【再録】トラウマ洋画劇場(第五回)

…えーほぼ一年ぶりの更新です。何やってたんだ、という方もおられましょうが、まあ色々あったのですということでご納得いただきたい。ネタは、一応最後まで載っけておかんとのう、ということで「トラウマ洋画劇場」の続きをお送りいたします。





【再録】トラウマ洋画劇場(第五回)
「ドラマ・芸術編(1)」

いやー前回からずいぶん時間が経ってしまいました。楽しみにしてくださってた皆様、どうもすんまへん。という訳でさっそく本題に入ります。ちなみに今回ちょっとグロいです。注意注意。


■油断禁物


さて今回はちょっと視点を変えてみましょう。トラウマと言うとどうしても怖い方面の映画を考えてしまいますが、別に怖いシーンは怖い映画だけの専売特許ではないわけで、なんて事はない普通のドラマを見ていたのに突然ロクでもないシーンに遭遇して「何だ今のは!」と飛び起きてしまったという経験は皆様おありだと思います。または感動の名作だと思って観はじめたら画面じゅう死体だらけになって大弱りとか、渋い犯罪映画だと思ってたら突如バンパイアがキーキー襲ってきたりとか、まあ最近は映画観るのにも油断ができません。


これがアート系とか文芸系の映画だったりすると危険度はさらに倍増するわけでして、お芸術の名のもとにお下劣なシーンがぐるぐる繰り広げられ、お画面からあからさまにおエロスが放射されたりする事はみなさま経験的に御存じでしょう。今回はそんな真面目な顔の裏にロクでもないシーンを隠し持つ映画を集めてみます。


■なんちゃって感動映画


「感動の名作!」「世界中が涙した!」と80年代初頭に異様な盛り上がりを見せた『エレファント・マン』(80年/米・英)。妊娠中の女性がサーカスの象にうっかり踏まれた結果、生まれてきた子供は大変な奇形となってしまいました!だからエレファントマン。という脱力の設定で見世物にされていた実在の人物、ジョン・メリックの数奇な生涯を、モノクロの美しい映像で描く感動巨編。人間の尊厳を一人の障害者の視点を通して描く迫真のドラマ…と思われがちですが、監督が映画界でも一、二を争う奇形大好きっ子のデビッド・リンチですのでマトモな映画であろうはずがないわけです。公開当時、宣伝媒体にはジョン・メリックの素顔を絶対に出さず、意味深にズタ袋を被った姿を見せるのみで、怖い物みたさの観客の好奇心を煽りに煽るという宣伝戦略がとられていたため、映画本編を観るまではあまりトラウマの香りがしなかったのですが…TV放映されたものを見るとさすがはリンチちゃん!というわけで何はばかることなくフリークスが右往左往というキツい仕上がりになっていました。しかもそういう方々が行く先々で迫害されたり見せ物にされたり嘲笑されたりと精神的にダークな内容。最後は感動的に終わるのでなんとなく心が洗われたような気になりますが、ばしばしチャンネルを切り替えてて偶然目撃してしまっただけの子供にはかなりのダメージを負わせたものと思われます。


その後の『ブルー・ベルベット』(86年/米)『ワイルド・アット・ハート』(90年/米)などのリンチ作品も、一見オシャレなアート系映画のフリをして実はみなぎる変態という心あたたまる内容でした。一体どこの世界に乾いたゲロにたかるハエをアップで延々と撮るヤツがいるでしょうか。他にも酸素吸入器片手に「ママー!ママー!」と泣きじゃくりながら女を殴り倒すデニス・ホッパーや、猟銃で頭を吹っ飛ばされたあげく犬に喰われるウィレム・デフォーなど、名トラウマシーンには事欠きませんが、個人的に一番引いたのは『ブルー・ベルベット』におけるローラ・ダーンの般若のような泣き顔でした。


これは最近もBSあたりでやってましたね『プライベート・ライアン』(98年/米)。4人兄弟が戦争で次々と死んでゆき、「こりゃあヤツらの母ちゃんが気の毒だ」と唯一生き残った末弟に帰還命令が出ますが、運悪く彼は前線に出てて連絡不能。というわけでそのためだけに特殊部隊が組織され、トム・ハンクス以下7名のチームがライアン二等兵を探す旅に出たのでした。という内容で、S・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演、マット・デーモン共演というあたりですでに立ちこめる感動屋の匂い。劇場での予告編も心あたたまる感動の大作っぽい作り。…というわけで油断してると冒頭30分でいきなりヒドい目に逢わされるという暴力バーのような映画でした。とにかく最初と最後の30分の戦闘描写が凄まじく、飛び散る脳漿、広がる臓物、弾け飛ぶ手足という下手なスプラッタより悪質な光景を記録映画のような淡々としたタッチで描きます。実際にノルマンディー上陸作戦を体験した老人がこの映画を観てフラッシュバックを起こしたというからタダゴトではありません。わたくしはこの映画を劇場で観ましたが、前の席に座ってはしゃいでいた高校生4人組が上映後は煮過ぎたちくわのようにグッタリしていたのが印象的でした。


