藤島恵の日記を読み終えた時、信士は涙を流していた。
自分の頬をつたう熱いものを感じていた。
涙・・・なみだ。
驚きであった。
信士は、幼い時より、涙を流していない。
涙は、人生の妨げである。そう思って生きてきた。
どんなに涙を流しても、誰も助けてはくれない。そのことを知った信士は、涙を捨てた。
涙を捨てた信士にとって、自分の成功のために人を利用しようと、裏切ろうと、見捨てようと、平気であった。
泣くことで少しは、楽になれるかも知れないと思ったが。
そんな、俺が涙を流している。
恵の生涯を通して信士は、計り知れない神の愛を・慰めを・恵みを・実感していた。
神を信じることができれば、自分も藤島恵と同じように、なれるかも知れない。そう思った時、信士の瞳から涙が溢れてきた。
涙は、信士のかたくなな心を打ち砕き・・・。
信士にとっての愛は、やさしさは、母であった。
「かあさん。」
そう信士がつぶやいた時、ルツが慰めを歌っていた姿と、母の姿が重なり合った。
そうだ。俺は、慰めを知っている。
母が幼い俺に、子守り歌のように慰めを歌っていた。
幼き日、記憶の奥底に封印した母の姿がよみがえろうとしていた。
母は、信士にやさしかった。
母は、無条件で、信士に愛を注いでくれた。
母は、信士の味方であった。
頼るもののなかった信士は、母の記憶を封印し、あえて、母の記憶を忘れ去っていた。
母の記憶は、信士の生き方にとって妨げであった。
「かあさんは、・・・ かあさん。」
信士のまぶたに、記憶の奥底に仕舞い込んでいた母の面影が、写っていた。
かあさんは、やさしかった。あたたかかった。いつも「慰め」を歌っていた。いつも、祈っていた。
俺は、幼い日、母とともに奇蹟を歌い、祈っていた。
昭和11年11月10日(1936年)
嵐の中、藤島恵は女の子を産む。
生まれた子どもはすぐに、看護婦の手によって命をうばわれる。
赤ん坊の死体をいつものように、野田彰の手に託した看護婦は、
「お願いね。」
と、一言、彰に声をかけた。
命を奪われた赤ん坊の死体の処理は、野田の仕事であった。
いつものように死体を受け取った野田は、死んだはずの赤ん坊が息を吹き返したのを知って、思わず後ずさりした。
この赤ん坊は生きている。死んでいなかった。
こんな事は、はじめての経験であった。
野田彰は、赤ん坊の死体を葬る時、小さな物体であると、思うようにしていた。赤ん坊だと思ってしまうと、良心の呵責に耐えられなかった。
野田彰は、迷っていた。心がゆらいでいた。
看護婦にこの子を再び渡せば、今度は確実に殺されてしまう。かといって自分では、どうすることもできない。
看護婦に子どもを渡そうと、もと来た道を帰りかけた時、野田彰に、りえと一緒に読んだ聖書の個所が、頭に浮かんだ。
野田夫婦には、子どもがいなかった。
彰・45歳、りえ・42歳。
野田彰は、子どもが欲しかった。その気持ちは、りえも同じで、いや、りえの方が子供に対する思いは強かった。
りえは、自分が不妊の女であることを悩み苦しんでいたが、両親、親戚は、彰に、不妊の女であるりえを離縁するように勧めていた。
野田彰の実家は、資産家であり、両親は本家の跡取りとなる孫の誕生を待望した。
そんな両親の期待に反して、りえが妊娠することは全くなく、りえが不妊の女であることを知った両親は、りえに罵声をあびせ、りえをいじめるようになっていった。
りえを愛していた彰には、りえと離縁する気持ちはなく、彰は、りえのために野田家を捨てる。
二人は逃亡者のように故郷を離れ、ぎりぎりの生活ではあったけれど、りえとの暮らしは彰にとって、なにものにも代え難い幸せな一時であった。
そんなりえが、彰の知らない内にキリストを信じていた。
野田彰の家は短島にない。
彰は、短生園での仕事をりえに知られることを恐れていた。
りえは、やさしさと純粋さとを兼ね備えた女性である。そんなりえが、彰の仕事を受け入れてくれるとは、どうしても思えなかった。生活のために選んだ仕事であったとしても、自分の仕事は間違っている。と、彰もどこかで思っていた。
彰が、短生園での仕事に疑問を持ちはじめ、悩んでいた時に、りえは、キリストを信じる者となった。
キリストを信じたりえは、彰に一緒に聖書を読もうと言い出したが、彰は、聖書を読むのが嫌でならなかった。
「俺は、外国の宗教書の聖書なんか、読みたくない」と、きっぱりと言い放った。
その彰の答えを聞いたりえが、
「どうしても一緒に聖書を読んで欲しい」と、言って引き下がろうとしない。
普段は控えめで、彰に対しても他の人間に対しても、自分の意見をほとんど主張することがない、りえの変貌に驚愕したが、結局、妻を愛していた彰は、そのままりえの提案を飲んだ。
彰が家にいる時は、必ずりえと一緒に聖書を読むのが、野田家の日課になっていた。
『「また、エジプトの王は、ヘブル人の助産婦たちに言った。そのひとりの名はシフラ、もうひとりの名はプアであった。彼は言った。「ヘブル人の女に分娩させるとき、産み台の上を見て、もしも男の子なら、それを殺さなければならない。女の子なら、生かしておくのだ。」
