【再録】トラウマ洋画劇場(第四回)

…えー少し間が開きましたが、「トラウマ洋画劇場」の続きをお送りいたします。微妙に内容が古かったりしますが、2002年当時の文章をそのまま載っけてるということでご了承ください。





【再録】トラウマ洋画劇場(第四回)
「オカルト・心霊編」


えー夏もとっくに終わってしまいましたが、毎年お盆の頃になるとテレビでは怪奇特集があっちでヒュルリこっちでドロリと盛りあがるのが常でして、そういうのを激しく好むわたくしとしては毎年番組表片手に録画録画!予約予約!と荒まる鼻息。しかし今年はその手の番組が異様に不作だったため、しぶーい顔で仕方なく「USOジャパン」とか見てたワケですが、見てると脳味噌のシワが減りそうな気がするので止めました。まあ最近はこんな調子ですが、ひと昔ふた昔前の心霊特番は味のあるものが多かったですね。今見ると爆裂にウサン臭いんでしょうが、そこがまた良かったり。「あなたの知らない世界」の再現フィルムも今みたいにビデオ録りではなくフィルム撮影で、ちょっとした短編映画気分で観られたものです。リスペクト新倉イワオ。あとは霊能者が富士の樹海に入って死体を発見したりとかね。身元の公開捜査と銘打ってナマ死体の顔をズガンとモロ写しにするなど、今考えると思わず手に汗をにぎる場面もありました。もちろん幼少時に観ていた人にとってはこういうのもひとつのトラウマ源な訳です。


まあこういう番組が割とフツーに放送されていたことや、古来から連綿と続く怪談文化もあり、もともとそういう土壌が出来上がっていたのでしょう。日本人が作る心霊ホラーは年々異常に先鋭化されてゆき、ついにここ数年で大ブレイク。国内はもとより、海外でも高い評価を得ています。ブームの火付け役となった『リング』はすでにハリウッドによってリメイクされましたし、その他の数本も同様にリメイクが進行中。ということで期待は高まりますが、反面あのオオザッパなハリウッドにこの幽玄の世界が判るのかしら、と心配になったり。まあパツキンの貞子がワイヤーでくるくる飛び回って目から怪光線を、というような事態になってなければいいのですが。


■中田/高橋組


そのJホラーブーム(笑)を支えたいくつかの映画は、すでにTV放映され、やはりお子さまと夜中のトイレの距離を拡げたと思われます。その中から代表的なものを見てみましょう。


まず『女優霊』(95年/日)。このJホラーブーム(しかし使ってて爆裂に恥ずかしいな、このフレーズ…)のハシリとも言える記念碑的作品であります。映画の撮影所を舞台にした心霊談で、撮影者不明の古いフィルムに映っていた無気味な映像を発端に、映画の撮影中に次々と怪異が起き、どうやらそれは過去に亡くなった1人の女優に関係があるらしい…という話。これだけだとよくある怪談じゃん、という感じですが、この映画が画期的だったのは、幽霊を扱ったホラーでありながら、決して幽霊をハッキリと見せなかった、という点ですね。何か妙な雰囲気があるんだが、それが何か判らない。いるはずのないところに人がいるけれど、遠くてよく判らない。映像に何か有り得ないものが映り込む。こういう演出を執拗に繰り返し、ハッキリと判らないけど何かヤバい感じがする…という不安感を煽ります。特に映像に異常な物が映り込むという恐怖は、中岡俊哉の「恐怖の心霊写真集」でトラウマを受けた世代にとっては異様にピンと来るものがあり、以後このモチーフはこの手の映画の定番となります。


この映画、ひっそりと劇場公開されましたが、あまりの怖さにレイトショーでの公開を止めてしまったという逸話も。この成功により、監督の中田秀夫、脚本の高橋洋のコンビは『リング』に抜擢される訳です。


