【再録】トラウマ洋画劇場(第三回)

…えー引き続き「トラウマ洋画劇場」をお送りいたします。





【再録】トラウマ洋画劇場(第三回)
「サスペンス編」


えーでは続きです。コワーい映画の中でも、今回は特にサスペンス色の強いものを集めてみました。前回のスプラッタものが即物的な怖さに秀でているのに対し、こちらは当然心理的にジワジワ来るものが多く、トラウマ度もひとあじ違います。では、そのなかでも精神的なダメージが大きいサイコものから攻めてみましょう。


■おサイコ映画とトラウマ


サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作中の代表作『サイコ』(60年/米)。この人は監督としてのキャリアをコワーい映画に捧げ倒した人ですが、英国紳士らしく基本的にお上品な作風なのでトラウマ源となる映画は意外と少ないのですね。えーそんな中、例外的にこの映画は強烈な描写が満載でハラショーです。あまりにも有名なシャワー・ルームでの惨殺シーンや、最後、犯人(?)がゆらりと振り返ったときの世にも恐ろしい顔…とショック描写はかなり強力。白黒映画ですが、強烈に血の色を感じさせる映画でした。そしてタイトルが示す通りの犯人…。人間の心の闇の深さをチラリと見せつけてくれます。


この『サイコ』を直接の先祖として、現在のサイコサスペンスの盛勢があるわけですが、それをひとつのジャンルとして定着させたのが『羊たちの沈黙』(90年/米)です。レクター博士というロクでもないキャラクターを生み出した点でつとに有名ですが、トラウマポイントは本筋とはあんまり関係ない所に。レクターの監房を訪問したクラリスが、隣の監房のガイキチ様からいきなり白い体液を投げつけられたり(ヒー!)、犯人の男が殺した女性の皮で造ったチョッキを身に付け、化粧して珍妙な踊りをご開陳したりと随所に嫌シーンを奮発。全国のお子さまが「ママー、あれ何してるの?」と難問を親にぶつけたのではないだろうか…と硬直するお茶の間が目に浮かびます。そういや続編の『ハンニバル』(01年/米)は血なまぐささと悪趣味さがさらにエスカレート、特にラストの晩餐シーンのアレの活け造りは「悪趣味さ」において史上かつてない凶悪さに至り、TV放映されれば全国にトラウマの嵐が吹き荒れることと思われますが、そのままでの地上波放送は多分無理でしょうね。





付記:この後実際に日曜洋画劇場で『ハンニバル』が放送されましたが、ラストのうきうき晩餐シーンが丸ごとカットされていたとの由。うーむ。納得いくようないかないような。しかしこれ最後に食べようと楽しみにとっておいた弁当のトンカツが実は衣だけでしたというようなもんなので、そんなの出すくらいなら最初から放送すんなようと言いたい。





『サスペリアPART2』(75年/伊)。これは『サスペリア』(前回紹介)とは内容的に何の関連もなく、日本の配給会社が『サスペリア』のヒット後に同じ監督の過去の作品をムリヤリ続編と言い張って公開したという、まあサモ・ハン・キンポーの主演作が日本では内容とは関係なく全部デブゴンになってしまうのと同じ事情による邦題なのですが、映画は傑作です。内容はサイコ系シリアルキラーもの。そのおサイコ様の演出が、子供の持つ無邪気さや残酷さをことさら強調するようなもので、人形にブスブス針さしたり天井から首吊りにしたり、人殺しの現場を描いた爆裂にイヤな感じの児童画が出たりと無気味さはピカイチ。また殺しの描写も、肉切り包丁で百たたきとか、熱湯に顔面浸して皮膚デロリンとか、ネックレスがエレベーターのドアに挟まって首チョンパとか、無闇にヤル気まんまんです。最悪なのが殺しの小道具に使われる無気味な歩行人形で、殺しの直前にケタケタ笑いながらイヤな笑顔でこちらに向かって来る様は悪夢以外の何ものでもなく、こいつの幻影に悩まされて泣きが入った子供は数知れず。極悪です。


