【再録】トラウマ洋画劇場(第六回)

えートラウマ洋画劇場、ようやく完結です。完結と言ってますがホントはこの後延長戦として「まだ観てないけど観ると確実にトラウマになりそうなので恐くて観られない映画」を紹介して終わろうと思ってたのですがいろいろあって書く機会がないまま現在に至っております。というわけで一応ここで完結とさせて頂きたい。というか完結します。すまん。あといつものことですが執筆時期が5年くらい前なので文章が古いのはどうかご容赦をば。





【再録】トラウマ洋画劇場(第六回)
「ドラマ・芸術編(2)」

さて、今回も引き続いて、一見マトモな映画に潜むトラウマシーンを発掘です。今回はエロもあるでよ。エロも。というわけでそういうのが苦手な方は御注意を。


■しょうゆ味トラウマ


さて今回は邦画から行きます。なんと言っても邦画は他の国の映画にはない独特の暗さ、湿り気、シリアスさが持ち味。というわけで観ていてブルーになるようなシーンの宝庫です。余談ですが、こうした暗さを排除し始めた80年代後半以降の邦画は個人的にちょっと物足りなくなったと思いますね(いや面白い映画ももちろんあるんですけど)。


市川崑監督、水谷豊主演の刑事もの『幸福』(81年/日本)。刑事物といっても『あぶない刑事』みたいに銃をピスピス撃つような活劇ではございません。妻に去られ、二人の子供をかかえた水谷豊の刑事。恋人を殺され、犯人逮捕に執念を燃やす永島敏行の刑事。この二人の刑事を軸に、表題通り「幸せって何だろう」というテーマを暗ぁく、暗ぁぁく、ひたすら暗ぁぁぁぁぁぁく描くという激鬱の1本。内容の暗さもさることながら、色彩を感じさせない褪色したトーンの映像がタイトルに反して薄幸感を盛り上げます。


もう20年も前にテレビで観ただけなので細部は断片的にしか憶えていませんが、映画全体にみなぎる「とにかく可哀相な感じ」は未だにトラウマです。例えて言うなら雨に濡れてニャーニャー泣いている捨て猫を物陰からそっと見守っているような気分になる映画というか、まあ最近涙腺が詰まり気味のあなたにはオススメ。観た後はラッキョが転がるのを見ても泣けてしまう、恐るべき映画と言えます。


…とオススメしといてなんですが、この映画、公開から20年を経た今に至ってもビデオ化されておらず、現在鑑賞は困難です。一説には、劇中に出てくるスラム住まいの知恵遅れの少女が、実兄に犯された挙げ句妊娠し、ヤミ医者が堕胎に失敗して少女死亡。という描写が某筋の倫理コードに抵触したためとも言われていますが、真相は不明です。名作なんだけどなあ。


辛くて暗くてなおかつ寒いという三重苦の『八甲田山』(77年/日本)。明治時代、青森県第五連隊が冬の八甲田山にて雪中行軍演習の際にうっかり遭難。総員210名中生還者はたった12名という悲惨な事故の映画化であります。この映画を撮るにあたり、セットで撮ったんじゃー嘘っぽくていけない。じゃー実際に冬の八甲田山でロケしちまえ!というわけでスタッフ・キャストともに雪に埋もれてガチガチ震えながら撮ったという、冷え性の人は立ったまま一歩も動けないムービー。この苦労はキチンとフィルムに反映され、観ているだけで唇が紫色になる迫真の極寒描写となりました。着膨れと重装備でモコモコになった兵卒が、吹雪をかぶりながら一列になって無言で行進してゆくさまは薄ら寒いものが。というか薄ら寒いどころの話ではないですが。


トラウマ的には、死の彷徨を続けるうちに発狂してしまってゲラゲラ笑いながら裸になってしまう兵士や、休憩が終わって立ち上がったとたん全身の汗が凍って絶叫しながらショック死してしまう兵士が強烈でした。ちなみにこの凍って死ぬ兵士、実は若いころの大竹まこと。だから何だと言われても困りますが。


これと同時期の映画に『あゝ野麦峠』(79年/日本)というのもあって、こっちには明治時代の女工さんがやはりゾロゾロと列をなして雪山を越えるというシーンがあり、力つきて転んだ女工さんが次々と雪まみれになって谷底へ落ちてゆく可哀想なシーンはやはりトラウマ。いやあ昔の日本人は何かというとすぐ雪山に入って遭難して死ぬのか。なんて事だ。昔ってこわいな。と妙なイメージを刷り込まれてしまった当時のわたくしですが、しかし当時幼稚園児だったはずなのによくこんなの憶えてるな。まあ当時からこんなんだったので今に至ってもこんなんだという気も。


