幻の湖

出ました。『シベリア超特急』『北京原人 Who Are You?』『さよならジュピター』と並び称される(というか、いまわたくしが称した)ニッポン珍画四天王のうちの一角。その名も『幻の湖』!いやあ一年前まではソフト化もTV放映も一切されず、時々名画座などでゲリラ的に上映される以外は全く日の目を見ることのなかったほとんどレジェンドの映画だったのですが、なんと昨年ついにDVDにてレッツご開陳の事態に。うわあと浮き足立って購入するべきかどうか迷うわたくし。しかし古い邦画にありがちな強気の価格設定と、それまで聞いていた噂の強烈さに逡巡して結局見送りに。しばらくは己が不甲斐なさに泣きながら座布団のはしっこをいじくる日々でした。


しかし何が起きるか判らないのが人生と子供の留守番。なんとDVDの発売から数カ月後、とあるケーブルTVのチャンネルがいきなり『幻の湖』を放送するという暴挙に出ました。いやあこのときはビバCSのファンファーレが紙吹雪とともに脳内に鳴り響きましたね。というわけで満を持してHDRに録画するわたくし。このときほどケーブルTVに加入しといて良かったと思った事は無かった。と同時に「DVD買わなくてよかった…」と胸をなで下ろしたり下ろさなかったり。まあ人間こういうことでイチイチ喜んでおくことが健康の秘訣と言えます。


さて一体のこの映画の何が凄いのか。それはこの映画の物語を構成する要素を列挙してみると判ります。

・マラソン
・ソープランド
・犬
・出刃包丁
・戦国時代
・スペースシャトル

…何かの心理テストか!このダーツを投げて決めたようなランダムな単語群が一つの映画の中に並べられているというアルティメット闇鍋映画。闇鍋といえば、仲間でもヤンチャ担当の奴が必ず煮ても焼いても食えないような物体を投入して鍋全体を生命が発生する直前の海みたいにしてしまいますが、この映画の場合それにあたるのは何だろう。うーん、謎の情報機関。なんなんだそれは。そんな手術台の上でミシンと蝙蝠傘が出会ったようなシュールな要素たちが、渾然一体となって恐るべきブラックホールを形成してゆくさまを、2時間44分かけてじっくり見ることができるのがこの映画、ということができるでしょう。


映画は、長い髪を揺らしながら山道を一心不乱に走り続ける女の映像で幕を開けます。さすが、日本映画の一流スタッフが集結して作られた映画だけに美しい映像です。そして女をリードするように走る一匹の犬。走り終えた女の眼下には雄大な琵琶湖が。というわけでドカンと力強い書体でタイトル『幻の湖』。タイトルバックは四季折々の琵琶湖沿岸を走り抜ける女と犬。BGMはあくまで格調高い。と、ここまで観ているといやあ東宝50周年記念作品にふさわしい文芸作品じゃのう、と観ているこちらも居住まいを正したくなる訳ですが、その意気込みも次のシーンでグラグラしてきます。


場面はいきなりソープランド。しかも頭の悪いアメリカ人が想像で作ったようなトンチキ和風の内装。冒頭で走っていた女(南條玲子)が日本髪結って三つ指ついてお出迎え。源氏名はお市の方で、ソープの名前は「湖の城」。使う部屋の名前は小谷城。今で言う所のコスプレ風俗みたいなもんでしょうか?ちなみに劇中では時代背景を反映して、ソープではなくとあるオリエンタルな国名で呼ばれています。


控え室では日本髪に着物のままストレッチ体操をして同僚に迷惑がられるお市の方(本名:道子)。とはいえなんか妙にアットホームな雰囲気で体育会系の部室でダベる女子バスケ部員といった趣。支配人(室田日出夫)も温厚な顧問の先生という感じですが、この支配人にメインの銀行を変えるよう言われた道子はいきなり眼を三角にして激怒。その豹変ぶりにこいつは人生においてなるべく敵に回したくないタイプの人間ということが判ります。


