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ぷりんママさん  8週         子宮内物除去   05/09/22
原因 染色体異常だろうと言われました


妊娠中下腹部痛は多少ありましたが、出血は一度もありませんでした。 つわりも最初からほとんどありませんでした。「本当に妊娠してるのかな?」と いう感じでいつもどおりの生活をしていました。病院で心拍が止まっていると言 われてもぴんとこなかったくらいです。

前日にラミナリアを入れて帰宅。翌朝全身麻酔でそうは術を受けました 。手術後一時間くらいで帰宅(普通は二時間くらい休むそうですが、すっかりさ めていたので)。腹痛などはほとんどありませんでした。手術後二日家でごろご ろして、手術後三日で仕事復帰しました。

3度目の体外受精で初めての妊娠。6週で心拍が確認されましたが、最 初から胎嚢が小さく、7週でも10ミリくらい。胎芽は週数並みだったのですが 、「成長のバランスが悪い場合は染色体異常の可能性が高く、流産になることが 多い。万が一このまま育っても羊水検査を受けたほうがいい」言われていました 。 8週の検診で、驚くほど胎嚢が大きくなり、二頭身になったかわいい胎児が見え ました。でも、いくら探しても心拍が見えませんでした。 ある程度覚悟していたためか、結構冷静に先生の話を聞いていました。でも、家 に帰る途中一気に悲しみが押し寄せてきて号泣しながら帰りました。

■心の流れ
術後約一週間なので、まだ出血があります。術後すぐは感じなかったの ですが、仕事を再開してからなんとなく体調不良(腹痛、腰痛、だるさ)があり 、もう少し休めばよかったのかな、と思いました。

■その後の体
最初から厳しいと言われてある程度覚悟していたのと、術後早く仕事に 復活したこともあり生活自体はすぐ元に戻りました。

現在37歳。初めての妊娠、流産でした。年齢的にはどうしてもあせ りがあります。どうして?って憤りのような気持ちが湧き出ることもあります。 でも、短い妊娠期間でちびちゃんからたくさんのことを学び、幸せをもらいまし た。次回はちゃんと生んであげたいです。 また、このような体験談を見ることができて、辛いのは自分ひとりじゃないとと ても励まされました。皆さんも次回は無事出産されることを心から願っています 。

みいさん   8週前後         子宮内物除去   05/06/16
原因 不明

つわりらしきものは妊娠発覚前から、変わらずあった。
出血は6週目前後から。出血が多くなってからはつわりは減ってきたように思う。( 眠気、不快感など) その前から子宮が収縮するような軽い痛み。


生理予定日の5日後、レディースクリニックに来院。
5週目あたりのはずだが胎のう確認できないとのこと。
その時に、早すぎて見えないだけならよいが、軽く子宮外妊娠と流産の話、安静の指示を受けるが、この時は私自身まだ自分がその可能性があるとはあまり思っていなかったため、多少注意しつつ通常の生活をしていた。
6週目あたりに再度来院。その時先生は念入りに何度も子宮の中を超音波で確認していた。2cmくらいの胎のうらしきものは見えるがどうか分からないとのこと。
正常に妊娠着床する場所ではなかったが、腹痛もなく、卵巣の出血など子宮外らしき兆候もまったくない。
しかし、子宮外の可能性もあるのでと某大学病院へ紹介状を書いてもらい、翌 々日外来。子宮外の疑い強し。と外来表に書いたので朝いちで診てもらいました。
若い男性の医師。超音波の内診をするや、2cmのものは胎のうではない。と言い切 った。 それからは子宮外の疑いについての説明など。
黒ではないが限りなくグレーに近い状態。手術の日程を決めておかなければいけない。と言われ手術の予約。 私独自の判断で仕事を休み、(事務職なら仕事しても平気だと医師は言った。)一週間安静にした。その時かなりの古い血の出血、血のかたまり、鮮血があったので、もし胎のうだ ったとしても限りなく切迫した流産かもしれないと覚悟はしていた。
6日後の診断時(7週目あたり)大学病院の前に、もう一度 レディースクリニックへ。この前2cmだったものが、5cm程度に成長しているとのこと。だが、順調に成長しているとは言えないので一週間待つか、あきらめがついているなら、手術をしたほうがと言われる。
その先生は、今の時点で流産80%、子宮外20%だと思うと話してくれた。
そのあと、午後大学病院へ。再度紹介状を書いてもらっていたのでもって行ったのだが、なんと診療前に見てない。(というか私が言うまで医師の手元にも渡っていない。見る気がなかったのは一目瞭然)
私が告げて、内診をし、今見ると胎嚢に見えるねぇ。と一言。夫婦であきらめはついていたので、また、話しやすかったレディースクリニックの先生に流産の手術について聞いていたので、流産の手術に決定。
私から切り出したことのせいかどうかはわからないが、手術の説明は紙に目を通しておいてくださいくらい。自分から言わないと質問もできない。手術をして病理検査に出して確定するまでは、子宮外の可能性は消えないと言われる。
その後一週間後入院。前日夜に子宮口を広げ、全身麻酔で子宮内そうは術(夕方)
翌日退院。担当医は違う女医。手術自体はうまくいったと思う。


