えーというわけで、いかりや追悼。ううっ…(涙)。訃報を聞いてからの一週間は朝起きてテレビをつければ必ず流れているいかりや関連のニュースに大なり小なり泣かされてから会社へという「おしん」本放送時の専業主婦のような状態にて涙腺乾く暇なし。告別式のあった夜は酒瓶片手にネットでその記事を読みつつも涙で前が見えません!長さんタスケテー!という、まさか自分の中にこれほどのいかりや愛が眠っていようとは…と慄然とするほかはない事態に。ネットを見ればそれは決して自分だけのことではないようで、あちこちに溢れる長さんを惜しむ声、声、涙声。改めてドリフ世代における長さんという存在の大きさを知った次第であります。
しかし、ワイドショーなどで出てくるのは決まって「全員集合」や「ドリフ大爆笑」、あるいは「踊る大捜査線」の映像ばかりで、古いものでもせいぜいビートルズの前座をやったときのものが関の山。たしかにそれらは代表作ですし、それにふさわしい知名度をほこるものばかりですけども、ここまでスコーンと忘却するたあどういうことだ。かつてのドリフと言ったらアレだろう!映画だろう!主演作が一体何本あると思ってるんだエエエ!20本以上ですよ!ガンガンガン!(金タライをたたく音)。というわけでせめて当サイトぐらいは映画におけるドリフと長さんの功績を讃えたいと思います。
というわけでお題は『ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓』。制作が1969年ですからちょうど全員集合が始まった年ですね。このころはまだシムラのシの字もなくて荒井注がドスの効いた声で「なんだバカヤロウ」とお茶の間にメンチを切っていたころらしい。私まだ生まれてないのでよくわかりませんが。
映画は高知県のドが20個ぐらいつく田舎から始まります。「ここは…日本で一番日当たりのいいところ」とホノボノしたテロップ。広がる農村ののどかな風景。和みます。するとバス停に停まるトロリーバス。中からゾロゾロとわいて出てきたのは我らがドリフターズの面々。見た目はコンテンポラリーなジャパニーズファーマースタイル(モンペに編笠)ですがあからさまに挙動不審。バスを降りたその足でいきなり農協を襲撃しますが、あっさりつかまって農民にボコにされ、警察に引き渡されて懲役一年の実刑判決。ここでタイトル『ドリフターズですよ!特訓特訓また特訓』。景気のいい題名に反してタイトルバックは手錠を数珠つなぎにされて四国刑務所に連行される5人のイラスト。農村のほのぼのした出だしからは2万光年も離れたブラックなテイストが炸裂しております。
さて一年後。無事おつとめを終えて娑婆に戻ってきたドリフの5人は高知城に登り、眼下に広がる風景を眺めながら出所後の夢を語り合い、真っ当な社会人になることを誓って兄弟の杯を牛乳でかわし、一年後の再会を約束して散り散りになるのであった(BGM:北島三郎)。…となかなかの更生っぷりですが、わずか一週間後に同じ場所で再会。ハトのエサを拾って食っている弟分4人をみて長さんは説教をかまします(BGM:北島三郎)。「出来の悪い弟分ほど可愛いもんよ」と5人を女房の待つ土佐清水へ連れ帰る長さん。
帰るなり女房(山本陽子)からは「その長いドタマかち割るぞ!」と愛あふれる歓迎が。しかも母は長介の親不孝っぷりを嘆いて「長介のバカヤロー!」と言い放って絶命したといいます。自らまいた種とはいえ、あまりの事態に世をはかなんだ長介はいやがる4人をロープで数珠つなぎにして足摺岬から浮かばれないダイブを画策。弟分どもの説得で一度は思いとどまったものの、慌てた高木ブーがうっかりダイブしてしまったために引っ張られてアデランスのCMのように海に吸い込まれてゆく五人。さすがブー。こういうときの足の引っぱりっぷりは彼にしかできない芸当です。匠です。