その『リング』(98年/日)。もはや説明の要はないでしょう。『女優霊』の怪が実体のないものだったのに対し、こちらは貞子という実体ができた分描写は直接的になりましたが、「ヤバい感じ」「マズい感じ」を煽る演出は相変わらず。それは「顔が歪んだ写真」や「呪いのビデオテープの映像」に顕著です。特に呪いのビデオの映像は、ダビングの効いた裏ビデオのような粗悪な画質を逆手にとったもので禍々しいオーラが炸裂。また、テレビ画面より実体化する貞子のシーンも、そのインパクト故にあらゆるメディアからパロディの対象にされました。


なお、『リング』とカップリングで同時上映された続編『らせん』(98年/日:監督/飯田譲治)の方ですが、これはある女子高生が当時劇場で観て「…結局これって『リング』だけでいいじゃん」とフツーに言い放ったという逸話があり、つまり中身は推して知るべしの大惨事だった御様子で、わたくしも観てません。


で、その『らせん』をナンチャッテの意気込みで無かったことにしてしまい、中田/高橋のコンビによって新たにつくられた続編が『リング2』(99年/日)。基本的には1作目を踏襲した雰囲気ですが、最後はプールの横で子供が実験台にのせられて脇で大量の機材がブンブン唸るという微妙にトンデモな方面へ展開。別な意味で緊張が走ります。しかし随所にトラウマ映像が盛り込まれているのはサスガで、今度は「粘土で復顔した頭蓋骨」をモチーフに嫌シーンが展開されます。貞子が顔面を御開帳すると出てきた顔は粘土で作った…というガキ号泣のシーンを筆頭に、その顔の貞子がクモのような挙動で井戸を這い登ってくるという「これ考えた奴、前へ出ろ!」と半泣きで叫びたくなるシーンなど、前作以上のトラウマ度で迫ります。


余談ですけど、高橋洋が監修を手掛けたビデオ作品に『呪怨』(99年/日)『呪怨2』(00年/日)というのがありまして、こちらも実に凶悪な事態になっているので興味のあるかたはぜひ。大のオトナが布団かぶってプルプルしてしまうという実に恐るべき作品であります。ついに劇場版でのリメイクがスタートしたとかで、要注目です。


■黒沢


さて一連のブームの中でも特異な存在なのが、黒沢清監督の『回路』(00年/日)。これはまだTV放映されてないハズですが、された日にゃあビッグバンの勢いでトラウマを増殖させるであろう期待のニューホープ。インターネットを媒介に死者の魂が現世を侵食、生きている人間がどんどん消えてゆくという終末ホラーです。はっきり言って商業映画としてはヤバいほど不条理な内容で、加藤晴彦目当てで来た婦女子のみなさまが上映後に豆鉄砲をくらったハトの顔でゾロゾロ帰ってゆくのが不憫でした。まあ内容の方はいくらでも深読みができそうですがここでは割愛。ビジュアルイメージに注目すると、過去かつてない質の不吉さ、禍々しさに満ち溢れております。暗闇のなかからこちらをうかがう幽霊の立ち姿、壁に残された人の形のシミ、赤いテープで縁取られたドア、首がだらりと伸びた縊死体、壁に書かれたおびただしい数の「助けて」の文字…。こうした不吉な感じのイメージが続々と、しかも淡々とあらわれ、見てはいけないものを無理矢理見させられているようなイヤーな気分にさせられます。


なかでも最高に凶悪なのが、女が給水塔によじ登って飛び下りて死ぬ様を遠景からワンカットでとらえたシーン。コレどうやって撮ったんだ?という驚きもさることながら、あまりのリアルさに、見てはいけないものを見てしまった…という怖さと気まずさが爆裂に高まるという、ここ数年では最もインパクトのあるトラウマシーンでした。


後半、生きている人間がどんどん減ってゆき、街は無人となって真新しい廃虚となり、頭上では旅客機が黒煙を吐きながら墜落してゆく…という終末めいた展開となり、この白昼の悪夢的描写もかなりトラウマ度が高いです。とにかく全編これトラウマ映像のカタマリみたいな取り扱い注意映画。保管は小さいお子さまの手の届かないところにゼヒ。