それから最近のサイコ系で白眉だったのが『セブン』(95年/米)。およそ人間が考え付く限り最悪な殺人方法をずらりと7つ揃えてみました、という殺しの日替わり定食。結末が容易に想像のつく映画ですが、この映画に限っては「まさかそんな結末があっていいハズはない…」と想像すればするほど恐怖が増すという嫌がらせのような構造になっております。とにかくこの作品は部分部分でなく映画全体がトラウマで、観たあとの後味は最悪レベル。わたくしの友人はおめでたい席の直前にこの映画を観て激しく後悔したそうであります。つーか観んなよ。


『シャイニング』(80年/米)。これは幽霊屋敷の話で、厳密にはオカルトの部類に入りますが、スタンリー・キューブリックはかなり確信犯的にサイコホラーっぽく仕上げております。だんだん狂っていくジャック・ニコルソンの顔はもはや放送禁止寸前。その顔でドアの裂け目からニッコリ御挨拶、というショットは余りにも有名で、わたくしの友人にもあの顔が怖くて直視できないという人がいました。他にもこの映画には、唐突に出現する双児の女児の幽霊や、ゲハゲハ笑いながらこちらへ迫ってくる全裸のババア幽霊、エレベーターから滝のように溢れ出す血など、イヤーなイメージが随所にちりばめられててトラウマ度は高いです。


■その他のサスペンスもの


『遊星からの物体X』(82年/米)。これはまあグロの部類になりますけど、サスペンスも際立っております。南極を舞台にしたエイリアンものですが、とにかくクリーチャーの造型が狂っており物凄いインパクト。犬の口が4つに裂けて無数の触手が生えてきたり、人間のちぎれた頭部からカニみたいな足が生えてトコトコ逃げ出したりと変態度はオッペケペです。このバケモノが人間に取り憑いて同化、南極基地という限定状況のもと、隊員同士がお互いをギスギス疑いあうというシチュエーションでサスペンスが盛り上がります。血液検査をすれば判定可能ということで、全員が親指の腹をザックリと切って血を採るシーンがありますが、ここの描写がヤケにリアルで血に弱い人はクラッときそうな感じでイヤーンです。


それから『キャリー』(76年/米)。学校ではいじめられ、家庭では狂信的な母親に蔑まれ、という可哀想なキャリーという女の子が、実はキレると念力が使える超能力者で…という話。キレたときのキャリーもハサミとか包丁とかをビスビス飛ばすので相当怖いですが、クラスメイトのイジメもパーティ会場で頭から豚の血を浴びせるといった酸鼻なもので、せっかくの晴れの舞台で豚の血を浴びせられたキャリーの姿は痛ましくも恐ろしいものでした。その後ブチ切れたキャリーは怒りゲージがMAXに達し、念力でパーティ会場を築地の魚市場みたいにしてしまいます。しかしこの映画の本当のトラウマ場面はここではなく実は最後の最後。今でも語り種のラストシーンは知らずに観てると直球で腰が抜けます。夢に出ますね。いやホント。


■邦画って結構…


さてここまでは洋画に焦点を絞って紹介して参りましたが、もちろん日本にもコワーいサスペンス映画は売るほどあるわけで、むしろ日本人にとっての恐怖のツボを的確に突いて来る分、トラウマ度は高いわけです。


『八つ墓村』(77年/日)。おそらく邦画のトラウマ映画ベストワンの座ををブッチギリで獲得すると思われる、トラウマ界を代表する一本。原作は御存じ横溝正史の超有名ミステリー。岡山県の山奥の村で、大昔の落武者虐殺事件に端を発する祟り伝説。その村で発生する連続殺人事件!というわけで全編に田舎のボットン便所のような怖さが充満しております。なかでも三十二人殺しの場面はシャレにならない凄まじさ。猟銃と日本刀をかついだ山崎努が桜吹雪の下を駆け抜けるという超有名シーン。白塗りで悪鬼のような形相の山崎が、無表情のまま村人を次々と虐殺してゆきます。とにかく夜の民家に押し入って寝ている村人を斬ったり撃ったりして殺す様は悪夢そのもので、安全なはずの自宅に押し入られて殺されるという逃げ場のない怖さは子供にはちょっとキツいものが。夜中のトイレが遠いです。


