シベリア超特急

晴郎の事は昔から知っていました。物心ついた頃には、毎週水曜になると出てきては「さあ〜今夜はみなさんおまちかね…」と心底嬉しそうに語るヱビス顔のおじさん(まれに警官のコスプレをしている場合アリ)という風に覚えていました。子供心に「『水野晴郎の映画がいっぱい』とか言いながらなんでアメリカの警察の紹介をするんだろう」といった素朴な疑問を抱きつつ、毎週楽しみに水曜ロードショーを観ていたものです。晴郎が、何を思いついたか参議院選挙に出馬して番組を降り、代わりに愛川欽也が「ようこそ僕の映画の部屋へ」などと抜かしながらしゃしゃり出てきたときには非常に違和感があった事を覚えています。その後、晴郎はあっさり落選したため再び解説に復帰しましたが、やはり日テレの映画解説はこの人だなあ、と妙な収まりの良さを感じたものです。



いい笑顔だ


そんな晴郎が最初に私の心にフックしたのは、もう7年も前の日本アカデミー賞の時でした。閉会間際に、日本アカデミー賞の生みの親でもある晴郎が漏らした言葉「私も今度映画を撮るのですが…」が私の心の琴線にややグッと来たのです。

「あの水野晴郎が監督を…」

なんだか、日本で最も監督をしてはいけないランキングのトップ3に位置すると思われるこの人がそんな事して大丈夫なんだろうか、と思いつつも、高名な映画評論家なんだからきっと素晴しい映画を撮るに違いない、というある意味素朴な思い込みから一応期待だけはしていましたが、脳裏をよぎるのは「参議院落選」の文字。「この人って、実はもの凄く勘違いをしてるんじゃ…」と心の底で何となく思ったことでした。が、晴郎が映画を撮ったという具体的な話はその後聞くことがなく、歳月は流れていきました。


その後数年たち、すっかり晴郎の映画のことを忘れ去っていた頃、意外な形で晴郎の名をスクリーンに発見しました。ある映画を観にいった時のこと、にっかつが社運をかけた超大作『落陽』の予告編で晴郎の姿を発見したのです。晴郎は大好きな軍服に豊満なボディを包み、映画の解説ではいまだかつて見せた事のないようなりりしい表情で銀幕に映っておられました。山下大将という旧日本軍の実在の人物の役らしいんですが、聞く所によると起用の理由が

「似てるから」

というから腰が抜けます。晴郎がカメオ出演したこの映画、にっかつがシャレにならない制作費を投じたにもかかわらず映画がしょんぼりな出来で大コケ、にっかつは文字どおり「落陽」の憂き目にあったという笑えない出来事もありました。


『落陽』についてはいずれ稿を改めて語ることに致しましょう。


さて『落陽』ではすっかりゲスト扱いで、大好きな軍服も着られてしかもいいカッコでき、晴郎的にはかなり御満悦だったのではないかと推測しますが、肝心の晴郎監督作については以後とんと音沙汰がなく、ともすれば晴郎の存在自体も忘れがちだった96年夏、意表を突いてそれは現われたのです。


その予告編を私は札幌のとある劇場で観ました。ハリウッドの大作などに混じって流されたその予告編は、どうやら列車内での殺人を描いたサスペンスものらしいのですが、映像は「どことなく」とか言うレベルを遥かに超えて貧乏臭く、編集も鈍臭さの極みで逆に微笑ましさすら感じさせる仕上がりです。

「な、なんじゃこりゃ…。これ本当に商業映画かよ?」

といぶかる私の目前に堂々と現われた自信満々の文字。

「製作・脚本・監督・主演・作詞/水野晴郎」

わたしゃ椅子からズリましたね。そしてかつて感じた不安が見事ストライクを決めるのを実感しました。ストライクどころか、三振の山。下手すればノーヒット・ノーランです。いや、もしかしたらこのはずし具合は完全試合まで行くかも知れません。それほどまでに寒い映像が劇場で堂々と流れているのはもはや戦慄ですらあります。


と、唖然としていると晴郎が軍服で、主役の貫祿を強引ににじませて本当に画面に出てくるではありませんか!いや、何と言いましょうか、「主役」の看板がこれほどまでに似つかわしくない主役はそうあるものではありません。その華の無さに晴郎自身は全く気付いてない御様子で、自信満々に主役を演じているその姿は、苦笑いを通り超してダリの絵画を観ているようなシュールな不安すら感じさせます。