同僚には淀君(かたせ梨乃)とかローザ(デビ・カムダ)とかがいます。淀君は「一晩に17人の男を昇天させたテクニシャン」らしく(原作より)、ローザはローザで琵琶湖上空を飛ぶ飛行機の爆音を聞いて空を見上げ「あれはファントム?いやイーグルだ。ファントムはまだ実戦配備についていない」と不審過ぎるモノローグを発したりしてキャラが立っています。


さて日々風俗ジョブにいそしむ道子の趣味、というか生き甲斐はマラソン。休日にはハイヤーをチャーターして琵琶湖沿いをランニングに出かけます。愛犬のシロとともに琵琶湖周辺をひた走る道子。シロは道子のマラソンのよき伴走者であるとともに、刹那的な稼業に生きる彼女の心の支えでもあるのでした。ちなみにこのシロ、本名はラウンドウェイ・KT・ジョニー号という由緒正しい犬らしいのですが、走り回る撮影が過酷だったのか劇中では即身仏のようなありがたいお姿になっているのが泣けます。


道子は自分に親身に尽くしてくれる銀行員の長谷川初範を憎からず思いつつ、琵琶湖畔で笛を吹く謎の男・隆大介に心惹かれたりしています。この道子の気の多さがこの映画の後半のじれったさを生む要因、まあ平たく言えばイライラの種だったりするわけですが、そんな刹那的ながらもそれなりに充実した毎日を送る道子の身の上にある日事件が巻き起こります。愛犬のシロがある日琵琶湖畔で惨殺されてしまったのです。頭のてんこすを出刃包丁でたたき割られてグッタリしているシロ。泣き崩れる道子。


警察に犯人探しを依頼しても頼りにならず、さっぱり進展しない捜査を糾弾しに警察へ乗り込む道子。その眼はもはや三角を通り越して座っております。恐るべきは女の一念。そして彼女はシロの無念を晴らすべく現場周辺で聞き込みを繰り返し、ついに犯人と思われる人物がたまたまツアーで琵琶湖畔にきていた東京の作曲家であるらしいことを突き止めます。


憎き敵は東京か!というわけですぐさま上京する道子。思い詰めた顔でホテルの部屋で鞄から出刃包丁を取り出して気合いを高めます。勢いづけて作曲家の事務所を包丁を懐に襲撃。作曲家の住所を教えろ!と詰め寄りますが、普通この手の眼の座った女性に個人情報をホイホイ教えるノーガードな人もいない訳でケンもホロロに追い出される道子。しかしこれしきではくじけず、今度は事務所の前に日がな一日張り付いて作曲家の出待ちを敢行。当然のごとく警備員がやんわりと接近してくるのでこれを持ち前の足の速さで振り切り、失意のうちに道子は東京の街を彷徨います。


「東京中の人間が、私をヤツに会わせまいとしている…」ある種の感度ビンビンなこのモノローグをつぶやきながら街を彷徨い歩く道子。すると背後から「お市さん!」と懐かしい声が。ふりむけば、ソープをやめてアメリカへ帰ったはずのローザが!ローザはなにやらご立派なオフィスの一室でタイプを前に事務仕事をやっておられるご様子。しかも道子の事情を聞いて、素性の知れない情報網から憎き作曲家の住所と電話番号と写真まで入手してくるのであった…。ってかローザ、おまえ一体何者なのか。どうもとある情報局筋の極秘エージェントで、自らソープ嬢に化けて日本の性風俗産業につてのリサーチをしていたらしいのですが、しかしなぜそんなリサーチを?


ともあれ憎き作曲家、日夏啓介(光田昌弘)の住所を突き止めた道子は、毎朝ランニングを欠かさない日夏の習慣を利用し、ランニングコース上を追跡して彼を追いつめ成敗成敗!と走る日夏の後ろを短パン姿で追跡。奴を追いつめたあげくに持参の出刃をプスッとやる気で日夏を追いかけますが、そんなまだるっこしいことをしなくても家を出た所でサクッと刺した方が早い気も。まああんまり細かく口出ししてるとこっちが刺されそうなので黙りましょう。