感動の大作ヅラして実はトラウマの宝庫だった、というパターンは結構多いですね。『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年/デンマーク)。息子の目の病気を治すため、文字どおり身を粉にして働くセルマことビョーク。しかし金を奪われ、殺人の濡れ衣を着せられ、自分も失明寸前に…という激鬱の内容をなぜかミュージカルで描くという病んだ映画でした。とにかく主人公のセルマ=ビョークの薄幸っぷりが余りにもモノホンっぽく、後半の不幸ラッシュも余りに痛々しいため、観ていて生きた心地がまるでしないというまさに針のムシロ映画。しかもどんな強力なシャックリもこれ1発で止まるであろう凶悪なラストシーン。わたしゃなぜかこの映画をクリスマスイブに観てしまったのですが、その後に食ったケンタッキーの辛気くさかったこと。まあなんだかんだ言ってこの映画でビョークのファンになってしまったわたくしですが、その後のアカデミー賞授賞式で彼女が志村けんのような白鳥の衣装で登場したのはまた別な意味でトラウマでした。


■グロと難解


アート系映画のお約束として「難解」というのがありますが、まあただ難解なだけだと観る気がしねえよ!というわけでこの手の映画には露悪趣味的にエログロが盛り込まれてる事がままあります。ピーター・グリーナウェイの映画は絵画のような映像でお芸術方面からの誉れが高いですが、その気で観てると実はエロとグロが満載。なおかつ内容はさっぱり訳が判らない。という観ながら脂汗が垂れそうなものばっかりでたまりません。


『英国式庭園殺人事件』(82年/英)はタイトルからして火サスみたいなミステリーものかと思いますが、内容を思い出そうとするとなぜか頭が割れるように痛くなります。英国の貴族社会の腐敗を描く、みたいなミステリーだったような気がしますが、憶えているトコといえば絵画のような庭園の中で絵書きと貴族の母娘がせっせと性交に励むという退廃の極みみたいなシーンだったり、かと思えば突然なんの脈絡も無く全裸の男が全身に重油みたいなのを塗り付けて立っており、時々絵書きをギロっと睨み、最後はそいつが口から何かをペッと吐き出して唐突にエンドマークという、一体俺はなんでこんな映画を観ちゃったんだろうと自問自答してしまう謎だらけの映画でした。


『ZOO』(85年/英)。双子の兄弟が動物の死体が腐って行くさまを取り憑かれたように撮影した挙げ句、最後は自分達も毒をあおって死体となり、事前にセットしたカメラで自らが腐るさまをフィルムに残そうとする、という「考えるな、感じるんだ」系のアート・フィルム。シンメトリックな画面構成が美しい映画ですが、最後に双子が毒をあおったあと、セットしてあったカメラが異常発生したカタツムリに壊され、哀れ双子は無駄死に。という落語のようなオチにはピーター・グリーナウェイもやっぱり人の子だったかと妙に納得です。


『コックと泥棒、その妻と愛人』(89年/英・仏)。これは分かりやすい内容、込められたブラックな笑い、そして映像の美しさでピーター・グリーナウェイの最高傑作という人も多い映画です。まあ傍若無人な泥棒が、不倫をした自分の妻に激怒。その愛人を見せしめに殺してしまいます。妻は復讐のために贔屓のコックにあることを頼むのでした…というわけで何も知らない泥棒の前に出されるのが死んだ愛人の丸焼き!これを妻にピストル突き付けられて無理矢理食わされます。いやあこの死体がいい具合にこんがり焼けて旨そうなのが逆説的に気持ち悪い。妻も意地が悪いもので「食えやコラァ」とピストルをグリグリしてチンコの部分を食わせたりします。まあこの泥棒が相当にヒドい奴なのでこういうシーンでも妙に痛快だったりするのが人気の秘密でしょうが、露悪趣味もここに極まれりといった感じでトラウマ度はシュッポッポです。