というわけで見事足摺デビューを果たした彼らですがしぶとく生き残り、西村晃の坊さんに拾われて出家してしまいます。釈然としない顔で修行僧の姿になっているドリフの5人。坊さんというよりは年老いた吉井和哉にしか見えない西村晃。だんだん面白くなってきました。
傍若無人な怪演が炸裂する西村晃。奴の「イッテコイ」の一言でドリフの5人は托鉢に出されます。野を山を、海辺を街を、そしてキャバレーを托鉢して歩く5人。そしてテロップ「一年たった…」。たつなよ。この展開の早さというかヤケクソ感が、劇中の彼らのローリングストーンっぷりを強調していてイイ感じ。しかし一年にわたる托鉢ツアーの果てに彼らは公園とかでたむろしている自由人のような姿になって行き倒れてしまいます。
通りすがりの農夫に発見され、リヤカーで運ばれてゆくドリフの5人。着いた先はちょっぴり大きめの焼却炉。というか火葬場。地べたに並べて安置されるドリフの5人。そこへ登場するのが民間斎場作業員(劇中ではそのものズバリの単語をピー音なしでズバッと言っちゃってますが、ちょっと気まずいのでこれで勘弁してください)の三木のり平。ナマンダブナマンダブとつぶやきながら炉に火をくべると死んでたはずのカトちゃんが脱兎のごとく飛び出してきたので驚いた。ついでにいうとのり平は長さんの予科練時代の戦友で感動のご対面。
息を吹き返した5人はのり平の家に呼ばれ、再会を祝して宴会。のり平はその日暮らしの気楽な民間斎場作業員ですが、生活に困ったことはないよ!だって死人の金歯を売れば儲かるからねダーッハッハッハ!と生活の知恵をご披露。しかしこのシーンは何度見ても凄い。このシーンがあるかぎり未来永劫TVでの放映は不可能でしょう。ケーブルTVですら一度は放送を見合わせたほどの人権的に気まずいシチュエーション。それに加えて民間斎場作業員という言葉に言い換えられるところの熱い単語がピー音無しでスパンスパン飛び交うスリリングさは筆舌に尽くしがたいものがあります。
さて、そののり平こと民間斎場作業員の話によれば、予科練時代の戦友の一人が東京で一旗あげたとの由。しかもそいつは仲間うちでもヘタレで通っていたポテチン野郎ときた。あいつにできるならおれだって…と、いかりやは一念発起して上京を思い立ちます。直後にテロップ「歩き続けて二ヶ月後」。ライク・ア・ローリング・ストーン。ボブ・ディランも頭を丸める凄まじき血の轍っぷり。
さて二ヶ月かかって東京へ到着したドリフご一行。Mr.ヘタレが起こした会社の朝礼へノコノコ顔を出します。この会社がまた凄い。従業員は全員カーキ色の軍服にゲートル。社長(左とん平)は将校の服装に光る勲章。しかも自分のことを「朕はァ〜」と言い切ってはばからないデンジャラスミリタリーガイ。そんなガイキチ魂が沸点に達した連中ですので昔の義理が通るわけもなく、逆に大日本帝国海軍名物・精神注入棒なるタダの木切れでケツをスパンスパンいわされ、ドリフ一行は屈辱の極みにさらされます。このへん、昔の精神論ばっかりで実力がともなわない軍国主義への憎悪がみなぎってて実に怨念めいてます。
…と思ったら長さん精神注入棒をゆずりうけて「ありがとうございます!」なんて決死の形相で礼なんか言ってる。げに恐ろしきは精神論と昔の性癖。精神注入棒で大脳がショートした長さんは「海軍精神に退却はない!」ともの凄いことを口走りながら川べりの廃船を乗っ取り、船長気取りでメンバー4人を駆り立ててクズ屋を開業。全くもって軍隊のノリで4人をしごきたおします。曰く「企業、すなわち戦争である!」…まあふつうの企業の社長がこれを言っても単なるモーレツ社長の前のめり発言ぐらいにしか思えませんが、海軍の士官のカッコをした社長が棒切れ片手にこれを言った場合にはかなり真性の何かがあると言わざるを得ません。しかも何かというと精神注入棒でケツをガスガスしばき倒す。乗っ取った船にはまごうかたなき日章旗がハタハタと風になびく。たとえパロディとはいえ、今の邦画でこれをやるのはそれなりに覚悟が要ります。このころの日本はハングリーでした。