日頃のトレーニングの成果が今生きる時!と自信満々で走り始めた道子ですが、しかしなぜだか調子が出ません。どうも慣れない都会の道路が彼女のペースを崩しているらしい。というわけで駒沢オリンピック公園まで日夏を追いつめたものの、あと一歩力が及ばず日夏は逃走。「…日夏の後ろには目があって、あたしを引きずりまわしている…」と被害妄想をさらに肥大させる道子ですが、日夏にしてみれば眼の座った見知らぬ女が自分めがけて走ってくるのですから必死にもなろうというものです。必死に追いつこうとする道子。「ここだ!この直線で追いつく!」いやだから走る前にプスッといっとけば。しかしすんでのところで道子は力つきてしまい、日夏を取り逃がして泣きながら駒沢公園をくるくる走り続けるのでした。


本懐をはたせず、がっくりうなだれて雄琴に帰って来た道子。もうあたしには男しか…と思ったかどうかは判りませんが、銀行員の長谷川初範と琵琶湖で爽やかにデート。まったり寺社仏閣を回ったりして、とても包丁を懐に眼を血走らせながら走っていた人とは思えません。…と油断してると「沖の島…あれが沖の島!沖の島はあたしだと思っていた…ひとりぼっちの淋しい島だと思っていたのに…裏側にはあんなに家と…大勢の人が…!」と驚きの唐突さで泣き始めるので初範は大弱りですが、とりあえずやさしく抱きしめてチューをかまし、その場はなんとかしました。


このまま初範と道子はくっついてしまうのか!初範ピンチ!と思っていると道子は琵琶湖畔でスナフキンのように笛を吹いている隆大介に再会。初範との初チューから5分もたたないうちにグラグラする道子の気持ちに全ての観客は全力で突っ込みをかまします。


大介は湖畔で自らが吹いていた笛の縁起を語り始めます。それは何と400年前の戦国時代に実在した人物、お市の方に由来のある笛なのでした…というのはまあいいのですが、そこでお市の方をめぐる再現ドラマが延々30分も始まってしまうのは何かのトラップでしょうか?そしてその再現ドラマでお市の方の侍女の悲恋が語られるのですが、そこで現在のお市の方…じゃなかった道子はその侍女を自分に重ね合わせてさらに号泣をかまします。いいかげんにしろ。


まあ大介は宇宙工学の勉強にNASAヘ行ってしまうというし、やっぱ銀行員でしょう!と計算がビキビキ行われたかどうかは知る由もありませんが、道子は初範との結婚を決意。ってかそんな浮かれていいのか!シロの仇はどうした!と観客が全方位から突っ込まざるを得ない状況になりますが、もう道子の気は済んでしまったご様子でソープ嬢からも今日で足を洗って結婚結婚!と心機一転ですがそこは好事魔多し。今日で仕事納めのその日に最後にとった客はなんと憎き日夏その人であった…というからアゴがはずれます。っていうか道子自身もドッキリカメラにあった人のように口あんぐりで呆然。


まあ道子も仕事場の風呂にシロの遺影を飾ったりしていたのでまだ怨みは忘れていないご様子。これは千載一遇のチャンス!と仕事場に置いてあった出刃を振りかざして日夏に襲いかかります。逃げる日夏。追う道子。というわけでここから延々10分に及ぶ日本裏映画史に残る爆笑シーンのスタートです。雄琴のケバケバしいソープ街の中、口ヒゲを生やしたイケ好かない優男が逃げる。それを和服に日本髪の女が出刃を片手にマラソン走りで追う。もうこの絵ヅラだけで十分異常なわけですが、走る道子の心情は仇討ちのそれから完全にランナーのそれにスライド。日夏の心理とペースを冷静に分析しながらじわじわと彼を追いつめます。高まる緊迫感。しかし走っているのが日本髪に和服の女。しかもバックは昼間のソープ街なのでその落差は破壊的なものがあります。


いつしかレースはソープ街を抜けて琵琶湖畔の田園風景へ。ひたすら走り続ける日夏と道子。「東京のお返しは琵琶湖で!」と道子の鼻息が荒まります。しかしバックに映るのはごく普通の田舎の住宅街。この落差に見ている方は爆笑の発作が。日夏は日夏で「あの女なら意外に耐久力がある。駒沢の3コーナーのようにどこかでスパートして一気に…」なんて真剣にレースしている場合か!道子はいいとこまで日夏を追いつめますが、日夏もさすがに命がかかっているので必死です。しぶとく逃げ回ります。髪を振り乱し半泣きで追う道子。いやあ人間何が怖いかといって、包丁もって髪を振り乱した和服の女が半泣きでどこまでも追いかけてくることぐらい怖い事はありません。そんな決死のレースを道行くオッサンがボサッと眺めていたりするあたりの緊張の緩和具合は絶妙で爆笑の発作はさらに亢進。


