聖書の単語を学びましょう

紹介していますメッセージはすべて月刊誌
『みことば』に掲載されていたものです。


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地獄(ハデスとゲヘナ)

A・F・ミーアズ


新約聖書に,死後の世界を示す二つの単語 があります。  

A.ハデス。

ギリシャ語訳の旧約聖書ができたとき,
へブル語のシェオルはハデスと訳されました。
このふたつの語は,根本的には同じ意味です。
日本語では,シェオルは「よみ」と訳さ れています(ヨブ26・6など)。   

『よみも神の前では裸であり、滅びの淵もおおわれない。』
(ヨブ記 26章6節)


聖書の教え  

ハデス(シェオル)は地球の真中(マタイ 11・23〉,

『カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。
ハデスに落とされるのだ。』

(マタイの福音書 11章23節


または海の下にあると考えられていました(ヨブ26・5)。

『死者の霊は、水とそこに住むものとの下にあって震える。』
(ヨブ記 26章5節)


キリストの昇天前には,すべての死者(義人も不義なる人も)は
ハデスに行きました(詩89・48,49〉。

『いったい、生きていて死を見ない者はだれでしょう。だれがおのれ自身を、
よみの力から救い出せましょう。セラ
主よ。あなたのさきの恵みはどこにあるのでしょうか。
それはあなたが真実をもってダビデに誓われたものです。』
(詩篇89篇48節49節)


そのハデスは三つに分かれていました。


苦しみもだえる所であるハデス。
パラダイス(アブラハムのふところ)であるハデス。
底知れぬ所(大きな淵)であるハデスです。


(1)苦しみもだえる所であるハデス。

神の大いなる白い御座でのさばきを待つ間,
キリストを救い主と信じない者は
ここで苦しんでいます(ルカ10・15,16・22,23,黙 20・13,14)。
 

『カペナウム。どうしておまえが天に上げられることがありえよう。
ハデスにまで落とされるのだ。』
(ルカの福音書 10章15節)

『さて、この貧乏人は死んで、
御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、
アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。』
(ルカの福音書 16章22節23節

『海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。』
(ヨハネの黙示録 20章13節14節)


〈2)パラダイス(アブラハムのふところ)であるハデス。

聖徒たちはキリストが昇天するまで,パラダイスにいました。
十字架の死からよみがえりまで,キリストご自身もパラダイスにおられたのです。
すなわち,みからだが墓にあったとき(ルカ 23・43,使2・27,31)です。

『イエスは、彼に言われた。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、
わたしとともにパラダイスにいます。」』

(ルカの福音書 23章43節)

『あなたは私のたましいをハデスに捨てて置かず、
あなたの聖者が朽ち果てるのをお許しにならないからである。』
(使徒の働き 2章27節)

『それで後のことを予見して、キリストの復活について、
「彼はハデスに捨てて置かれず、その肉体は朽ち果てない。」と語ったのです。』
(使徒の働き 2章31節)


キリストは高い所に上られたとき,多くの捕虜を引き連れ (エペソ4・8),

『そこで、こう言われています。
「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、
人々に賜物を分け与えられた。」』
(エペソ人への手紙 4章8節)

すなわちパラダイスから聖徒たちを連れて,
ご自分とともに天国にいるようになさいました(Uコリソト5・8)。

『私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、
主のみもとにいるほうがよいと思っています。』
(コリント人への手紙第二 5章8節)



(3)底知れぬ所(大きな淵)であるハデス。
上記の(1)と(2)の間にあって,互いに往来できません。
(ルカ16・26)

『そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、
大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、
そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
(ルカの福音書 16章26節)

この場所は,悪霊のための牢です(ルカ8・31)。

『悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。』
(ルカの福音書 8章31節)

そして,千年の間,サタンが閉じこめられる牢ともなります(黙20・3〉。  

『底知れぬ所に投げ込んで、そこを閉じ、その上に封印して、
千年の終わるまでは、それが諸国の民を惑わすことのないようにした。
サタンは、そのあとでしばらくの間、解き放されなければならない。』
(ヨハネの黙示録 20章3節)


新約聖書の中のハデスは,「合い間」を示 しています。
ハデスはそこにいる者を出してから,
ゲへナに投げ込まれます(然20・14)
。  

『それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。』
(ヨハネの黙示録 20章14節)


B.ゲへナ.

ゲへナとは,アラマイ語のゲ・ ヒンノム(ヒノムの谷)からきたギリシャ語です。
ヒノムの谷はエルサレムの南方にあり,アハズやマナセの時代に,
この谷の中で,モレクとタンムズの礼拝が行われ、
(U列23:10,U歴28:3)

『彼は、ベン・ヒノムの谷にあるトフェテを汚し、
だれも自分の息子や娘に火の中をくぐらせて、
モレクにささげることのないようにした。』
(列王記第二 23章10節)

『彼は、ベン・ヒノムの谷で香をたき、
主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、
忌みきらうべきならわしをまねて、
自分の子どもたちに火の中をくぐらせた。
(歴代誌第二 28章3節)