■心の流れ
まったく自分に知識がなくて、正常妊娠では無い時の情報が少なすぎる 。
質問しようにもできない状態。ネットがなかったらと思うと、あまりの情報の無さに閉口していたと思う。
最後まで(手術中も)子宮外かも。と言われ続けたこと。 今の技術では仕方ないかもしれないが、なぜ、大学病院でもわからないのか、と思った。また、流産の可能性がゼロでなかったのなら、安静の指示を出してもよかったのでは ないか?(もちろん、私がはじめから安静にしていればよかったのだと思うが)また、もう少し時間をかけて、患者にあたれないのか。説明不足だと思う。そして、入院にいたっては不便はなかったが、病院にしてみればあまりに日常茶飯事のことのようで、すべてが流れ作業で、自分は製品の作られるベルトコンベアーに乗ってくるくると回されてる気分だった。あとは職場に知れ渡っていたこと。 周りの反応は本当に痛い。急な入院だし、妊娠してそうな そぶりは気をつけていてもしていたので、仕方ないとは思うが。。これからは自分も行動、発言に気をつけたい。

まだ一ヶ月経っていないので、今後のことは心配です。 今回のことで病院選びの大切さを考えた。

■困ったこと
ほぼ子宮外。と言われたときのショックは忘れない。
あとは機械的な説明のみという簡素な問診。もちろん流産とどちらがいいと比べるわけではないが、余計に心配を助長させた。言葉を選んでほしかった。


■家族の対応
主人は入院中ずっと支えてくれ、また主人のご両親が温かく迎えてくれ たので、本当に感謝している。

■こんなサポートあったら
とにかく正常妊娠でない時の本、情報を増やしてほしい。もし、自分にもう少し知識があれば(切迫流産について)早めに自分で安静にしていたかもしれない。
朝の通勤ラッシュと、仕事のストレスは意外と大きかったかなと今は思う。(休んだ後に成長していたから、余計にそう思っただけかもしれないが。
妊娠初期の大事な人は、外に出た時にあまり安静にできないのがつらいです。

大学病院に不信を覚えたので、書かせていただくことにしました。 また、私のように子宮外かも。と言われた人にはぜひ読んでほしいです。



hiroさん   7週1日    進行流産           04/12/19


原因としては結合がうまくいかなかったのでは・・・と思っています。
流産前の症状としてはつわりが消えました。

私は今1歳3ヶ月になる元気な男の子がいます。

周りのママ友は、2人目を妊娠している人も多く私もその波に乗りたいと計画的に妊娠しました。
正直、上の子の時は出血もなく7ヶ月まで仕事もし、トラブルなしで元気な子を出産し、いい気になっていたのかもしれません。
卒乳後すぐに妊娠。うまくいった喜びでいっぱい。
子供のかわいさもわかっているから来年生まれてきて兄弟が仲良くする姿なんかを想像して幸せいっぱいでした。
しかし6週になかばに出血・・・
でもお友達でもそういう人もいて、大丈夫じゃないか?と思いつつも、出血はどんどんひどくなりました。
転勤族で地方(仙台)にいるため、実家の東京の親に頼らざる得なく、仙台での即入院が出来ず、東京に無理やり息子を連れて帰ってきました。