そして同じく黒沢清のTVムービー『降霊 KOUREI』(99年/日)。単発のスペシャル番組ですが、のちに劇場公開もされました。『回路』とは違ってもっとストレートな形の心霊談になっています。音響技師とその妻。妻の方はいわゆる「見える人」で、パートで働きながら大学の超心理学の研究に協力したりしてます。この夫婦がある誘拐事件に巻き込まれ、偶然から誘拐された幼女を死なせてしまい、それを隠蔽すべく彼女を秘密裏に葬りますが、いつしか幼女の姿が夫婦のまわりに現れるようになり…という話。他の映画にくらべて、霊の姿を比較的あからさまな形で画面に出してますが、回りの風景にくらべて輪郭がハッキリせず、表情も読み取れないのが非常に無気味です。もしや「見える人」にはこういう感じで見えてるんだろうか、と思わせるリアリティがあります。全体を通して存在する寒々とした雰囲気、ヒタヒタくる怖さもかなりのものです。


■悪魔ッ子世にはばかる


ところで、冒頭で「オオザッパなアメリカの観客にこの幽玄の世界が判るのかしら」なんてことを書きましたが、意外にもそれに近いテイストの心霊ホラーがかつてアメリカでヒットしてましたね。『シックス・センス』(99年/米)。タダのハリウッド調コケおどしホラーとは一線を画す内容でしたが、それは監督がインド人だったせいでしょうか。まあこれはホラーというよりはむしろ愛の物語だったりするわけですが、この映画にでてくる幽霊の描かれ方が、いわゆる「見える人」に言わせると本当にあんな感じで見えるらしく、もしやこの監督自身も見える人なんでは…なんて憶測されています。


ですが、どうやら欧米人にとって本当に怖いオカルト映画とは幽霊モノではないようで、一般的にセンセーションを起こしたオカルト映画の多くは、恐怖の主体が「悪魔」か「悪魔に近い幽霊」になっているのが興味深いです。たとえば『ブレア・ウイッチ・プロジェクト』(99年/米)は森で魔女を探し求める話でしたし、『ローズマリーの赤ちゃん』(68年/米)はニューヨークに巣食う悪魔崇拝者の話。『サスペリア』(第2回で紹介)も実は犯人は魔女の手先という設定でした。これが幽霊モノになっても、『悪魔の棲む家』(79年/米)や『ポルターガイスト』(82年/米)『ヘルハウス』(73年/英)『家』(76年/米)といった映画では、幽霊は超自然的な力を自在に操って人間に危害を加える悪魔のような存在として描かれています。日本では当たり前の、姿を見せて何かを訴えかけるだけの幽霊を描いた映画というのは、『シックス・センス』や『チェンジリング』(79年/加)、最近だと『アザーズ』(01年/米)ぐらいしか無いんじゃないでしょうか。


まあこのように悪魔云々が取りざたされるのは、もちろんキリスト教が欧米人の精神生活の根幹であることと密接に関係がある訳です。反キリストとしての悪魔の存在は、どうやら日本人が考える以上に欧米人の精神的基盤をおびやかすものであるらしい。というわけで、悪魔を扱った代表的な映画をみてみましょう。


まず『オーメン』(76年/米)。頭に666の痣をもつ悪魔の子、ダミアンをめぐる余りに有名な映画です。キリスト教が生活に根ざしたところでなければ、反キリストとしての悪魔の真の恐ろしさは判らないような気もするんですが、この映画はそういう恐ろしさを描く一方で即物的な残酷さも強調。日本人にも分かりやすい内容になっています。まあ要するにダミアンの正体を見抜いた人がつぎつぎ色んな方法でお死にになられるわけで、その豪快な死にっぷりが怖いもの見たい観客の心をワシッと掴んだと思われます。特に落下してきた避雷針に串刺しにされて死ぬ神父と、巨大なガラス板で豪快に首チョンパされるカメラマン。この二人の死にっぷりは鮮烈のひとことで、余りの見事さに中坊のころこのシーンをビデオを逆再生したりコマ送りにしたりして遊んだ覚えがあります。非常に恐ろしくインパクトのあるシーンですが、アメリカでは公開時にこの首チョンパシーンで何の加減か拍手喝采が起こったとかで、さすがヤツらの感性はひとあじ違うぜと感無量です。