話を戻しましょう。『震える舌』(80年/日本)。これは公開当時の宣伝が異様だったのでその話から。TVCMの映像がいきなりゴールデンタイムに流れてやたらに怖かったので良く憶えています。ベッドの上にじっと座っている幼女。バックはラスタスクロールみたいなオプチカル合成。そこへ怖い感じの女性ナレーション。

「おいで、おいで、幼い娘…」(震え声で)

と、いきなり物凄い形相で「ギーーーーーーーーーーーー!」と叫ぶ幼女。そこへタイトル『震える舌』。


…ギャー!メシどきになんて物流すんだー!と子供心にたいへん嫌な感じだったと記憶しております。その他、新聞広告には幼女の顔が悪魔っぽくイラストレーションされていたりとか、とにかく日本でも『エクソシスト』『オーメン』を越えるオカルト映画の出現か!と思わざるを得ないような爆裂に怖い宣伝が展開されていたのですね。


で、公開後数年してテレビ放送された時に観たんですが、内容は悪魔でもなんでもなくて破傷風にかかった幼女の闘病映画だったので口アングリでした。ただし、演出は完全にホラー映画のそれ。破傷風にかかった幼女が発作を起こすたびに

「ギーーーーーーーーーーーー!」

と叫んでヒキツケをおこした挙げ句舌を噛み切って血だらけになるという、下手なホラーを遥かにしのぐ嫌場面が延々とくり返されます。両親の渡瀬恒彦と十朱幸代が娘の発作におびえ、ちょっとした物音にも戦々恐々とするあたりは、『エクソシスト』を彷佛とさせるものがありました。


しかしこれ、逆に考えると単なる破傷風患者を激しく悪魔扱いしてるということになりますが、アリなんでしょうか一体。まあそのあたりが気まずかったのか以後テレビ放映をしたという話は聞きません。まあ劇中本気で嫌がっている幼女の口に管は突っ込むわ注射はバンバカ打つわなので今となっては余計放送は難しいのかも知れませんが。


『天城越え』(83年/日本)。これは戦前の浮浪者殺し事件をめぐり、その犯人とされた娼婦、そしてその娼婦とふとしたことから知り合いになった少年の心模様を描くしっとりとした作品。映画そのものは非常に情感あふれる名作で、トラウマとはそれほど縁のない内容と言えますが、ラストシーンのあとエンドロールが余韻いっぱいに流れ、天城の美しい山道をバックにエンドマーク…が出るかと思いきや、突如静寂をつんざくパラリロパラリロパラリロというヤンキーホーンの音。画面にはエンドマークの代わりに特攻服を来た現代のゾクの方がおバイクにまたがって山道を爆走する様が描かれて完。何だったんだいまのは!とにかく映画の内容とは東京とブエノスアイレスくらいかけ離れた映像で映画が終わってしまうという不条理さがある意味トラウマでした。


■エロ旋風。


酸いも甘いも噛み分け倒した今となっては、TVの映画をみていてモヤモヤするシーンに遭遇し下腹部が勝手にブラボーとかスタンディングオベーションとか、まあそういうこともあまり無いわけですが、まだそういうシーンに耐性のなかった昔は、なにがしかのムズ痒い感情がモヤモヤと湧いてでてきてしまって悶々としたりしなかったり、まあ思春期のガキなんてのはとにかくニキビ臭くてイヤーンであります。あるいはそれ以前に、子供がどうやって生まれてくるのかは知らなくても、女の人のハダカを見るとなんとなくモジモジとしてしまうという「目覚める前の状態」の思い出もありますが、それも今は昔。とにかくそういうころに目の当たりにしたお色気シーンは、その後成長してからの嗜好になんらかの影響を与えているのかもしれません。


で、エロと言えばこれをはずす訳にはいかない。とにかくこれのテレビ放送があった翌日の学校は教室のどこかでニヤニヤと曖昧な笑いが起きていたものであります。シルビア・クリステル主演『エマニエル夫人』(74年/仏)。エロといえばエマニエル。エマニエルと言えばエロ。というくらい我々の世代にとっては刷り込みの強い映画で、家具屋の籐椅子を見るだけで何となくモヤモヤしてしまうのもそのせいと言えましょう。小中学生当時は親の目を気にして、興味はあったもののあえて観ないでいましたが、後年成人してからビデオで観たところ、田んぼの路肩のように身持ちの悪いエマニエルという人妻が手当りしだいあっちで励みこっちで励み、というサカリのついた恐竜戦車みたいな内容だったので頭をかかえた経験があります。