■困った事
上の子がいたため、即入院が出来なかったこと。


■心の流れ
ひたすら悲しかった。
分娩室での処置は、となりで出産している人の声や自分も隣で出産したことから、同じ病院での処置は安心感はあったもののつらかった。
体は以外と元気。

ひたすら泣いて3日目に自分のHP上でも赤裸々にカミングアウトしました。結構すっきり自分自身が受け入れられる気持ちが出来たと思います。上の子もニコニコしながら私にじゃれついてくるし、悲しんでる暇もないなぁ〜と自分を奮い立たせました。

■家族の対応
旦那はひたすら私の意見を聞き入れ、前向きになるようなことを言ってくれた。母親は私の意見に、自分が不妊症だったときの辛さを交えて話しをしてくれて和んだ。

■こんなサポートあったら
病院でも子供を預かってほしい。。。

■その他
命の尊さだけはかなり感じました。
ここで、自分よりつらかった体験談を読み悲しみにくれました。いつか宿る新しい命を信じてがんばりましょう。


YOU・MEさん   推定6〜7週   稽留流産 子宮内物除去     04/02/20


推定6〜7週   稽留流産、絨毛膜下出血

妊娠判明が早すぎて(推定2週)毎週経過観察だった。
妊娠判明から10日後にオレンジ色のおりものみたいなものが出始めて、切迫流産といわれました。
体温は高温期を保っていました。
腹痛はどれが流産に伴うものか分かりませんでしたが、おへそから恥骨上部にかけてどこかしら、ちくちく痛かった。
腰痛は約1ヶ月も安静だったから痛くなったと思っていました。
稽留流産と診断される1週間ぐらい前からおっぱいいがとても張るようになり痛かった。乳汁も出るようになっていました。

処置としては子宮内容物除去手術を受けました。
時間としては20分ぐらいでした。通常10分ぐらいと聞いています。
長くなった理由は、私に薬剤アレルギーが3種類あるのを知った医師が、「念のため」と手術時に使う鎮痛剤、抗生剤、子宮収縮剤のアレルギーテスト(皮内検査)をしたところ8種類中5種類に反応を示してしまったため、麻酔代わりになる鎮痛剤が使えず、笑気(体の緊張を解く空気)のみの手術になり、痛みで体が硬直してしまいスムーズに手術が進まなかったからです。

妊娠判明したときは着床したばかり、とのことでした。
翌週の2回目の検診でもあまり大きくなっておらず、さらに1週間後となりましたが、その前にオレンジ色の出血があり、切迫流産との診断で自宅安静となりました。安静1週間目で胎芽が写りましたがやはり小さい。その後少しずつオレンジ色のものが増えました。
さらに1週間後、胎嚢、胎芽の大きさは変わらないものの、心拍が確認され、さらに1週間後少し大きくなりさらに心拍がはっきりとしたので、管理入院になりました(それまで入院しなかったのは、多分育たないと思われていたようです。それが2回も心拍が確認できたので成長させるために管理入院になりました)
入院して止血剤を注射してもなかなか完全に出血は止まりません。でも、週数がおおよそ確定でき出産予定日も算出されました。その翌日、入院4日目、エコーを見たところとても胎嚢も胎児も大きくなっていました。が、心拍だけ消えていました。信じられなかった。先生も一生懸命エコーで探してくれた。けど、見つからない。稽留流産と診断され、でも一縷の望みをかけHCGの注射は続けた。止血剤は中止された。その途端出血!
宮内壁と思われる塊が出るようになった。