他にも、存在が妖怪寸前の双児の婆さんとか、毒殺シーンで年寄りがブクブク泡吐いたりとか、落武者惨殺シーンで田中邦衛の首が飛んだりとか、洞窟の中の鎧武者のミイラとか、最後の最後に悪鬼のように豹変する真犯人とか、枚挙にいとまが無い充実のトラウマっぷり。一応は本格ミステリーだった原作を大幅にアレンジし、犯罪行為そのものよりも祟りと因縁を全面に押し出した脚色が光っており、お盆の線香くささが似合う土俗性あふれる恐怖が満載です。


横溝正史と言えば、忘れてはならないのが市川崑による一連の金田一耕助シリーズ。これも死ぬ程TVでリピートされてますね。どれもこれも血まみれの死体だらけでトラウマの運動会状態でした。『犬神家の一族』(76年/日)は有名な逆立ち死体と助清マスクの恐ろしさでつとに有名。とくに湖面から突き出た二本の足が全国の子供に与えた影響は大きく、その後もプールや風呂で逆立ちして鼻から水を吸いこみむせ返るガキが続出。他にも『獄門島』(77年/日)の釣り鐘の中の死体や、『女王蜂』(78年/日)の歯車に引き裂かれた死体、『病院坂の首縊りの家』(79年/日)の生首風鈴など、お子さまの情操教育を台無しにするシーンが満載。エロ方面でも陰湿なシーンが多く、全国のいたいけなお子さまの心にムズ痒いそよ風を吹かせたものと思われます。このシリーズが現在のクリエイターに与えた影響は計り知れず、『新世紀エヴァンゲリオン』など、映像面やタイポフェイスの面で影響を受けた作品が次々と世に出ました。きっとみんな仲良くトラウマ植えられたんでしょうね。


金田一ものは他にもいろいろと映画化されましたが、トラウマの面で光るのは市川崑のシリーズが完結したのちに作られた『悪霊島』(81年/日)。中身はホドホドの酸鼻さで、これは特にどうということは無いんですが、わたくしの場合家族みんなでこれのTV放映を観ておりましたところ、当時すでに四十路を越えた岩下志麻が突如錯乱、和服姿で激しく自慰を開始するという世にも恐ろしいシーンに遭遇。一家四人の団欒が一瞬で凍り付いたという経験があり、あの気まずさと恐ろしさはちょっと言葉では表現できません。


金田一ものは時代がかったケレン味が大きな魅力ですが、反対に社会派のリアリズムが魅力なのが松本清張。このひとの小説も多数映画化されています。『砂の器』(74年/日)『張込み』(58年/日)といった渋い名作のなか、トラウマ度が極めて高いのが『影の車』(70年/日)です。ある男が子連れの後家さんと愛しあうようになるのですが、後家さんとの仲が深くなるにつれてその年端もいかない子供から殺意を感じるようになり、いろいろ身辺に不審な事故が続いたあげく、とうとうその子供に襲われて殺されかけたところを逆に返り討ちにしてしまいます。警察に捕らえられ、男は正当防衛を主張しますが、「子供に殺意があるものか」と警察は取り合ってくれません。しかし男には「子供にだって殺意はある」ということを決定的に証明する過去があったのです。なぜならそれは…。


この映画の悪魔的に恐ろしい結末は未だに私の心から離れません。こういう何気ない日常に忍び込むような恐怖は、日本映画の得意とするところだと思いますし、それを最も理解できるのもまた日本人である我々だと思うのです。


まだまだコワい映画の話は続きます。次は最近また盛り上がりつつある「オカルト/心霊ホラー」をネタにお送りする予定です。以下次回。


(2006年03月11日)