これはビデオ版がリリースされた当時、結構な話題となったのでタイトルだけでも目にした方は多いんじゃないでしょうか。なんせ死霊が盆踊るっていう壮絶なタイトルですからインパクトも尋常ではなく、当時は雑誌などにも再々取り上げられ、結果的にはクズ映画の代名詞のような存在になってしまいましたが、実際にモノを観た人というのはやはり少ないようで、これはまあ普通『死霊の盆踊り』なんてタイトルをみて「わあ、面白そう」と真剣に期待を寄せるほど感性が屈折した人というのはまああまり居ない訳で、たとえ怖いモノみたさにパッケージを手に取ったとしても『死霊の盆踊り』という題の映画の中味とレンタル代300円(それと鑑賞に費やされる時間)の価値を比べてみれば127対2ぐらいの大差で300円の方が圧勝、というのがまず普通の感覚と言えるでしょう。
まあ何と言っても『死霊の盆踊り』という題の持つ腰くだけな響きには尋常ならざるものがあります。なにせ『死霊のぉ〜』と不気味に詰め寄っておいて『盆踊り』で落とすという、「笑点」の林家こん平よりは確実に面白い二段落ちですから、この邦題を考案した当時のパブリシティの方のセンスには最敬礼せざるを得ません。しかしそんな事より本当に凄いのは、この『死霊の盆踊り』というホニャララ臨界点の邦題が冗談でも誇張でもなく、実は映画の内容をそのまんま表している写実主義バリバリのタイトルだという事実であります。
それもそのはず、原題からして"Orgy Of The Dead"、すなわち「死人の乱痴気騒ぎ」なのですから、『死霊の盆踊り』というのもほとんど直訳寸前のきわどさ。まあ"Orgy"を「盆踊り」と意訳したところに当時のパブリシティの気概というか、やる気というか、意気込みというか、まあそういったものが全く欠落しているのが感じとれる訳ですが、しかしこのビデオの営業、さぞかしつらかったろうなあ。
それはさておき肝心の内容です。映画はなにやら中年の紳士がむっくり棺桶から起き上がるシーンから始まります。この紳士、何を始めるかと思いきや、いきなり「私はクリズウェル。信じられぬ物語の語り手。これから話す物語は気を失う程に恐ろしい…」と大仰な口調で前説を始めるんですが、寝起きのせいなのか顔がボケッとしている上に視線がカメラからずれていてカンペ読んでるのがバレバレで観るもののハートをググッとわしづかみです。このクリズウェルという男、史上最低の監督として名高いエド・ウッドの代表作『プラン9・フロム・アウタースペース』でも同じように前説をやってましたが、クレジットをつぶさに見ていると
原作・脚本 エドワード・ウッドJr
の文字が発見できてしまい、ああ、クズ映画界伝説の2大作品はひそかにエド・ウッドつながりだったんだなあとリモコン片手に感無量ですが、話がずれました。
で、若い作家夫婦が車を飛ばしているシーンが発端です。売れない作家のダンナは、
「ホラーを書くには夜の墓場が一番!」
というピュアな発想のもと、嫌がる若妻をつれて墓場に向かっている訳ですが、運転席の場面と走る車の場面がカットバックされるたびに昼夜がビシバシ切り変わったりするので愉快です。しかしあまりにも若妻が墓場へ行くのを嫌がるため(当然です)、ダンナはUターンして引き返そうとしますが、うっかりアクセルを強めに踏み過ぎてしまったために谷底へ転落してしまいます。一体何を考えているんでしょうかこの人は。
二人が落ちた所はコテコテの墓場(ドライアイスの煙付き)。そこへクリズウェルがマントを羽織ってイキに登場、「闇の女王」とかいう見た目もかなりSの入った女をはべらかして御満悦の御様子。「今宵の宴は満足できるのだろうな」とクリズウェルが念を押すと、女王の手招きでスモークの奥から一人の娘が踊りながら現われ、おもむろに服を脱ぎ捨てて乳をたわたわさせながら一心不乱に踊り念仏です。
この時点で既に他の追随を許さぬ凄い展開ですが、さらに凄いのは話がこの裸踊りから全く展開しないという点で、この娘が去ったかと思えばまた別の娘が現われて乳たわたわ。だらだら踊って引っ込んだかと思えばまた別の娘が乳たわたわ。これをα波を誘発しそうなテンポで延々繰り返します。その間クリズウェルは踊りを眺めて闇の女王となごんで笑っているだけですから罪が無いにも程というものが。さすがに作り手も同じような女の子を出すだけでは飽きられると思ったのか、金粉ショー風味にしたり、猫耳のかぶりものをかぶせてみたり(これはちょっとかわいい)、シチュエーションに凝って拷問される女奴隷を出してみたりと歌舞伎町のイメクラのようなサービスぶりですが、そんな所に凝るぐらいならもっとほかにちゃんとするべきトコがあるだろうがあっ、という我々の叫びは彼らには届きません。
先ほどの作家夫婦はクリズウェルの手下のミイラ男と狼男に捕えられ、墓石に縛りつけられて裸踊りをムリヤリ鑑賞させられるという目に遭わされて苦い顔です。まるで社長のマズいカラオケを聞かされるヒラ社員のように見え、思わず暗い気持ちになってしまいますが、気が付くと画面ではクリズウェルと女王が夫婦の処分を巡ってちょっとモメている御様子。業を煮やした女王が実力行使で夫婦に短刀を突きつけます。突きつけたはいいが一向に突き刺す気配がないまま画面は硬直し、いい加減我々がイライラし始めたところで、実にいいタイミングで朝日(実際は全く朝日には見えませんが、製作者の意向を尊重して朝日が出たことにします)が現われ、クリズウェルをはじめ魔界のものどもは一瞬にして骨に。クリズウェルの野郎、「朝日が出るまでに帰らねばならぬ」とか意味深なことを言っておきながら結局これかい!という我々の心の叫びを無視して映画はラストへ。夫婦は救出されながら「これは夢だったんだ」と語り合って一安心ですが、いっそのこと我々がこのビデオを見たという事実も夢であって欲しいです。
とまあこのようにあの「シベ超」をも凌駕しかねない、純粋ナンセンスの様な映画ですが、しかし「裸の娘が次から次へと乳たわたわ」という内容を考えると、これはひょっとしたら劇映画としての面白さよりも、もっと別の実用性を追及して作られたんじゃないか、とも思うんですが、どんなもんでしょうか。一種のポルノとして製作されたものであれば、裸のねーちゃんのダンス(ダウナー系)を見せる映画としては十分に機能しているとは思います。思いますが、それにしてもこの底無しのアホらしさにはそういう実用性を吹き飛ばして余りある凄みがあります。狙っては決して作れない天然の味わい。エド・ウッドという負の才能の凄まじさと言えましょう。
(1998年)