という「若人あきら海岸で発見!」並みに衝撃的なニュースが流れたのは1999年2月のことでした。
「あのシベ超がついに地上波に…」
放送は関東ローカル、しかも深夜枠とのことでしたが、仮に視聴率が1%程度だったとしても東京都内だけで優に10万人以上の人があの脱力ムービーの威力にさらされる事になり、その結果当日の夜から翌日の朝にかけて首都の機能に深刻な障害が出るのではないかと心配になる一方、その10万の都民が一斉に
「なんだこりゃ!」
「なんだこりゃ!」
「なんだこりゃ!」
とTVの前で突っ込みを入れるという大規模なシンクロニシティを想像して、なにかこう非常にスウィートな気持ちになったりしました。とはいえビデオ版を既に浴びるほど観ているわたくしとしては「そろそろシベ超もねえ…」とやや飽きが来ていることも事実で、晴郎の事務所が倒産したとの情報を思い出して「とうとう放映権を叩き売ったのかしらん」とボンヤリ思いを馳せる程度だったのです。
しかしそんなある日、さる情報筋から突然「シベ超の放映時間は90分」とのネタが飛び込んできたのです。90分!たしかビデオ版は80分程度だった筈。では残りの10分間は一体?と勿体つけて書くのがこっ恥ずかしいほど答は明快です。つまり放映されるのは完全版。それ以外の可能性はまるで考えられません。これにはさすがの私も度肝を抜かれましたね。ビデオ発売の可能性もなく、劇場で観ることもままならないと思われていたあの幻の完全版が、いきなりTV、それも地上波ですぜ。余りの事の重大さに「さすが世紀末だ!」と冷静に考えても全く脈絡のない感心の仕方をしつつ、早速東京の友人に録画を依頼。指折り数えてテープの到着を待ったのです。
放映直後のネットでは、あちこちの掲示板に
「私も観た!」
「スゴ過ぎ!」
「死にそう!」
と驚きの声がぞくぞくとアップされていたと記憶しております。その夜東京都民が発した突っ込みのエネルギーは関東一円に充満、放電現象を起こしている様子を人工衛星ひまわりがキャッチした、という気象庁の報告があったかどうかは知る由もありませんが、実際シベ超の放つ虹色のオーラにあてられて一睡もできなかったという人は存在したようで、改めてシベ超の持つ底知れぬ破壊力に戦慄を覚えたことであります。
そしてついに手元に問題のテープが密送されて来ました。早速デッキに挿入し再生ボタンをピッ。ちょっと早めに録画を開始したのか、半裸で謎の歌を歌うなぎら健壱の映像が入ってたりしてナイスです。ほどなくして映画枠がはじまりますが、最初はなぜか日テレの女子アナが香港の街をねりねり歩き、レスリー・チャンのマンション前でカメラ片手に身をよじっているというどうでもいい映像が延々流れ、肝心の映画の内容については一切触れようとしないあたりが番組プロデューサーの苦悩を感じさせます。
で、さんざん待たされてようやく映画のスタートです。いきなりビデオ版にはない映像で幕を開けます。
妙に自信満々な字幕のあと、建物の中を見事な脚の女性がツカツカ歩いている映像が出ます。顔は見えないこの女性、どうやらドアの向こうの会話を盗み聞いている御様子。どのドアの向こうからも戦争についての会話が聞こえて来るあたりがまるで寺山修治の観念劇のようです。
と思うと次は某所の岸壁。紳士が突然断崖から身を投げますが、風圧で手足が人間の関節の構造を超越した向きに曲がっているあたりがほのかに土曜ワイド劇場のテイストを感じさせます。ハイ、ここまで伏線です。よく覚えといてください。
ここからビデオ版と同じ内容がスタートします。別頁に詳細がありますのでここでは詳しく触れませんが、やはりいつ観ても独特のテンションを誇る晴郎の演技には抜毛も増える思いがいたします。なおビデオ版と違ってCMがときおり入るため、オリジナルよりもテンポが良く感じられるという珍しい現象が起きています。映画全体を包むまったり感に脳がやられかけた所でいい感じにCMが入ってリフレッシュ、という効果もさることながら、タダのCMがこんなにもイキイキ輝いて見えるという脅威の映像マジックには岩井俊二も平謝りです。
眠りかけてはCMで起こされ、また眠りかけてはCMで起こされ、と秘密警察の拷問のような80分が過ぎ、例の「戦争はぁ〜こんなぁ悲劇まで…」という台詞のあとクレジットが出て主題歌が流れ、画面が一瞬真っ暗になります。さあ、いよいよ幻の展開の始まりです。