その映画の名はまさに『シベリア超特急』。ポンコツ映画に深い興味を持つ私としては「これは是非チェックしなくては…」と変な期待に胸をはずませたのでした。



主演の風格


この映画は実際にここ札幌でも劇場公開され、晴郎自ら舞台挨拶をしたようですが、当時多忙をきわめていた私は観に行くことができず、非常に残念でした。このとき劇場に駆けつけなかったことがのちに痛恨の極みとなるのですが、それはおいおい語ることに致しましょう。その後も『シベ超』は私の心にフックし続けており、ビデオが出たことを知って近所のレンタルビデオ店を探し回ったのですが、『シベ超』のシの字も見当たらずにがっかりしていたところ、ススキノのさる奇特なショップが入荷しているのを偶然発見、その場で会員証を作ってさっそくゲットしたのです。


家に帰ってさっそく観てみましたが…。


舞台は第二次大戦前夜、イルクーツクの駅から始まります。シベリア発満州行の列車に、なにやら訳ありげな乗客が次々と乗り込んでいきます。この時点からしていきなりテンポがなく、気の短い人ならすぐさま早送りボタンに手が伸びること受け合いです。出てくる役者も、かたせ梨乃以外は全く知らない人ばかりで観ている者をみだりに不安にします。そうこうモタモタしているうちに晴郎が出てきました。この瞬間、私はひとり爆笑。でっぷりとしたボディを軍服につつみ、きりりと眉毛を書いてのしのし歩く晴郎の姿はまさにナルシズムの極みですが、これほどまでにナルシズムが空回りしている例を私は他に知りません。


列車が走り出してやっとタイトルが出ますが、これも何となく貧乏臭くて泣けます。何故かクレジットは全部英語です。最初にA MIKE MIZUNO FILMというクレジットが出ます。晴郎、どうやら自分のことをマイクと呼ばせたがってるらしい…。マイク。妙に似合ってる気はしますが、まあ晴郎は晴郎です。


テンポが全く死んだまま映画は進行し、さんざんじらせた挙句、晴郎が初めて口を開きます。

「ボルシチも、けっこう、うまかったぞ」

そのたどたどしい口調は「水曜ロードショー」のあの解説そのまんま。以後の台詞もほぼパーフェクトに棒読みで、なおかつあの独特の抑揚を誇る晴郎トーク。表情はあくまでりりしく晴郎。駄目です。以後晴郎がフレームインし、何か喋るだけで爆笑の発作が起きます。喋らなくても、一人窓の外を眺めて物思いに耽っているシーンだったりしますからやはり爆笑。地獄です。



比類なきサスペンス


ストーリーは『見知らぬ乗客』と『バルカン超特急』を足して晴郎で割ったような、まあヒッチコックにささげるオマージュのつくだ煮といった風情ですが、例によってテンポもサスペンスも皆無なので、ヒッチコックのヒの字も感じさせない全くオリジナルな仕上がりになっています。女が複数消え、男たちはバッタバッタと無駄に死んで行きますが、人が死ぬという場面でこの緊張感の無さは尋常ではありません。これはもう一つの才能、というか天の恵み、というか、まあ天然なのでしょう。時々アクションシーンも入るには入っていますが、どうにも間が抜けてて弱ります。貧乏臭い列車のセットにへばりついて、俳優たちは必死の表情でアクションしますが、緊張感のないアングルとテンポの無い編集のお陰でその努力が全く無駄に終わっているところが泣かせます。


晴郎は『落陽』と同じ山下大将の役で、事件の謎をとくエルキュール・ポワロ的な存在ですが、やることといえば腕組みをして考えこむことぐらいで、ピストル突きつけられてもボケッと突っ立ってるだけですから、使えません。と思えば、前後の展開を考えても全く脈絡の無い推理を突然口走り、しかもそれが当たっていたりしますから、まあ天才というか、天然というか、なんとも形容しがたいですが、まあ自分で脚本書いたくらいだから犯人当てるくらいはできるでしょう。


極めつけは終盤。晴郎は証拠となる衣服を手にいれると謎のエコー付で叫びます。

「あいがっ、ぷるーふ」(I got proof:これが証拠だ!)

