『レインディア・ゲーム』というのを観てきました。
TVCMで「騙される快感!」なんてコピーがついてまして、これはきっと結末がズンドコズンドコ景気よくドンデン返る映画に違いない、とノコノコ出かけてみました。
コピーに散々煽られていたので、開巻から瞳孔広げっぱなしで舐めるように鑑賞。「これはもしやのちのちに繋がる伏線ではないか」と頭の中でコキコキ計算し、重要っぽいシーンでは
「ゴメン今のもう1回」
と思わず巻き戻しを要求する衝動にかられるなど、何故か「だまされないぞ!」といじらしい抵抗を行っていたのですね。あ、別に最近私生活で誰かにだまくらかされたという訳では決してありませんよ。ええ。
と、このようにわたくしの頭のなかでは近年にない深読みが行われながらの鑑賞だったのですが、あまりに深読みし過ぎたために映画開始10分にしていきなり結末が見えてしまいました。
心の中を一瞬不安がよぎりますが、「いや、こんなアリガチな展開であるわけがない!」と自分に言い聞かせてさらに鑑賞。ダマされないぞ!と鼻息は荒いですが、もちろん小気味良くダマして欲しいという欲求は当然ある訳で、それ以上の展開を期待してワクワクしておりましたが、最後の最後になって実はこの予想が見事にぴったしカンカンであった事が判明。
ああ〜。(←大脱力)
いや、この映画にはあまり罪はないのです。ひとえに良く無かったのは「騙される快感!」とドンデン感を煽っていた宣伝コピーと、それに反応して深読みする映画ズレしたわたくし自身でしょう。「この映画にはドンデン返しがあるよ」と事前に宣言することは、その映画のドンデン感の何割かを確実にスポイルしていると思うのです。
とはいえ、「ドンデン返しがある」という触れ込みに引かれてこういう映画を観るわたくしのような人間もいるわけで、宣伝サイドとしてはそれをウリにしたくなるのも判ります。商業映画としてコレは避けられないことなのかもしれません。
そういやあの『シックス・センス』でさえも、冒頭の「この結末は決して話さないでください」という注意書きのせいで結末が読めてしまった、という人が結構いたようです。そう考えると実はシベ超って結末が読めないという点では前人未踏の領域に達していたのかも知れません。先が読めないのが必ずしも素晴らしいとは言えませんが。
(2000年07月09日)