さて『殺し屋1』。いろんな意味で凄い映画でした。以下何が凄かったのか列挙。
スゴ1)
血とか臓物とかのスプラッタ描写が大変なことに。と言うと思い出すのが傑作スプラッタ『ブレインデッド』のクライマックス殺戮まつりですが、そっちの方は血肉をぶちまけるのが主に「一度死んだのに何かの間違いで動き回っている人」だったりするわけで、観ているこちらもバケモノ退治ゴーゴーという感じで後ろめたさ皆無、むしろスポーツじみたスガスガしさを感じてしまいヤホホーな訳です。しかし『殺し屋1』の場合そういう超自然的なモノが一切無く、むしろ歌舞伎町という超世俗的な空間で、生身の人間を相手に繰り広げられる容赦ない人体破壊。足首スッパリとかビーチク切断とかを真正面からモロ描写。吹き出す血。ゾーモツ。この描写が真正面から描いてあるだけあって激烈に痛い。つーか観ていてツラい。この手の内臓ズルルな映画を散々観てきたわたくしでもそこそこツラかったので、浅野忠信のおしゃれ映画と間違えて観に来たナイーブな婦女子などは何をかいわんや。途中退場したり、上映後はロビーに座り込んでハンカチで口をおさえグッタリ、なんて人がいましたよ。
スゴ2)
お話は原作通りの「変態と変態のせめぎあい」みたいな話で、例えて言うならまあ北の変態と南の変態が出会ってからパンチDEデートにいたるまでを司会の桂三枝がお膳立て、やすしきよしもお手伝いしまっせ、という感じ。というわけで冒頭からお互いの変態っぷりが炸裂で、結果として悪趣味が全編に花開く壮絶な内容に。なにせタイトルの出方からして壮絶に悪趣味(あんなものの中から浮き上がるタイトルロゴ!)。「変態」というのは主にサド方面やマゾ方面の話だったりしますので、当然他人に暴力を加えたり虐めたりと正視に耐えない描写もテンコ盛り。
スゴ3)
最高に凶悪なのは、こうしたエログロバイオレンスなシーンを完全にギャグとして演出していることで…。
スゴ4)
そのギャグ感にかなり貢献しているのが浅野忠信の超脱力演技。どんなにハードなシーンでも全く作り込みのない素のままの演技で、その力のヌケ方がひとまわりして逆に凄みに転化しておりますが、逆に脱力感あふれるクライマックスには力いっぱいはしゃいで登場、そのギャップがどうしようもなく黒い笑いとなります。
スゴ5)
あとはもう、ラストがサッパリわけ判らないトコとか。三池崇史の映画って、ラストが唐突かワケ判らないかのどっちかのような気がするんですが。
スゴ6)
エンドクレジット。カッコはえらくいいんですが読めない。もう、こういうところまでも良識に喧嘩売ってまして、アッパレと手放しで誉め讃える他はない。
(2001年03月16日)