聖書を正しく学びましょう
(クリスチャン向け)

紹介していますメッセージはすべて月刊誌
『みことば』に掲載されていたものです。



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セラ(詩篇)

A・O・モルスワス


詩編にたびたび出てくる
「セラ」ということばは、音楽の記号の一つで、
「休め」とか
「ちょっと休止せよ」という意味です。
ところで集会生活もクリスチャンの生活も、

「それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたの
ともがらにまして、あなたにそそがれた。」
(詩篇45・7)


方に、よって作られた詩篇のようなものです。この観点から「セラ」ということばを考えると、
いくつかの有益なことを教えられます。



どんなクリスチャンの生活にも、
「休む」あるいは「ちょっと休止する」ことは起こります。
それは病気を通して来るかも知れません。
病気になると、家族からも、仕事からも、毎日の家事からも解放されるからです。
こうして
「セラ」が訪れたとき、驚いてはいけません。


偉大な作曲家である神が
「セラ」の記号を書かれます。
神は、私たちの生涯という詩篇を完成させるために、それがいつ、
どこに必要であるかをご存知だからです。
「セラ」のある所に来たら、たとえつらくとも、それを書かれたのは「作曲家」であることを
覚えて下さい。



「セラ」は音楽の一部です。
私たちは「音」だけが音楽だと思うかも知れませんが、
しばしば、
「休み」は和音と同じくらいに効果的なのです。
ですから、
「休まなければならない」状態になったとき、これも音楽の一部であることを
覚えれば慰められるでしょう。



「セラ」は、歌い続ける者にとってはなんの妨げにもなりません。
もし私が「ちょっと休まなければならない」なら、
その分、他の人の歌声が目立って、
その詩篇はいっそう美しくなるでしょう。
同じように、自分がなんらかの事情で働けないときは、他の人が集会と家庭の仕事を
代わってくれるのですから、休みを与えられた私たちは喜んでいいのです。



「セラ」の部分に来たからといって、
ぼんやりしていてはいけません。
歌うのを休んでいる歌い手も、依然としてその楽団の一員です。
ですから、休んでいる間も、音楽に合わせて拍子をとりながら、他の人との調和を保ち、
その調和を楽しんでいます。
同じように、休みの時は、私たちに与えられた
「休み」の時を数えながら静かに
考える時であることを忘れないで下さい。


「自分の日を正しく数えることを教えてください。
そうして私たちに知恵の心を得させてください。」
(詩篇90篇12節)



「セラ」によって休みを与えられた人は、
こんどは無性に働きたくなります。
病気で寝ている人や退職した人を見ると、それが良くわかります。
しばらく休んだ人は、「やっぱり私の声も必要だ」と思って、また歌に参加するのです。



歌い手は、「セラ」の記号がどこにあるか、
楽譜と指揮者に目を注いでいなければなりません。
そうでないと、ちょうどよい時に休めないからです。
愛する神の子よ。
主が
「休め」と命令なさったらただちに休んで下さい。
私たちの生涯を導かれる指揮者は、新しいスタートのために、
ご自分に目を注いでいる者に必ず合図を与えて下さいます。

主が指揮者であるのなら、
休みを意味する「セラ」も、
調和した音を出す「奉仕」も、
ともに美しい音楽をかなでるに違いありません。





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