「カァーット!!」
来たかあっ!…画面は一瞬にして明るくなり、妙にホンワカホンワカしたBGMに乗って出演者たちが笑顔でセットから出てきます。
「いやぁ〜どうもどうも」
とナチュラルに微笑む晴郎。暖かく出迎える出演者たち。その不気味なまでに和やかな雰囲気はこれまでの重苦しい展開を全く無に帰しています。
「いやぁ〜名演技だったよ」
と出演者に握手して回る晴郎。笑顔で応える出演者。その様子からすると本当にいい雰囲気のなかで撮影は行われたのだろうなあと気がなごみますが、出演者たちもまさかこんな壮絶な出来になるとは夢にも思ってない御様子。
そして最後にかたせ梨乃が登場。「わたしは女優よ!」というオーラを全身から放ちつつゆっくり歩み寄って来ますが、唐突にヘタッとその場に倒れ込みます。
駆け寄る出演者達を晴郎が「さわっちゃイカンさわっちゃイカンさわっちゃイカン」と巨体を盾に押しとどめます。倒れてんだから脈ぐらい見ろよ!という我々の心のツッコミをよそに、青山役の菊地さんが死体を一目見ただけで「何か飲まされてる」とエスパーのような観察力を発揮しますが、そんな些細な所にいちいち突っ込んでるとサーバの容量がいくらあっても足りないので止めましょう。まあこれは明らかに殺人事件です(シベ超の世界観では)。ぼんちゃんが慌てて叫びます。
「警察呼びましょう!」
む、なにやらシベ超の世界では不自然なほど真っ当なセリフでありますが、当然そんな凡庸な展開には至りません。晴郎がいつのまにか山下大将の表情にもどり、全員の顔を見回しつつ自信タップリに言い放ちます。
「この中に、犯人がいる!」
まさにキング・オブ・棒読み。死人の心電図のような抑揚で喋る晴郎の推理に死角などあろう筈もなく、不審なほどスピーディに彼は犯人をいい当てます。
「犯人は、車掌役の、君だ!」
そうです。犯人は車掌役の占野さんだったのです。彼はかたせ梨乃がミルク好きなのを利用し、毒を盛って殺したのです。ちなみにここでかたせ梨乃が牛乳をジョッキでイッキ飲みするシーンが入りますが、一体このシーンで何回NGが出たのかなとワクワクしてしまうのがドリフ世代の性と言えましょう。
あっさり観念した占野さんはがくりと崩れ落ち、犯行の動機をせつせつと語り始めます。ここでの彼の演技はまさに一世一代の熱演、いかにも切なげな表情で
「あのオヤジの涙の思い出がどうしても忘れられない!」
「彼女が刑事の娘と知ったとき、私の心は決まったァ!!」
と見事な詠嘆調で長台詞を朗読。その中途半端に感情がこもった口調には晴郎の棒読みにも匹敵するインパクトがあります。
どうもよく話を聞いてみると、彼の祖父が戦争中に当局の弾圧をうけて自殺(ここで冒頭の身投げシーンが出てきます)、その祖父を自殺に追いやった刑事がかたせ梨乃の父だった、という事らしいですが、果たして人間そんな昔の因縁で他人にホイホイ毒を盛れるのか、という疑問はたとえ頭に浮かんだとしても口には出さないのが優しさというものでしょう。
言うだけ言ってしまうと占野さんは小瓶から毒をあおってドテッと倒れます。かたせ梨乃が毒ミルク一気飲みから死ぬまでにはかなりのタイムラグがありましたが、この場合は毒を口に含むと同時に倒れており、ああやはりデブは吸収が早いのだなあと心にもない事を考えて自分を誤魔化したくなります。
外国人キャストたちは大変嫌な気分になって楽屋へ戻り「戦争はやっぱりいけない事なんだ」と反省文でも書き始めそうな御様子。その夢のような素直さには思わずもらい泣きしそうになりますが、役者の表情からは釈然としない様子が隠せません。
所変わってスタジオ。ぼんちゃんがせっせとパーティの準備をしているところへ晴郎がやってきます。
「いや〜ごくろうさまでした」
「お疲れさまです、もうすぐ皆さん来ます」
「あ、そう」
劇中のあの棒読みが何かの間違いに思えるほどナチュラルなこの会話から、晴郎とぼんちゃんの普段の仲の良さが伺えます。やはり師弟愛は美しい。それだけの間柄とも思えませんが。
するとそこへ、キャベジンのCMのようなBGMとともに死んだはずのかたせ梨乃がトコトコ歩いて来るではありませんか!しかもその後ろからは毒をあおったはずの占野さんまでも!
