えー友人にジャック・ニコルソンの顔を大変恐れている人がおりまして、それがためにこれまでの人生において様々な災難に遭ってきたかというと別にそんなことはないんですが、そんな彼女にもジャックの顔に立ち向かう勇気を!希望を!というわけでこのたび「ニコルソン友の会」を結成しました。その活動の第一歩として、『シャイニング』観賞会を敢行。いきなりショック療法といえます。
テレビの真正面に彼女が座り、その左右をわたくしとまた別の友人とが固めて逃げ出すスキを与えないようにしてから鑑賞開始。しかし彼女でなくともジャック・ニコルソンの顔は確かに恐い。何が恐いってまず眼が。眼光が。そして何かと吊り上がる独特の形のマユゲが。あまりに恐い顔なので実はこの映画にはミスキャストなんじゃないかという気すらしてきました。この映画、もともと優しいパパがホテルに巣食う悪霊に魅入られて家族に危害を加えるという話で、普段は優しい人が豹変して襲い掛かってくるという恐怖があるハズなんですが、いかんせんパパが最初から恐いジャック・ニコルソンなので豹変もヘッタクレもねえ。初手からいきなり恐い顔なので、後半になるにつれて狂った演技が加速してくるとどうしてもオーバーアクトに見えてしまうのがウーンって感じです。
一歩踏み込んで考えてみると、実はキューブリックは「幽霊屋敷映画」としての恐怖には大して興味がなく、「キチガイの人と長期間密室で過ごす恐怖」の方に御執心だったのでは、とも思えます。と考えれば、ジャック・ニコルソンの顔は狂気をナチュラルににじみ出しているという点で納得のキャスティングですし、なによりジャックの主観で描かれる屋敷の超常現象が、ホントウに超常現象なのか、それとも彼自身の狂気による妄想なのか、かなり曖昧に作ってあるのもいかにも怪しい。超能力とか双子の幽霊とか、一応いろんな怪奇な現象は描かれてるわけですが、そのへんがあんまり印象に残らず、ただひたすら狂っているジャック・ニコルソンだけが強烈なインパクトを残すあたり、キューブリック独自の解釈が反映されているように思います。
えー話がそれましたが、観賞中は「こわっ」「こわー」と手で顔を覆い気味だった彼女もきっと慣れたのでしょう、観賞後は「あんまり恐くなかった」と余裕の発言でアンタ成長したな!と我々友の会も感無量です。ついでに言うと彼女は妊娠6ヵ月のママ予備軍で胎教的にどうなんだ、アリなのか。と懸念もありましたが、きっとドアの隙間からジャック・ニコルソンが顔をのぞかせていても動じない強い子に育つことでありましょう。
(2001年12月15日)