しかし、助産婦たちは神を恐れ、エジプトの王が命じたとおりにはせず、男の子を生かしておいた。そこで、エジプトの王はその助産婦たちを呼び寄せて言った。「なぜこのようなことをして、男の子を生かしておいたのか。」助産婦たちはパロに答えた。「ヘブル人の女はエジプト人の女と違って活力があるので、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちによくしてくださった。それで、イスラエルの民はふえ、非常に強くなった。助産婦たちは神を恐れたので、神は彼女たちの家を栄えさせた。』(聖書)
彰は、決断した。
癩の子どもと、医者は言うが、どう見てもこの赤ん坊は、普通の子どもと変わりがない。
「俺達の、子どもとして育てよう。」
愛(めぐみ)と名づけられた恵の子どもは、野田夫婦の愛を一心に集めて育つ。
彰は、愛を連れ帰えると、すぐに短生園を辞職した。
りえの故郷での暮らしは彰にとって幸せな日々であった。
両親は愛に、イエス様に従って生きる素晴らしさを教えていた。
愛が14歳の時に、彰は、天に召される。
それからの、りえと愛の生活は祈りの生活であった。
りえは、体が弱くまともに働くことさえ困難であった為に、生活費は、祈りによって、支えられていた。祈りは、りえと愛が生きていく唯一の手段であった。
『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。』(聖書)
野田愛は、このみことばが真実であることを学んでいた。
イエス様は私を決して見捨てられない。
私がイエス様をどんなに拒んだとしても、それでも、イエス様は私を愛して下さる。
イエス様の愛から私を引き離すものはこの世の中に存在しない。
と、いつも確信して、野田愛は生きていた。
寝たきりになっていたりえが、愛を呼んでいた。
「めぐみちゃん。めぐみちゃん。」
愛を呼ぶ、りえの声は、今にも消えてしまいそうなほどに小さく、愛はりえの死期を悟った。
「驚かないで、聞いてね。・・・めぐみちゃん。
めぐみちゃんは、私が産んだ子では・ない・の。
ごめんね。もっと早くに、話さなくてはいけなかったのに。
生まれたばかりのめぐみちゃんを、おとうさんが連れて来て下さったのよ。
私は、めぐみちゃんを見た途端に、わたしの子どもだ。
神様が与えてくださった、わたしのあかちゃんだ。と、確信したの。
めぐみちゃんの本当の両親は、おとうさんも知らないと言っていたわ。
ただ、めぐみちゃんのおかあさんは、めぐみちゃんを産んで、すぐに亡くなったそうよ。
ごめんね。別に隠していたわけではないの。めぐみちゃんは、私の血をわけたむすめ・・娘よ。
誰がなんと言おうと、めぐみちゃんは、おかあさんとおとうさんの、かわいい・かわいい・む・す・・・め。」
母の声が途切れた。
母は微笑んでいた。
微笑みながら、天国へ旅立って行った。
母の死後、野田愛は主の導きで一人の青年と知り合う。
青年の名は、石田勇。
勇は、母の昇天式の準備を黙々と手伝ってくれた。
「ごくろうさまです。」
野田愛に声をかけられた勇は黙って頭を下げた。
これが、二人の出会いだった。
野田愛は、素朴で、イエス様に忠実に従おうとしていた勇に、好意を抱くようになっていた。勇も愛に引かれていた。
昭和33年9月30日に結婚した二人は、前々から話のあった恵雨療養所で働くことになる。
野田愛は、療養所の看護助手。夫の勇は、療養所の雑事一切をこなしていた。
野田愛は療養所の婦長であった長野雪を尊敬していた。長野雪は婦長であるのに、婦長として、いばり散らすことなく、人の嫌がる仕事を率先して引き受けていた。
ある日、雪が
「愛ちゃんの、笑顔は私の大好きだった人にそっくりよ。愛ちゃんを見ているとその人を思い出すわ。名前まで同じ、めぐみだし。字は違うけど読み方は一緒よ。愛ちゃんと一緒にいるとわたしの大好きだった恵ちゃんが生きているみたい。」
雪は、恵の面影を持つ、野田愛を愛した。
雪から「慰め」の歌を教えてもらった愛は、いつしか雪と同じように、「慰め」を口ずさむようになっていた。
昭和36年11月24日 (1961年)
熊本にある恵雨療養所内の病院で愛は、男の子を出産した。
勇と愛はその子に、イエス・キリストを信じる勇士であれとの願いから信士と名づけた。
勇と愛は信士が四歳の時に交通事故によってこの世を去った。
一人残された信士を雪が育てようと決心していた矢先に、野田家の使いの者が信士を無理矢理連れ去った。
石田信士は、野田家の本家と分家の跡継ぎをめぐる争いに、利用され、信士を利用した分家が、本家に代わり野田家の財産を管理することになると、用無しとばかりに信士はあじさい園に預けられてしまった。信士が、あじさい園に預けられたのは五歳の時であった。
信士はルツに、藤島恵の日記を読み聞かせた。ルツは泣いていた。
ルツは、藤島恵の生涯を知り、またどのように「慰め」の詩が生まれたかを知って、涙が止まらなかった。
信士が日記を読み終えた時、ルツが語り出した。
「シンジ。実は私、その日記に書かれていたハンナの姪なのよ。ハンナ叔母様も、ユニケ叔母様も主イエス様を、信じてすべてを捧げておられた。「慰め」の歌は、直接ユニケ叔母様より、教えていただいたのよ。