怒髪天の我々をよそに皆は席に付き、何事も無かったかのように宴が始まろうとしますが、かたせ梨乃が水を差します。
「外国の人達、判ってくれたかしら…」
ここで場面は冒頭のシーンに戻ります。要は楽屋でこっそり「日本人は戦争のホントの悲劇を判ってない」なんて事を喋っていた外人キャストの言葉をかたせ梨乃が立ち聞き、その言葉にムカついた晴郎がスタッフ総動員でサル芝居を打って外人たちに
「これこそが戦争の悲劇だ!」
とグウの音も出ないようにヤリ込めようとしたという、図らずも日本人の根性の曲がり具合を実証した真相に観ている方は座ったまま立ちくらみを起こします。晴郎は照れ臭そうに「いやあ、スタッフの協力の結果だよお」と言いつつ御満悦メーターがレッドゾーンに突入。ここで彼が見せる恥じらいの演技の不気味さは温厚なあなたにも仁王立ちのポーズをさせることでしょう。
このあとかたせ梨乃と菊地さんが実は夫婦で離婚届けにハンコを押すの押さないのでモメたり、いきなりぼんちゃんの子供達が現われて「おかあさんどっかへ行っちゃったヨ!」と宴の席で家庭の事情を大暴露したり、占野さんにかなりの借金がある事が判明したりと、みなさま私生活はかなり大荒れの御様子。それを見て晴郎は「いやあ人生さまざまだね」とヒトゴトのように御満悦。「じゃあ乾杯といくか」とこの状況でそんなセリフを吐ける度量の深さに感無量です。が、晴郎はビールを口に含んだとたんに「ウグッ」とむせ返ります。誰かが毒を盛ったのか!その気持ちはよく判る!とこの映画のなかでも唯一とも言える観客の共感をさそうシーンですが、ただ単にビールにむせただけというヘナーなオチには脱力のあまりガンコな肩凝りも治ります。
そして晴郎は笑いながらカメラ目線でシメの台詞。
「やってる事と現実は、別かぁ」
お前が言うなぁぁぁ!!!!!!
と観客の脱力がある意味クライマックスに達したところでほがらかに映画は終わります。正味一時間半程度の映画ですが、見終わったあとの疲労度は『猿の惑星』シリーズ全五作一挙放映をも凌駕するものがあります。まさに映像の最終兵器、どんな眠れぬ夜もこのビデオがあればバッチリという事実は、わたくしの相棒が再三のトライにも関わらず最後まで起きていられないという実例が雄弁に物語っております。まあ3回も繰り返して観れば「戦争はホントにいけない事なんだなあ」と観念して思い込まざるを得ない映像の暴力ですが、それ以上に「いやぁこの映画って晴郎にとってはホンットにいいもんだったんだなあ」と思わせるところが素晴し過ぎますね。皆様も機会があれば是非一度ご覧になってください。おそらくは二十世紀最大の怪作、史上まれに見る独りよがりのカーニバル。余りの素晴しさに晴郎の次回作が劇場で観られることを切に願って止みません。南無。
(1999年)