■体の心配事
流産前からでるおっぱいのことが心配でした。
入院2日目にあまりにも出るので、プロラクチンを測定された。そうしたら250近くありました。
そのせいで赤ちゃんが眠ってしまったとしたら・・・。
今までも乳首に白いものがついていたことはあったし、痒いこともありましたが、乳汁ということは考えたことはありませんでした。
体温も綺麗な二層性でした。

■心の流れ
留流産と診断されたときは、信じられませんでした。
自宅安静にしていたときと変わらない。切迫流産といわれたときと出血も腹痛も何も変わらないのだから。
でも、止血剤を止めたとたんに出血をして、流れていく血と塊を見て、消えてしまう、止められない、と思った。手術は麻酔を掛けていなかったので意識があり、先生が吸引する音を聞いて、またその痛みを感じて「いなくなった」と体は理解した。心は理解していない。

■サポート
入院の準備などは夫と両家の親がやってくれた。
主人は24時間勤務をしていましたので、家事はほとんど出勤日以外は行ってくれ、わたしの不安にプラスになるような言葉かけをしてくれました。流産した時は、何も言わずずっと手を握ってくれていました。今でも悲しくなると、そっと抱きしめていてくれます。ちゃんとおなかの中の、天国に行ってしまった子の話も受け止めて話してくれます。
実母は毎日来てくれました。母も大腸がんの精密検査でグレーと言われ、手術まちの状態でしたが、わたしを優先してくれました。悲しい思いをさせました。
義母は主人も実母もどうしても居ないときに来てくれました。義母も第1子を流産しているので、その時のことを話してくれました。
一つだけ困ったのは姪が異常なまでに私の妊娠に興奮しており「私がお世話をする」「わたしが守らなきゃ」と言っていた。それが正直負担だった。でも言えなかったが、事態が悪化するにつれ、顔を出さなくなった。

■その他
職場にどの様に伝えるとよいのか



すみれのママさん  8週     子宮内容物除去術       04/03/25


結婚して9ヶ月生活も安定し、そろそろ子作りをしはじめて二ヶ月後生理がこなくて4日もしかして?と思い検査薬してみると陽性反応が出て、次の日病院へ行き妊娠4週目!23年間生きてきた中で一番幸せな出来事でした。
7週目の検診に行くと超音波を見ながら先生が、「成長してないかもしれませんね」と言われ、はっ?と我が耳を疑い先生の言葉を頭の中で整理すると涙が溢れてきました。
次の日主人と病院へ行き今後どうするか?話し合った結果、「お腹の中に確かにいるはずなのになぜ?」と納得できていない私達夫婦を見て先生は、「一週間様子を見て何も変化がなければ手術をしましょう。」と言いました。ちょうど妊娠発覚時より私の周りは、妊娠ラッシュ!みんなは順調なのにどうして私だけ?なんて卑屈なってしまう時もある。「神様お願い奇跡を起こして下さい。」「もうだめかも・・・」って毎日気持ちが入れ替わったり「成長しなくてもこのままお腹の中にいてほしい。」と思ったりもしたけど、赤ちゃんは早く楽になりたいかも・・・いろいろ考えて一週間後、奇跡は起こらず手術をすることに。
手術当日、正直怖かったけど赤ちゃんの方がもっともっと怖い思いをしてるかもしれないのに情けない・・
術後の経過も問題なく体は元気だけど、心は不安定です。「あまり引きずらない方がいいよ」と見下したように言う人、電話口で泣いていた友達、仕事でひたすら稽留流産したばかりの私の前で「妊娠したかも。」と言う無神経な人、「頑張れ」ってひたすら励ましてくれた人いろいろいました。でも乗り越えるのも、前を向いて歩いて行くのも私です!急に悲しくなって泣いてしまう時もあるけど泣きたいときは泣いて落ち込む時はとことん落ち込んだら「神様は私だったら乗り越えられる、試してるんだ、見返りを求めてないけど泣いた分だけ苦しんだ分だけ幸せになる!負けるもんか!」って克つを入れて今は頑張っている最中です。妊娠、流産を経験して命の大切さ、命の重さを新ためて感じました。今後また妊娠できて自分の手で赤ちゃんを抱っこできるまでは心配だけど今は与えられた試練に立ち向かうことに必死です。最後に生んであげれなかった赤ちゃんに、私達の所に来てくれて本当に本当にありがとう!天国ですくすく育ってね。こんなパパとママでよければまたきてね☆

