神が与える真実のなぐさめを受けるには


聖書と心の病のページへ戻る    伝道出版社のHPへ戻る






心の病になって、多くの人が苦しみを覚えるのが、周りの人たちに、
自分の病を理解してもらえないことです。

心の病は、体の病気とは違い、目に見えにくいものです。

苦しみを周りにいる人たちに訴えたとしても、なかなか理解してもらえません。

ましてやそれが、自分の最も信頼する夫や妻や、両親や兄弟、親類、
友人だとしたら、どうでしょう。

信頼する人に病気のつらさを話しても、分かってもらえず、
孤独感に押しつぶされそうになり、絶望を感じてはおられませんか。

心の病というだけで、人に受け入れてもらえなかったり、変な目で見られたり、

それだけでも辛いのに、追い討ちをかけるように
信頼する人にさえ理解してもらえない苦しさ、悲しみ・・・。

そんなとき、あなたなら、どうしますか?

病に絶望し、人に絶望し、世間に絶望し、将来に絶望し、
そして不安に押しつぶされそうになりながら、
希望という言葉を忘れ去りますか。

それとも、不安から逃れるために、すべてに憎しみを向けますか。

このような状況におられるあなたにどうしても伝えたいことがあります。

それは、神の愛と神の与える真実のなぐさめです。


聖書は、「神は愛であり、真実のなぐさめを与えるお方である」と教えています。

神は、あなたのことを愛しておられます。
苦しみ、悲しむあなたになぐさめを与えようとしておられるのです。

イエス・キリストは、病で苦しむあなたに

『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』
(聖書)


と言われました。

あなたの病の苦しみも、悲しみも、不安も、すべてを知り、
それでも、あなたを本当に愛しておられるお方がおられるのです。

あなたに真実のなぐさめを与えようとしておられるお方があなたに
語りかけておられるのです。

そのように聞かれるとあなたは、言われるかも知れません。
「病気でもない人に、私の苦しみが理解できるのですか」

「この悲しみが分かりますか」

知ってください。この世界で、最も苦しまれ、悲しみを背負われたお方は、
イエス・キリストです。


彼(イエス・キリスト)には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、
私たちが慕うような見ばえもない。』(聖書)



この世界を造られ、私たち人間を造られたお方であるイエス・キリストのお姿は、
決して人の目を引くようなものでは、ありませんでした。



『彼(イエス・キリスト)はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。』(聖書)



愛する弟子に裏切られたイエス様、すべての人からのけ者にされ、誰よりもさげすまれたお方、
それゆえイエス・キリストは、本当の悲しみと苦しみを知っておられます。


そのお方が、あなたに語りかけておられるのです。

『私は、あなたを愛しています。 あなたの苦しみと悲しみを誰よりも知っています。』

『あなたの病も、弱さも、罪深さもすべてを知り、それでも私は、あなたを愛しています。』


イエス・キリストの愛は、私たち人間の愛とは違い、永遠の愛であり、
何があっても決して変わることのない愛です。



イエス・キリストの愛された弟子であるペテロは、イエス様を裏切りました。
自分を守るために、捕らえられたイエス・キリストを裏切り、三度もイエス様を知らないと言い、
三度目には、イエス様を呪ってまでも、自分の身を守ろうとしました。


しかし、この弱い、哀れなペテロをイエス・キリストは愛されたのです。


すると、女中が、火あかりの中にペテロのすわっているのを見つけ、まじまじと見て言った。
「この人も、イエスといっしょにいました。」
ところが、ペテロはそれを打ち消して、「いいえ、私はあの人を知りません。」と言った。
しばらくして、ほかの男が彼を見て、「あなたも、彼らの仲間だ。」と言った。
しかし、ペテロは、「いや、違います。」と言った。

それから一時間ほどたつと、また別の男が、「確かにこの人も彼といっしょだった。
この人もガリラヤ人だから。」と言い張った。
しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。
それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
主が振り向いてペテロを見つめられた。
ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた
主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。』(聖書)



ペテロは、なぜ、激しく泣いたのでしょうか。

イエス・キリストを裏切ったからですか。

確かにそれもあるでしょう。

しかし、私は、思います。

イエス・キリストが振り向いてペテロを見つめられた目は、決してペテロを責める目ではなく、
また、裏切りに悲しむ目でもなく、ペテロの裏切りや弱さをすべてを知り、
それでもペテロを愛しておられる目ではなかったのでしょうか。


ペテロは、そのイエス・キリストの目を見たとき、自分の弱さを醜さを真実に実感したのではないでしょうか。
そして、数時間前に言った自分の言葉を思い出したことでしょう。



『シモン(ペテロ)、シモン(ペテロ)。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを
願って聞き届けられました。
しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。
だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモン(ペテロ)はイエスに言った。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、
あなたは三度、わたしを知らないと言います。」』(聖書)



ペテロがイエス・キリストを裏切る前も後も、すべてをご存知であったイエス・キリストは
変わらぬ愛でペテロを愛しておられました。


このような愛は、人間にはありません。

あなたもこの愛で愛されています。
あなたがどのような状態であったとしても、イエス・キリストは、ありのままのあなたを愛しておられるのです。

あなたは、今、何を求めておられますか。

人に受け入れられることですか、心の病が癒されることですか、それとも苦しみからの解放ですか。

私たちは、苦しみが多ければ多いほど、悲しみが深ければ深いほど、なぐさめを求めます。

聖書は、真実のなぐさめは、神が与えるものであると教えています。


『私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。』(聖書)



なぐさめを受けるためには、苦しみ、悲しみを知らなくてはいけません。
なぜなら、苦しみや悲しみを知らない人に、なぐさめは必要ないからです。

なぐさめは、苦しむ人が求めるもの、悲しむ人が求めるものだからです。
誰よりも苦しみ、悲しみを経験された神であるイエス・キリストがあなたをなぐさめると言っておられます。

あなたも、人が決して与えることができない真実のなぐさめを受けてみませんか。
今、苦しみもだえ、悲しみに打ちひしがれているのなら、イエス・キリストにお祈り下さい。



『何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、
あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、
あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』(聖書)



苦しみもだえ、悲しみにくれるあなたに、イエス・キリストのなぐさめが訪れますように、お祈りしています。




聖書の語る救いについて知りたい方は、


イエス・キリスト救いをあなたへ をご覧下さい。


聖書の語る慰め(なぐさめ)について知りたい方は、


伝道小説「慰め(なぐさめ)」  をご覧下さい。


    



聖書と心の病のページへ戻る           伝道出版社のHPへ戻る



このページに関する、ご意見、ご感想は、

お気軽に  dendo@bf.wakwak.com  まで


お問い合わせ下さい。