海軍精神の甲斐あってかクズ屋はなんとか軌道に乗り、5人の食い扶持くらいは稼げるようになります。食事のシーンなどもあるのですが、いかりやに怒られたカトちゃんが腹いせにフケとかクレンザーとかをみんなのメシに交ぜて食わせ、その夜トイレの前で阿鼻叫喚のパニックが起きる、というドリフまるだしギャグも入ってて実に和みます。そんなこんなでやっと根無し草生活も終わり、安定した海軍生活に突入、日々仕事に邁進するのみ!…と思ってたらここでまたトラブルの種が。いかりやの義理の妹ケイコちゃん(中原早苗)がなにを考えたか小説家を目指して高知からノコノコ上京。5人が住む船に居座ってしまったから大変。なにせハシゴを上り下りするたびエロいサックスの音色でせくしーな調べが鳴るような有様で、なおかつ不倫小説を書いてキワドいくだりを朝っぱらから朗読なんかするもんだから5人の狼どもはどうにも落ち着きません。
自活のためにバーで働き始めたケイコちゃん。丹田のオギオギが止まらないいかりや除く四人は彼女の働くバーに繰り出して命の洗濯を図りますが、カウンターでいかりやの悪口をマシンガンのように口走って盛り上がっているところへ当のいかりやが精神注入棒をペチペチしつつ登場。イイ気になっていた4人はバーのカウンターで力の限りケツをいわされ、泣きながら船へ逃げ帰るハメに。憮然とカウンターへ座り込んだいかりやにケイコちゃんは怒り心頭ですが、そこへ近づいてきたのはブラジル日系二世の億万長者(有島一郎)。やってくるなり「気に入ったッ!」といかりやの軍国主義にリスペクトのポーズ。「ミーのコーヒー園の跡継ぎはこの人に決めたぞ!」とホラなんだかマジなんだか判らないフレーズを吐きます。
コーヒー園の誘惑に目がくらんだいかりやは例のボロ船で太平洋を超えてのブラジル行きを決意。こらシャレにならんと狼狽した4人はいかりやをなんとかせにゃーとガン首そろえて相談していると、なんとも絶妙のタイミングでいかりやの女房が妹(つまりケイコちゃん)を連れ戻しに東京へやってくるとの電報が。しかも単身ではなくケイコちゃんのガッコの先生と連れ立っての来襲ときた。ここで仲本工事が絶妙の悪知恵を眼鏡の奥でスパーク。奥さんと先生が不倫しているように思わせていかりやを自殺に追い込もうという悪魔のようなプランにドリフの4人は小躍りします。その策略にまんまとのせられたいかりやはチューをかましている(ように見える)二人を目撃。ショックのあまりうつろな顔で天井からロープを吊るします。その様子を嬉々としてしてみまもるドリフの4人。「天皇陛下バンザーイ!」と叫びながらロープに首を通すいかりや(しかし女房に不倫をされてこのフレーズで自殺するっていうのはどうなのか)。が、運がいいのか悪いのか、ぶら下がった途端にロープが切れて自決失敗。するとそこへ絶妙のタイミングで女房が帰ってきました。
4人の策略が明らかになってもしょげ返っているいかりや。女房の方はもちろん不倫しているはずもなく、単に高知を飛び出してきたケイコちゃんを連れ戻しに来たことが判明。ケイコちゃんに向かって怒鳴ります。「アホッ!おまえのその小説(ブツッ)を止めさせようとして四国から出てきたんじゃ!」なんかいま不自然なところで音声が切れましたが、そんなことですんなり言うことを聴くケイコちゃんであるはずもなく、嘆く女房。「ああーケイコは小説(ブツッ)じゃし亭主は海軍(ブツッ)じゃしわしゃぁもう(ブツッ)になりそうじゃけん…」。問1)(ブツッ)の中に当てはまる語句を答えなさい。このへんからこの映画、こころなしか台詞がブツブツ飛んで満足に聞き取れなくなってきます。民間斎場作業員に言い換えられるところの語句がオッケーでこのブツッの実体がアウトというのはどうも納得がいきませんが、まあ所詮マスコミの自主規制なんてものはその程度のものです。