■その後の体調
術後もう1ヶ月経つので本当に生理がくるか心配。今後も妊娠前みたいに周期的に生理がきて排卵してくれるか不安です。

■サポート
突然泣き出す私に嫌な顔せずそっと優しく包んでくれる主人に感謝しています。



みのさん    7週  子宮内物除去手術              04/02/9


7週で子宮内物除去手術

特に身体の痛みはないままの出血でした
今回は、2人目の妊娠でした。1人目は無事に出産できたので、頭の中には『流産』なんてありませんでした。
初診のときは、赤ちゃん自体が確認できてなかったので、その1週間後の診察を控えた前日に、少量の出血が・・・。その時は、すぐに安静に過ごしていました。診察の当日の朝に、大量の血と一緒に塊が出てきました。今思えば、赤ちゃんの一部分だったと思います。診察の結果、『流産』でした。
日を改めて、手術をして・・私のお腹の中は空っぽになりました。

■その後の体調
生理はまだです

■心の流れ
先生は、2度生理がきたら妊娠してもいいと話してましたが、次も抱いてあげれなかったら・・・という不安があります。
流産が確定してから、しばらくは落ち込んだけど、家のことをしていて、流産・手術が他人事のようにおもえた。

■サポート
手術のとき、休憩室で待たされたのですが(個室)付き添いは帰らされ、とても心細かった。
旦那は会社を2日休んでそばにいてくれて、実家の母も仕事を休んで大阪から飛んできてくれた。
義母も手伝いに来てくれたが、励ますつもりの言葉に私はショックを受けて、しばらくは会いたくない人になりました。



milkさん   7週     完全流産                 03/12/01 


7週で完全流産原因は不明

5週あたりから下腹部に軽い痛みがありました。6週あたりからは軽い出血がありました。
病院で薬をもらいました。
痛みがでてから何回か心配で病院にいきましたが6週で袋の大きさがあまり変わっていないとの事でした。とりあえず安静にとのことで薬をもらいました。その時少し出血もありましたが出血が止まる事はありませんでした。
翌週激しい痛み(陣痛と同じ痛みと言われました)と大量の出血があり、数時間後、胎盤ごと流れ手術はしませんでした。

■その後の体調
生理は1ヶ月半後ぐらいに来ましたがいつもより長く続きました。

■心の流れ
赤ちゃんが出来たときとても嬉しく、さっそく名前やベビーグッズなどイロイロ考えていたので、流産した時は涙が止まらず、ずっと泣いている毎日でした。
私は父を亡くし、2年前に事故に遭い大切な友達を亡くした過去がありなぜ自分の大切な人は亡くなっていくのか、いっそ自分がいなくなればこんな思いをしなくていいのにと生きているのがとてもつらかったです。
旦那は周囲から不妊症じゃないかと言われたらしく、まだ日が経っていないのに私に不妊症という言葉を出しひどく傷つきました。
一番私の気持ちをわかってくれる人だと思っていたのに、なぜそんな事が言えるのか?と思いました。
でも、結局立ち直るのは自分の力でしか立ち直れないんだと思います。
亡くなった友達の分も生きなければいけない。あの時危篤状態だった私が今も生きているんだからと赤ちゃんが出来る前も今もそう思って生きているんだから。
赤ちゃんがいなくなってしまった事はとても悲しく忘れる事は出来ないけど、私のつらい過去は神様がこの子なら生きていけると与えた試練だと、これからも強く生きていく試練だと思い現実を受け入れました。今も時々泣いてしまうし、友達が妊娠したって聞いたら素直に喜んであげれない。でも、私はそんな出来た人間じゃないけれど同じ痛みを持つ人、大事な人を亡くす痛みはわかってあげれる。
いつかまた私のおなかの中に命が宿ってくれて、その命を産む事が出来たなら、その子を人の痛みをわかる子に育てたい。辛くても生きていく事を教えたいです。その為には母となる私が毎日を生きていく事が大切だから、次は絶対に産める様に頑張らなくてはと思います。