とまあコレがおおウケしたのに味を占めたのか、続編の『オーメン2/ダミアン』(78年/米)では人死にのバリエーションがググッと増量。あの手この手でスパンスパン人が死に、映画史上でも稀に見る珍死にシーン満載の見世物ムービーと化していました。遺跡が崩れて生き埋めなんてのは小手調べ。カラスに目玉を突かれて目から血ィダラダラのオバチャンが、ヨロヨロ道路にさまよい出たところをトラックにポクッと轢かれたり、また別な人は列車の連結器と連結器の間に挟まれて食べかけのカツサンドみたいにされたり、ある人はエレベーター事故の果てにワイヤーで胴体を輪切りにされてマルサンのソフビ人形みたいになったり、その死に方の凝りっぷりはもはや映画の本筋が2万光年の彼方にかすむ力の入れよう。トラウマ場面としては、氷の張った湖で遊んでいた子供が突如氷が割れて落水。そのまま氷の下を流されて行方不明に、というシーンがあり、透き通った氷の下を子供が流されてゆくカットはとにかく戦慄のひとこと。まあプールか何かで潜っている時に上からガラスでピッタリふたをされた時のことを想像していただければ、このシーンが如何に恐ろしいかが御理解いただけると思います。いやあこんな死に方だけは堪忍して欲しい。まあこのように人死に場面は耳から血が噴出しそうな頑張りっぷりですが、肝心のダミアン君が微妙にパタリロに似ていて緊迫感を欠くのが惜しいです。


悪魔と言えば、もう一方の大ヒット作品が『エクソシスト』(73年/米)。最近ディレクターズ・カットがリバイバルされたのでお馴染みですね。少女に取り憑いた悪魔と、それを祓う神父との壮絶な戦いを描いた傑作です。神と悪魔の戦いの裏には親子の世代間の断絶というテーマが隠されており、意外と奥深い話なのですが、グロ描写が強烈すぎるゆえに日本では完全にキワモノ扱いなのが無念です。有名なドタマきりきり180度回転や、緑色のほかほかゲロ噴射、少女の股間に十字架グッサリなどショッキングな描写は多いですが、ここはあえて前半の病院のシーンを挙げておきたい。悪魔憑きの症状が現れ始めた少女リーガンが病院で検査を受けるんですが、首だか肩だかの血管に管を刺されるわけです。するとその管からどすぐろーい血がドックドックと心臓の鼓動に合わせて水芸のようにピルピルまき散らされるという、痛々しいやら生々しいやら、血に弱い人はたちどころにもらい貧血という隠れた名トラウマシーンであります。


で、これも大ヒットしたので御多分にもれず続編『エクソシスト2』(77年/米)が作られたわけですが、あまりに観念的な内容で劇場の観客をケムにまきまくって大コケ。以後一般的には問答無用で駄作箱へ直行の悲惨な扱いだったのですが、内容の深遠さのおかげで再評価され、現在では見事カルト映画に化けました。やたら観念的な描写が多い以外はあんまりコワい映画ではないですが、4年の歳月を経てあのイタイケだったリーガンがモンドセレクション金賞級の巨乳娘に成長。映画の内容とは関係なく桃色のトラウマを振りまいているのがブラボーでした。


さて、ここいらで怖い関係の映画は一段落。次回はもうちょっと違ったジャンルからトラウマ映画を拾い集めてみようと思います。以下次回。


(2006年04月16日)