怒り心頭の女房の発言から、じつはいかりやは軍隊時代はエライ人でもなんでもなくタダの二等水兵だったことが判明。これまでの恨みがついに爆発してドリフの4人はついにいかりやを精神注入棒でどつき回します。この期に及んでそんなアホを繰り広げるボンクラの群れに女房もついにあきれ果てて号泣。その姿にいかりやも己が情けなさを悟って号泣。そして夫婦は手と手を取り合って仲直り。とたんに初デートの中学生のように恥じらいはじめるのであった。っていうかこの純情さはどうだ。日本はいつのまにこの素朴さを忘れてしまったのか。泣けます。
さてケイコちゃんは先のブラジル富豪からシャレだか本気だか判らないプロポースを受け、冗談半分でブラジル行きを宣言。それを効いたドリフの下っ端4人はせっかく夫婦仲の戻ったいかりやを強引にねじ伏せて、ボロ船に最新エンジンを積んで東京湾からブラジルへ出航!たくさんの日の丸に見送られ、晴れがましい顔の4人ですが1人いかりやだけが複雑な表情。見送りの中にはあのブラジルの億万長者がいて「さらば行け!ニッポン男児よー!」なんてヒトゴトみたいに叫んでますが、やがて人ごみの向こうからピポピポやってくる救急車。車体にはデカデカと「国立精神病院」の熱い文字が。そして億万長者の脇に駆け寄る救急隊員。つまりブラジルの自称億万長者は国立病院お墨付きのホンマモンだったわけで、ピポピポ搬送される奴を見送り呆然としたケイコちゃんはボソリと「あのおっさん、(ブツッ)か…」と不明瞭なセリフをつぶやいてブラジル行きはキャンセル。
そんなこととはつゆ知らず。ドリフ御一行は東京湾上をボロ船で前進しながら軍艦マーチを奏でます。晴れがましい船出の場面とは逆に、なんとなく漂う不気味さ。いたたまれなさ。晴れの船出のはずなのに、死出の船出のような先行きのマックラさ。結局この船はネズミによって船倉に穴をあけられ沈没の憂き目に遭う…のですが、直接その描写を描かずにあくまで浮かれてマーチを吹きまくる五人のシーンで締めくくるとこなど、ブラックな味が満載。作り手のものすごい悪意を感じて思わず口元がニヤリとします。
ドリフの映画というオブラートに包まれてはいますが、内容は戦中の軍国主義、精神論ばかりで裏打ちゼロの気合いがあればなんとかなる主義を猛烈に皮肉った強烈な毒であります。娯楽映画の皮をかぶった容赦のない批判はこの時代の特有のものですが、時代の趨勢とはいえなぜ今の日本でこういう映画が作られないのか?作るとしたら今しかないんじゃないのか?右に寄るにしろ左に寄るにしろ、それを娯楽という甘い包み紙にくるんで毒として大衆に盛る役割を、なぜ今の邦画メジャーは放棄しているのか?それともそう機能すること自体が不可能なのか?そんなことすら深刻に考えさせる重喜劇でした。むき出しにすれば重苦しい内容を、ドリフという中和剤を投入するによって娯楽映画として成立させ、わけてもいかりや長介という存在が自ら進んで憎まれ役を演じることによって娯楽性と批判性の両方を獲得してしまったという、日本映画の隠れた名作。あらためてドリフの中で長さんがどういう役割を担っていたかを思い、その存在の大きさに我々はまた涙にくれるのであります。南無。ありがとう、長さん。あんたはグレイトだったよ。
(2004年04月03日)