公開当時はこの手の映画はまだ珍しく、女性観客を引き込んで大ヒットし、調子に乗って『続・エマニエル夫人』(75年/仏)『さよならエマニエル夫人』(77年/仏)とシリーズ化されたあげく、ついにはトウのたったエマニエル夫人が全身整形の果てに『エマニュエル』(84年/仏)として復活するという、ソフトエロ映画界のジェイソンみたいな存在になってしまいました。その後、相変わらずのシルビア・クリステル主演で「エマニエル・ゾンビ」というのも作られたという話もありますが真偽は未確認。生涯一エマニエル。いやあ立派です。


まあテレビではこの映画が限界でしょう。これ以上は成人指定になりますし。というわけで他はというと、至って真面目な映画に突然出現するエロシーンなわけでして、まあわたくしの幼少時の記憶をたどって書いてみましょう。ってかしかしこれで今のわたくしの性的な嗜好とか分析されたりしないだろうか。しかも当たってたりしたらどうしよう。まあ別にいいですが。


えーではまず『お葬式』(84年/日本)。言わずと知れた伊丹十三の初監督作にして出世作。ある一家の葬儀一切の段取りをブラックな笑いに包んで描く異色のホーム・ドラマ。いや葬式の映画のどこにエロの入り込む余地が、とか思いますがそれは罠。死んだじじいの息子が山崎努で、その愛人(高瀬春菜)が葬式のドタバタをいいことに実家に乗り込んできてゴタゴタを起こそうとするところを、山崎が裏山に連れ込んでアオカンに励み危機突破。というシーンでしたが、この絡みのシーンがものすごくケダモノじみてて当時中学生のわたくしにはあまりにも刺激がつようございました。あと情事の前と後で高瀬春菜の態度がガラリとかわってしまうあたり、今となっては「女ってコエー」と慄然とするほかはありません。


伊丹十三の映画は何度となくテレビ放送されてますが、こうした下世話なエロシーンが異様に多いので油断して親と一緒に観てたりすると非常に気まずい目に合います。『タンポポ』(85年/日本)は食欲をテーマにした異色作でしたが、食欲と性欲をかなり曖昧に描いたシーンがフェティッシュに折り込まれております。特に役所公司の演じるところの優男が、愛人と生の卵黄をでろでろ口移しでねぶりあうシーンは、一体これはエロいのかどうか、右脳的にはよく判らないのですが左脳的には妙に納得してしまう恐るべきシーンです。


このほかにも、役所公司が海辺で少女から牡蠣を買って、殻つきのまま生で食べようとすると殻で唇を切ってしまい、剥き身の牡蠣の上に広がる鮮血の赤。傍で見守る少女は全身スケスケのウエットスーツで妙にエロい。と思ったらいきなり少女が役所公司の唇をペロペロとなめ上げはじめるという、書いていて眉間にシワがよるエロさの挿話もあったりします。しかし大人になってから気がついたけどこのシーンってヤバいくらいエロいな。少女。牡蠣の剥き身。鮮血。うーむ。


『マルサの女』(87年/日本)。言わずと知れた税金サスペンスですが、開幕のシーンからして死にかけのジジイが看護婦のパイオツを赤子のように吸っているシーンですので飛ばしてます。あとは山崎努と愛人の情事がひとしきり終わったあと、おもむろに起き上がった愛人が股間に丸めたティッシュをはさんで歩くシーンがあって、まあ下世話にエロいシーンなのですが、ここで隣で観ていた父親が異様なまでに爆笑していたのが別な意味でトラウマでした。


最近リメイクされた『魔界転生』(81年/日本)はバイオレンスとパイオツが怒濤の勢いで迫る傑作ですが、個人的にはパイオツ部分の記憶しか残っていません。あと真田裕之と沢田研二のキスシーン。当時小学生の自分には男同士のチューというのはそれ自体が魔界のようなもので、当時親にかくれてこっそり見ていた「パタリロ!」のテレビアニメと同様、オトナの世界はなんて不可解なのだろうかと画面を凝視しながら思ったもんでした。


(2007年05月22日)