で書かれた旧約聖書70人訳では、救世主ということばをハリストス、
すなわち
「油を注がれたもの」と訳しています。
これは、聖なる油を注がれた祭司たち、とくに大祭司に対して使われることばでした。
レビ記4章3節・レビ記4章5節・レビ記4章16節をご覧ください。


「もし油そそがれた祭司が、罪を犯して、民に罪過をもたらすなら、
その人は、自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、
罪のためのいけにえとして主にささげなければならない。」
(レビ記4章3節)


油そそがれた祭司はその雄牛の血を取り、
それを会見の天幕に持ってはいりなさい。」
(レビ記4章5節)


油そそがれた祭司は、その雄牛の血を会見の天幕に持ってはいり、」
(レビ記4章16節)



預言者たちは、ホイ・クリストイ・テオウと呼ばれ、これは
「神によって油をそそがれたもの」を意味します。
詩篇105篇15節を参照にして下さい。


わたしの油そそがれた者たちに触れるな。
わたしの預言者たちに危害を加えるな。」
(詩篇105篇15節)



イスラエルの王は、ときどきクリストス・トウ・クリオンといわれました。
「主によって油そそがれたもの」という意味で、
サムエル記第一2章10節・サムエル記第一2章35節・詩篇2篇2節
詩篇18篇50節・ハバクク書3章13節
などに出てきます。

おもしろいのは、イザヤ書45章1節で、

「主は、油そそがれた者クロスに、こう仰せられた。」

クロスがこの称号をつけられていることです。


キリストに冠詞がつくとホ・クリストス、すなわち「あのキリスト」というような
意味になりますが、70人訳には出てきません。
新約聖書では、この冠詞つきのキリストという単語がしばしば使われていますが、
主イエス・キリストのことを、例えば


「そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、
キリストはどこで生まれるのかと問いただした。」
(マタイの福音書2章4節)

「 それで後のことを予見して、
キリスト
の復活について、
『彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。』と語ったのです。」
(使徒の働き2章31節)


などでは、称号というより名称、呼び名という感じで表現しています。

ルカの福音書2章11節・ルカの福音書23章2節・ヨハネの福音書1章41節では、
冠詞が省かれています。
主イエスご自身が、明白にご自分がこのキリスト、油を注がれたものであると認められた
記録は三ヶ所です。


「するとイエスは、彼に答えて言われた。『バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。
このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、
天にいますわたしの父です。』」
(マタイの福音書16章17節)

「しかし、イエスは黙ったままで、何もお答えにならなかった。大祭司は、
さらにイエスに尋ねて言った。『あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。』
そこでイエスは言われた。『わたしは、それです。人の子が、
力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、
あなたがたは見るはずです。』」
(マルコの福音書14章61−62節)

「イエスは言われた。『あなたと話しているこのわたしがそれです。』」
(ヨハネの福音書4章26節)


この「油を注がれたもの」という呼び名はしばしば、ギリシャ語原典では主の個人的な
名前につけられていますが、新改訳聖書では、イエス・キリスト、あるいは単にキリスト、
さらにキリスト・イエスというふうに訳されています。
原語では冠詞がつく場合も、つかない場合もありますが、日本語訳ではその区別はついて
いないようです。
どちらかというと冠詞がつくときは主語で、主イエスが「油注ぎを受けたお方」であると
強調する感じ、冠詞がないときは述語の中で信者との関係において出てくることが
多いように思われます。
語順でいうと、ガラテヤ人への手紙2章16節で二回
「キリスト・イエス」と出ている訳が
原典に近いのですが、


「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる
信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちも
キリスト・イエス

信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、
キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。
なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。」
(ガラテヤ人への手紙2章16節)


「イエス・キリスト」と逆に使っている使徒の働き9章34節・コリント人への手紙 第一3章11節

「ペテロは彼にこう言った。『アイネヤ。イエス・キリスト
あなたをいやしてくださるのです。
立ち上がりなさい。そして自分で床を整えなさい。』
すると彼はただちに立ち上がった。」
(使徒の働き9章34節)


「というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、
ほかの物を据えることはできないからです。
その土台とはイエス・キリスト
です。」
(コリント人への手紙 第一3章11節)


ただ「キリスト」だけを使うマタイの福音書11章2節・ローマ人への手紙7章4節など
さまざまです。


「さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、
その弟子たちに託して、」
(マタイの福音書11章2節)

「私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリスト
のからだによって、
律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、
すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、
神のために実を結ぶようになるためです。」
(ローマ人への手紙7章4節)



自分は油注ぎを受けたイエスであると主イエスが話された記録として一回だけ
ヨハネの福音書17章3節がありますが、
そこは、


「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、
あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」
(ヨハネの福音書17章3節)


となっています。
ハリスティアノスは、
「キリストつき従うもの」というローマふうの合成語で、
異邦人たちが最初に使ったようです。
使徒の働き11章26節・使徒の働き26章28節・ペテロの手紙第一 4章16節で、


「彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、
彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、
アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。」
(使徒の働き11章26節)

「するとアグリッパはパウロに、『あなたは、わずかなことばで、
私をキリスト者にしようとしている。』」と言った。
(使徒の働き26章28節)

「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。
かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。」
(ペテロ第一の手紙4章16節)


と、出てきますが、
どうも信者たちは最初からこの名を自分たちのものとして
受け入れたのではないようです。


ペテロの手紙第一 4章16節では
ペテロの手紙第一 4章12節から16節をお読み下さい。)人殺し、
盗人と同じような立場で苦しみを受ける、と
いうふうに読めますし、

アグリッパ王が使徒の働き26章28節で言っている、


「あなたは、わずかなことば(あるいは短い時間)で、
私をキリスト者にしようとしている。」


という言い方の中には、
異邦人たちがそう呼んでいる(蔑称)クリスチャンなんぞに
私をしようとするのか、という非難がこめられているようにとれます。


1世紀末のローマの歴史家タキトゥスは、

「賊民たちは彼らをクリスチャンと呼んでいる。
その一派の開祖キリストは、テベリウス帝のとき、
総督ポンテオ・ピラトによって処刑された。」


と書かれています。

信者たちがこの名を名誉ある名と受け入れるようになったのは
2世紀以降のことです。



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