■サポート
母は、孫を楽しみにしていたのに流産した時私を責めたりせずただずっと一緒にいてくれました。何も言わないで側にいてくれる事がとても救われました。妹も、普段はキツイ事を言うのにその時は母と同じようにただ見守ってくれて、旦那といるより安らぎました。(旦那には悪いけど・・・)



ひなた&はづきのママさん  8週  子宮内物除去    03/03/21  


長女(いぶき)を出産し、次の子がなかなか出来なくて3年半ぶりにやっと授かったのがひなたです。うれしくてうれしくて長女を産んだ病院とは別の近くの産婦人科へ行きました。初めての内診で「ちょっと小さいねぇ」と・・・特別な不安も感じずとりあえず週1で病院へ行くことに。7週目の終わりに病院へ行った時、「2日後に来て見て」と・・・病院へ行く前の晩、出血がありました。でもたいしたことじゃないだろうと早めに休んで次の日病院へ・・・内診で先生が「う〜ん」。あとでのお話では、「臍の緒はあるんだけど、赤ちゃんが・・・もうおなかの中でとけてるね」。一瞬何を言ってんだろう?と思いました。それから看護婦さんに処置の説明を受けて次の日に取り出すことにして帰りました。なぜか実家の方に足が向いてしまい、車の中では「なんで?なんで?」でした。長女はつわりも全くなく超順調に育って産まれたのに・・・次の日の午後、手術をうけました。麻酔をしたけどすごく痛かった。2時間休んで帰されました。2・3日実家で過ごし、仕事に復帰しました。何もしていないと哀しいばかりで・・・



かおりんさん   8週5日   そうは手術               03/03/13  


初妊娠でした。ツワリは全く有りませんでした。初診は6週0日でしたが、タイノウの大きさから4週〜5週と診断され心拍の確認もまだでした。次は3月6日(9週0日)に来てくれと言われていました。3月4日、この日は主人がインフルエンザで寝込んでいて、うつるのが恐かった私は頻繁に体温を測っていました。14時ごろに初めて計った時には35度6分という数字を見て「計り方が悪かったのね」と思い再度計ってみて、36度ギリギリ。「熱はないわ〜。まだインフルエンザかかって無くて良かった」と、呑気なものでした。それから1時間ごとに体温を測りましたが、徐々に体温も上がり「37度」まで上がったので、安心して昼寝をしました。目が覚めてトイレに行くと赤茶色の出血&無色透明のサラサラの液体がパンツに付着。これを見て「駄目かも」と思いました。あの時の体温低下がヤハリ・・・。とにかく、病院へ電話しましたが、診察時間を超えていて、総合病院のため、緊急外来しかないとの事で、産婦人科の先生ではないですが一応見れる。との解答に不安を持ちながら、病院へ行きました。結局、産婦人科の担当の先生がいらして、すぐに内診してもらうと、赤ちゃんの心臓が止まっているとの事。流産してまだ間もないとの事を説明されました。

翌日朝一に再度診察して、心臓が動いてないなら、そうは手術しましょう。と言われました。日帰りでも入院でもと言われましたが、主人がインフルエンザだったので入院を選びました。家に帰って不安と悲しみが一杯で、理痛に似た鈍痛もあり、夜は一睡も出来ず、生最悪な夜でした。翌3月5日朝8時半に病院に行き、子宮口をあける海草を入れてもらいました。ナカナカ上手く入らずに、痛い思いをしました。手術までは入院ベッドで安静にして11時20分から手術でした。全身麻酔です。麻酔を点滴から注入しましたが、効き目が表れる前に手術開始だったのであまりの痛さに「痛いー」と叫んだのを最後に、記憶がありません。ただ、最初の記憶のためか?子宮をかき回される感覚はありました。痛みのために覚醒した時は、ベッドに運ばれる途中です。ベットにもどり、麻酔がドンドン取れるにしたがって痛みもひどくなりました。「痛かったら座薬を入れるので」と看護婦さんに言われましたが、「お産はきっともっと痛いのだから・・・」と、妙な考えが頭にあり、限界ギリギリまで耐えました。痛みのため吐き気をもよおし、口で呼吸するので喉はカラカラで舌が喉に張り付き、呼吸も困難でした。耐え切れなくなり、座薬を入れてもらいましたが、効いて来るまで時間がかかり、入れてから30分は苦しみもがいていました。その間に水をもらいたかったのですが、全身麻酔のため、麻酔が完全に切れるまでは許可されず、水を口に含み出す。ということだけ許されました。痛みも感じなくなったのは2時でした。その頃には麻酔も取れていました。