さすがの道子も追跡が長丁場になってきたので力つきかけます。するとどうでしょう!目の前に死んだシロの幻が!その幻に導かれるように限界を超えて走り続ける道子!彼女も日夏ももうヨレヨレです。階段を上ろうとしてもズズズズと滑り落ちてしまったり。そのスキに階段を登りきってしまう日夏。もうダメか!と思ったらこんどは幻影の中に初範が登場してきて「ボクはいいから!あなたは先に!」当の初範もまさか婚約者が近所でこんなイカレたレースを繰り広げているとは夢にも思わないでしょう。


そんなランナーズ・ハイが見せる幻影に力づけられながら、ついに道子は日夏を琵琶湖大橋の上に追いつめます。もう少しで追いつく…追いつく…追いついた!…と思ったら追い抜いた!「勝った!勝ったわよ!」もう疲れ果てて自分が何のために日夏をおいかけていたか判らなくなっているようです。そしておもむろに包丁を構える道子。出刃を腰だめにして日夏に体当たり!日夏の腹から噴水のように吹き出る血。ちなみに原作ではこのあと道子が日夏を抱え上げて琵琶湖へ投げ込むというたいへんパワフルなシーンが入っていますが、映画ではそのまま道子の捨て台詞。絶叫。「お前なんかに、琵琶湖へ沈んだ女の怨み節なんて、判ってたまるかー!」また日夏にブスッと体当たり。


この「ブスッ」の瞬間シーンが切り替わって、スペースシャトルがドドドドと発射するシーンに繋がるあたりのセンスは狙ってできるものではありません。感情の爆発の表現としては秀逸ですが、作り手の意図とは裏腹に観客は笑いの感情が爆発。まあなんでここでいきなりシャトルかといえば、例の大介くんがNASAに渡ってスペースシャトルのクルーになったからということらしいのですが、しかしこの唐突さはどうだ。雰囲気は琵琶湖畔の呑気な田園風景から一気にハードSFへ。そして大介君は宇宙遊泳のついでに眼下に見える琵琶湖(しかし宇宙から琵琶湖ってあんなに大きく見えるもんなのか?)に向かって笛を手向けるのであった…。完。


なんだか話が文字通り宇宙規模になってしまって観客をケムに巻いたまま映画は堂々と完結してしまい、呆然としているうちに力強く画面に出てくる「終」の文字。うわぁ終わっちゃったよ。この気持ちはうまく言い表せませんが「誰も止めてやるヤツはいなかったのか…」と劇画調の顔でつぶやかずにはいられない取り返しのつかなさ。覆水盆にノーリターン。


まあ最初にも述べましたが、この映画はすなわち闇鍋です。例えば走る女と犬の話なら真っ当な感動作に成っていたかもしれない。あるいは身勝手な男に復讐する女の話なら。銀行員と恋に落ちるソープ嬢の話なら。琵琶湖に伝わる笛とそれにまつわる悲しい伝説の話なら。しかしそれらを全部一緒くたに投入してしまったために、映画全体が橋本忍のパトスで煮えたぎる巨大な闇鍋になってしまったとしか言いようのないコントン味になってしまいました。あとついでに言えば、闇鍋とはその混沌具合にビックリしたりウゲッとなったりゲラゲラ笑うものであって、美味しさはほぼ完全に望むべくもないものであります。まあ、そもそも映画なんてものは大なり小なりフタを開けてみなければ素性の判らない闇鍋であるとも言えますが、それにしたってこのカオスっぷりは凄い。常軌を逸しています。現在大カルト映画とされているのも納得の闇鍋度。お好きな方はぜひご賞味あれ。胃もたれ覚悟で。南無。


(2004年07月18日)
幻の湖
1982年 日本
監督:橋本忍
出演:南條玲子 長谷川初範 隆大介