ユニケ叔母様は、いつも「慰め」を歌っておられたから、少女であった私も、叔母様がたと一緒に「慰め」をよく歌ったものだわ。ユニケ叔母様は、戦争が終わってから、何とか日本に帰ろうとされ、走り回っておられた。」
昭和23年6月 (1948年)
78歳のユニケは、再び、日本の土を踏む。
雪との再会でユニケは、恵をはじめ、多くの愛する者の死を知った。
「ミス・ユニケ。お渡しするものがあります。これは、めぐみちゃんの生涯を綴った日記です。めぐみちゃんは、日記をミス・ユニケに渡して欲しいと言って、天に召されました。」
涙が出た。恵と一緒にミス・ユニケと再会したかった。それは、ユニケにとっても同じ思いであった。
こうして、藤島恵の日記はユニケの手に渡る。
昭和25年2月16日
雪は、寝たきりになっていたユニケの枕元に座って居ると。
「ゆきちゃん。聖書を読んで。」と、か細い声でユニケに頼まれた。
ユニケが聖書の個所を言わなくても、雪は読むべき所を知っていた。
「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。」(聖書)
ユニケの生涯はまさに、このみことばに従って生きてきた。ユニケは、叔母のロイスから、このみことばに従う姿勢を学んだ。
ロイスは、すべてのものを捨てて、イエス様の愛を伝えるために日本にやってきた。
ロイスが慰受病院を開設したのは、明治28年のことであった。慰受病院の働きのために手助けの必要を感じていたロイスは、ユニケに手紙を書く。
― ロイスの手紙 ―
私たちが普段の生活の中で、すぐに忘れてしまうことが、地獄の存在です。
地獄から救われていることを主イエス様に感謝しながらも、つい地獄の存在を忘れ、それゆえ伝道することさえ、忘れてしまうのです。
しかし、私たちの周りにいる主イエス様を信じていない者は、確実に地獄に向かっているのです。もし、このことを厳粛にとらえるならば、私たちの伝道はもっと熱心なものになるはずです。悪魔はすぐに私たちから、地獄を忘れさせようとします。私たちが、悪魔の惑わしによって、地獄を忘れていたとしても、それゆえに伝道をしなかったとしても、確実に私たちの周りにいる人々にも、死はやってきます。
そして、すべての主イエス様を信じていない者は、確実に地獄で、永遠に苦しむのです。
私は、その思いにいても経ってもいられずに、日本にやって来ました。
日本に来た私をイエス様は、導かれ福音を伝えるべき人々に、巡り合わせて下さいました。その人たちは、日本の国に見捨てられた方々です。
イエス様は、イスラエルの中で、もっとも嫌われていた取税人、らい病人の友となられました。
『さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、』(聖書)
『パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」』(聖書)
ユニケに私と同じ思いが与えられましたら、日本に来て下さい。
真の神を知らない、聖書を知らない、神の愛を知らない、日本人の中で、もっとも虐げられている方々に、福音を伝えに来て下さい。
『キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。』(聖書)
『あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。』(聖書)
ユニケがロイスと同じ道を歩むべく日本に来日したのは、明治29年。ユニケが26歳の時である。
26歳の時よりユニケは、日本のハンセン病に苦しむ人に、神の愛を・救いを伝えるために生きてきた。
昭和25年2月26日 (1950年)
「勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通した。」ユニケは、80歳で天に召された。
ユニケの願いもあって、ユニケのもっていた藤島恵の日記は、オーストラリアにいるハンナのもとに送られた。
ハンナはその日記をユニケの遺品と共に、大切に保管していた。恵の日記と一緒に日記の翻訳書も添えられていたが、翻訳書は紛失し、ハンナの手に届くことはなかった。そのため、ハンナは藤島恵の日記の内容を知らずに、天に召される。
ユニケの死後、半世紀の時を経て、ルツが屋根裏部屋にあったトランクの中から日記を発見する。
ルツからユニケの話を聞いた信士は、自分がなぜ、あれほどマリヤにひきつけられたかを理解した。
マリヤは母の面影を持つ女性であった。
半年後。
「いろいろとお世話になりました。」
「シンジ、これからも、いつでも私の家にいらしてね。この家はシンジの家ですから。お祈りしています。」
「ありがとう。ルツ。行ってきます。」
日本に旅立つ信士の手には、聖書が握られていた。
『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。』(聖書)
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