私の場合は流産発覚後も手術後も比較的冷静で、新生児室の赤ちゃんを見ると可愛くて仕方有りませんでした。絶対欲しいと思いました。妊婦さんを見ても、「元気に産んでね」と思えました。ただ、夜になると、悲しみやショックや言葉では言い表わせられ無い感情(母親という本能から来るのでしょうか?)が押し寄せて、涙が止まりませんでした。昨日で術後一週間です。流産後、改めて命の尊さや大切さを実感したんだと思います。でも。やはり次の妊娠で又流産したらと思うと恐くて恐くてたまりませんでした。この一週間は、インターネットで流産や不育症のHPや掲示板を貪るように読みあさりました。術後一週間目の検診で「母体に異常は無かったのですかね?」と聞くと、「初期の流産は胎児側の染色体異常などが主な原因だから、深く考えないで次は元気に産める事を考えなさい」と、おっしゃいました。自然淘汰は自然界に有って当然だと分かっています。一回目の流産は偶然の方の確率が高いということも・・・。でも、赤ちゃんの死を無駄にしたくない思いで一杯です。だって、60%が胎児側の問題でも、残り40%程は父親母親の問題なんですもの。もし、私や主人の方に異常が有って流産した確率があるのならば、きちんと検診を受けて直してから、次の赤ちゃんを元気に産みたいと強く思います



匿名希望ママさん  8週6日  稽留流産                03/02/05


6週の時に産院に行った。一人目の時は6週で心音が確認できたのに今回はまだ確認されなかったが、生理の周期が人よりも遅い方なので全然気にならなかった。一番最初の出血が7週0日に起こりました。産院に電話して聞いたら、安静にしていれば大丈夫のこと。その後、出血はすぐに止まったのでまた安心して普通の生活をしていた。最初の出血から8日後、8週1日に流れるように2回目の出血。心配になって産院へ。お腹の胎児が7週のわりには小さいので、3日後また診察しても同じ大きさで心音も確認されなければ流産の手術をしないといけないと言われた。結局8週6日に1泊の入院で子宮内容物除去手術をした。手術の前に子宮口を広げるために海草でできたラミナリア管を入れたり、筋肉注射をしたりととにかく痛かった。“つわり”は流産が確定してから手術をするまで皮肉にもずっとありました。手術は1人目を出産した同じ分娩台で行われた。となりでは産まれたばかりの赤ちゃんの泣き声がずっと聞こえたので悲しくてたまらなかった。麻酔の点滴が一番痛かったがだんだんと意識がなくなって眠ってしまった。病室は個室が空いておらず、6人部屋で私以外はみんな妊婦さんか出産後の人だけで、すごく辛かったです。私は意地を張っていたのか、周りの人に聞かれると「流産しちゃったんです。でもまだ2人目はいらなかったし・・・」と強がりを言っていました。今となってはどうしてこんなことを言ったのか疑問です。病院ではなぜか涙が出ませんでした。今はもうあれから数ヶ月がたとうとしてます。同じの予定日の妊婦さんのお腹は大きくなってきています。たぶん同じ時期に生まれた子供を見たらたぶんすごく辛いでしょう。周りで妊娠した人をみてもまだなぜか辛いです。早く次の子を妊娠すれば少しは忘れられそうだけど、まだ妊娠する決心がついていません。