その声につられて犯人がえっちらおっちら自首しに来るという、「刑事コロンボ」も泣いてワビを入れるド引っかけですが、この時点で晴郎とその手下、そして犯人以外の登場人物は全て死んでしまっているので、この状況でのこのこ自首しに来た犯人はきっといい人なのでしょう。結局この証拠は身も蓋もないガセだったことがわかるんですが、そんなガセの証拠を手にいれるために命を張らされた晴郎の手下が死ぬほど気の毒です。まあそんな好人物の犯人を結局晴郎はお許しになり、すべては戦争が生んだ悲劇という誠意のない結論にたっして、おもむろにカメラ目線になりシメの台詞。

「戦争はぁー、こんなぁ悲劇まで生み出してしまう
 戦争は絶対に、やめさせねば、ならん」

めまいがするほどストレートな主張に、晴郎を見つめる他の出演者たちも呆然としている御様子。悶絶する我々をよそに映画はそのままエンド・クレジットに突入、ナレーションが生き残った人物のその後の人生をせつせつと語りますが、はっきり言ってもうどうでもいいです。ただバックにでる山下大将(本物)のポートレートが晴郎と爆似なのは笑えます。そして晴郎自らの作詞による熱い主題歌が流れますが、バックはとって付けたような戦争の悲惨な記録映像。いったい映像ソースは何なのか、画面の隅っこに再生>なんて文字が映り込んでたりしますから油断できません。そしてようやく「完」の文字が。



なんとシングルカットもされているのだ
背後にさりげなく写りこむ晴郎に注目


別な意味で非常に面白がらせていただきましたが、観終わったあとのこの疲労感というか、徒労感は一体なんなんでしょうか。なにか物凄く見てはいけないものを見てしまった様な気も致しますし、日本裏映画史に残る大怪作を観てしまったという気も致します。エンドロールの「完」の文字はそのまま晴郎の評論家生命の終了をも告げてしまったと言う気もしないでもありません。このようにここまでの内容だけでもう十分『シベ超』は恐るべき破壊力をもった映画であることが判るのです。判るのですがしかし。


実は劇場上映版にのみ「完」の文字に続く「ラスト二段のどんでん返し」(チラシより)と言うのがあるらしいのです。「完」の文字が画面に出たあと唐突に、晴郎の

「カットぉ!」

の一言に続いて全ての出演者が素に戻り、そのまま映画は『シベ超』の撮影打ち上げパーティに移行してゆくという、誰でも思いつくけど余りに安易なので恥ずかしくて誰もやらない展開に突入、さらにそこでも唐突に殺人事件が発生、素の水野晴郎本人が探偵役となって事件を捜査するという悪夢のようなストーリーが繰り広げられるというのです。さらに、その事件が解決し、やはり悪いのは戦争だ、というくどい結論に達したところでさらに

「カットぉぉぉ!」

の声がかかり、さっきの事件は戦争の悲惨さを訴えるためのサル芝居だったことが判るという、晴郎ってば実は押井守に影響されてるんじゃないのかと思わず妄想してしまうような凄まじい結末らしいのです。「完」以前までは、晴郎の自意識を稚拙さで煮込んだバカ映画、というシンプルな印象しか与えませんが、このどんでん返し部分は稚拙を通り超して壮絶にヤバい領域に踏み込んでいると言ってよいでしょう。そしてこの部分こそがまさに『シベ超』の大トロ、もっとも注目すべき濃い部分であることは言うまでもありますまい。が、なぜかビデオ版ではどんでん返し部分が丸ごとカットされ、「完」の後には気の抜けたようなNG集が入るという自主制作テイスト丸出しの幕引きが来ます(その中にどんでん返し部分の一部とおぼしきショットが紛れ込んでいたりしますが…)。このカットオフ自体は晴郎の本意ではないと推測しますが、お陰で『シベ超』は辛うじて正常の領域に戻れたのではないかと思う次第。



これが噂のシベ超Tシャツだ!


が、やはり完全版が最も危険な爆発力を誇ることは間違いなく、それを観る機会を逃したことは今だに悔やんでも悔やみ切れません。この映画の公開後晴郎は金曜ロードショーの解説を降り、次回作の資金を捻出すべく大学の講師をしたり、各地で講演会をやったり、「水野晴郎と映画の夕べ」をやったり、バラエティ番組に出たりと涙ぐましい努力を続けているようです。この間も、「開運!なんでも鑑定団」にゲストで出ているのを再放送で見ましたが、着ていたのが「シベ超Tシャツ」だったのにはたいへん笑わせていただきました。南無。


(1997年)
シベリア超特急
Siberian Express
1996年 日本
監督:水野晴郎
出演:水野晴郎 かたせ梨乃 菊地孝典 西田和晃 占野しげる