そこで恐るべき幼児犠牲の儀式が行われたので罪と恐怖の
代名詞となっていました(U列王16・3,21・ 6)。

『イスラエルの王たちの道に歩み、
主がイスラエル人の前から追い払われた異邦の民の、
忌みきらうべきならわしをまねて、
自分の子どもに火の中をくぐらせることまでした。』
(列王記第二 16章3節)

『また、自分の子どもに火の中をくぐらせ、
卜占をし、まじないをし、霊媒や口寄せをして、
主の目の前に悪を行ない、主の怒りを引き起こした。』
(列王記第二 21章6節)

後の時代になるとこの谷で,犯罪人や動物の死体が焼かれたようです。
新約時代のヒノムの谷は, ごみ捨て場となり,
うじは尽きることがなく火は消えることがない
場所となっていました(マルコ9・48)。


『そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。』
(マルコの福音書 9章48節)


ユダヤ人の伝説によると,その谷は地獄の口と呼ばれ、
旧約と新約の中間時代にはゲへナは神のさはきの場を意味していました。
  


聖書の教える地獄


新約聖書はハデスとゲへナを区別しています。

ハデスは,死からよみがえりまでの期間,
イエス・キリストを救い主と信じない者を受け入れる
苦しみの場所(ルカの福音書16章の金持ちのいる所)であり、

ゲへナは,白い御座のさばきのあと,
彼らが永遠に苦しむ所(火の池)です(黙20・4から15〉。

『また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。
そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。
また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに
首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、
その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。
彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。
これが第一の復活である。
この第一の復活にあずかる者は幸いな者、聖なる者である。
この人々に対しては、第二の死は、なんの力も持っていない。
彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストとともに、千年の間王となる。
しかし千年の終わりに、サタンはその牢から解き放され、
地の四方にある諸国の民、すなわち、
ゴグとマゴグを惑わすために出て行き、戦いのために彼らを召集する。
彼らの数は海べの砂のようである。
彼らは、地上の広い平地に上って来て、
聖徒たちの陣営と愛された都とを取り囲んだ。
すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。
そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこは獣も、にせ預言者もいる所で、
彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。
地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
また私は、死んだ人々が、大きい者も、
小さい者も御座の前に立っているのを見た。
そして、数々の書物が開かれた。
また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。
死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、
自分の行ないに応じてさばかれた。
海はその中にいる死者を出し、
死もハデスも、その中にいる死者を出した。
そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。
これが第二の死である。
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。』
(ヨハネの黙示録 20章4節から15節)


またハデスでは,不敬虔な者の魂だけが
います(ルカ 16・22,23)が,

『さて、この貧乏人は死んで、
御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。
金持ちも死んで葬られた。
その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、
アブラハムが、はるかかなたに見えた。
しかも、そのふところにラザロが見えた。』
(ルカの福音書 16章22節23節)

ゲへナでは体も魂も復活して,
永遠の火の中に投げこまれます(マタイ 5・29,10・28)。  

『もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、
えぐり出して、捨ててしまいなさい。
からだの一部を失っても、
からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。』
(マタイの福音書 5章29節)

『からだを殺しても、
たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
そんなものより、たましいもからだも、
ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい』
(マタイの福音書 10章28節)

ゲへナは本来、悪魔とその使いたちのために用意されたものです
(マタイ25・41)。  

『それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。
「のろわれた者ども。わたしから離れて、
悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。』
(マタイの福音書 25章41節)

ゲへナに最初に投げこまれるのは,獣とにせ預言者(黙19・20)であり,

『すると、獣は捕えられた。
また、獣の前でしるしを行ない、
それによって獣の刻印を受けた人々と
獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、
彼といっしょに捕えられた。そして、このふたりは、
硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。』
(ヨハネの黙示録 19章20節)

千年後にはサタンが(黙 20・10),

『そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこは獣も、にせ預言者もいる所で、
彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。
(ヨハネの黙示録 20章10節)

そして、最後に白い御座のさばきのあと,
イエス・キリストを救い主と信じていないすべての者が
ゲヘナに投げ込まれます
(黙20・15)。
 

『いのちの書に名のしるされていない者はみな、
この火の池に投げ込まれた。』
(ヨハネの黙示録 20章15節)



クリスチャンは,ハデスもゲへナも恐れる必要はありません。
信者が死ねば,すぐにキリストのみもとに引き上げられます
(Uコリント5・6から8,ピリピ1・23)。

『そういうわけで、私たちはいつも心強いのです。
ただし、私たちが肉体にいる間は、主から離れているということも知っています。
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。
私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、
主のみもとにいるほうがよいと思っています。』
(コリント人への手紙第二 5章6節から8節)

『私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。
私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。
実はそのほうが、はるかにまさっています。』
(ピリピ人への手紙 1章23節


クリスチャンはゲへナの苦しみから、
永遠の滅びより、救いだされています

(Tテサロニケ1・10,ヨハネ3・16)。


『また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、
すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが
天から来られるのを待ち望むようになったか、
それらのことは他の人々が言い広めているのです。』
(テサロニケ人への手紙第一 1章10節)

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。』
(ヨハネの福音書 3章16節)





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