■グロ頂上対決


さてそういうグロ系のアート・フィルムでもキワメツケのやつを2本紹介しましょう。グロで最強、なおかつエロでも凄まじいポテンシャルを誇るだけに、地上波では放映不可。当然だ!というわけで本コラムの主旨からはちょっとはずれますが、まあエログロを語る時にはこの2本をはずす訳には。というわけで慎んでご紹介させて頂きます。


イタリア芸術映画の巨匠、ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の遺作『ソドムの市』(75年/伊)。これはですな、第二次大戦終結間近のイタリアで、4人のファシストが大勢の美少女、美少年を拉致して1ケ所に集め、全裸に剥いて虐待の限りを尽くすというお話。…と書くとちょっと金のかかったポルノじゃーん、という感じですが、中身はそんなヌルいものではございません。少年少女が集められてからは3パートに分かれており、それぞれの副題が「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」とつけられてるあたりからイヤーなスメルが漂ってまいります。まあ最初の「変態地獄」あたりはああ変態なのですか、そうですか。と下世話な興味からつい何らかの期待を持って観てしまうわけですが、監督のパゾリーニは真性のゲイなので画面に出てくるのは男のケツと股間ばかり。そのケの無いわたくしとしてはしぼんだ風船のようになる他はない。まあ田舎の小役人みたいなオヤジが満面の笑顔で青年にケツを突かれている光景はほとんどギャグ寸前で面白かったのですが。


最初からしてこれですので、続く「糞尿地獄」は何をかいわんや。パヴァロッティみたいな脂っこいオヤジがひり出したブツを、イタイケな少女がムリヤリ食わされるという地獄のようなシーンを筆頭に、若い人たちがニッチャニッチャと口の中真っ黒にして抜け殻のような表情でブツを咀嚼しているシーンはまさに悪夢のようです。何考えてんだパゾの親父。


とまあこのように淫蕩と変態の限りを尽くし、その後は行為がエスカレートして当然のように「血の地獄」、つまり残虐行為が始まるわけでございます。白々と明るい庭園で、若者同士が目をくり抜いたり舌を抜いたり頭の皮を剥いだり、正視に耐えない描写が続きます。そのようなシーンが続いて慄然としていると、いきなりファシスト親父が3人並んで真顔でラインダンスを踊っているシーンが入ったりしてて思わず椅子からズッってしまいますが、最後は言いようのない終末感、虚無感に襲われるというあらゆる意味で恐ろしい映画でした。深読みすれば、ファシズムの脅威とそれに対する批判とが隠されている映画と言われていますが、そんなシャラ臭い理屈はもはやどうでもよくなってしまう戦慄の内容。ちなみに監督のパゾリーニはこの映画の完成後、出演者の青年にボコにされて死にました。


『ソドムの市』が正統派芸術映画の異端児なら、インディーズ系の異端児は『ピンク・フラミンゴ』(72年/米)でしょうな。「世界で一番お下品な家族」を名乗る一家に「わしらが世界一じゃ!」と別な一家が下品NO.1の座を賭けて勝負を挑むという、お脳に花が咲き乱れた内容。当然のごとく熾烈な下品合戦がくり返されるわけです。主人公はディバインと名乗る、まあジュゴンかマナティに厚化粧したみたいなおカマさん。こいつを筆頭に思い付く限りの下品行為があちこちで花開きます。


いやあ主人公のディバインの容姿だけでもうおなかイッパイという感じですが、こいつやその家族がここでは書けないようなあんな事やこんな事を繰り広げます。画面中モザイクだらけでもう何がなんだか。「バッド・テイスト」を体現したような映画ですが、一番トラウマ度が高いのはラストシーン。ディバインの野郎が道ばたで散歩中の犬の後をつけているかと思うと、事もあろうに今まさにひり出されたホカホカのブツをひょいっと口に入れてひと噛み。ニッコリと笑顔。うわぁぁぁぁぁ…。言っておきますが特撮とかトリックとか、そんな高等なテクが使えるような映画ではありません。正真正銘のガチンコ食糞。ひぃぃぃぃ…。あまりの事態に「この世には人智を超えた映画が存在するのだなあ…」などとグローバルな視点で感想をいだいてしまう、まさに最強の名にふさわしい怪作でした。


さて、マジメなドラマに潜むトラウマ映像はまだまだネタが尽きません。もっと紹介する予定でしたが、長くなったので今回はこのへんで。次も引き続きドラマ系と、それから特にエロ方面で記憶に残るトラウマ映画を紹介したいと思います。では以下次回。


(2007年04月01日)