HOUSE ハウス

えー公開当時の1977年。当時イタイケな幼稚園児だったわたくしが、劇場の看板になぜか心惹かれながらも観る事ができずにいた邦画ホラー『HOUSE ハウス』。機会があって本日27年の時を経て鑑賞。しかしこんな歳の頃からこういう映画に興味津々だったのか…と我ながらハラショーです。今で言うと何だ。『呪怨』のポスターに異常に興味を示す子供みたいなもんか。ヤだなあそんな子供。まあ逆に言えばこういう幼児体験がこんにちのわたくしを形成しているとも言える訳で、三つ子の魂百までとはよく言ったものであります。


で、肝心の映画。これ実は今や大御所の大林宣彦監督の長編デビュー作です。夏休み、田舎の洋館に合宿にきた女子高生7人組が、屋敷にそのものに一人また一人と食べられてゆく、というお話。…と書くと13金のようなゴアなホラーのような気がしてきますが、これが意外にも物凄く乙女チックなファンタジーに仕上がっておりビックリ。しかもその乙女チック加減が暴走することおびただしい。冒頭、仲良し7人組が列車に乗って洋館へ向かうシーン。当然のごとく女の子たちは夏休み気分でハシャぎにハシャぐわけですが、驚くべきことにその時のキャピキャピ(死語)したノリをキープしたまま映画はエンドロールまで突っ走ります。ホラーのくせに。


…と書くと大脳のシワに虫がわいたような能天気映画っぽいですが、しかしこれがなんかイイんですよ。70年代の少女漫画風味溢れる甘酸っぱい感じのファンタジ−。池上季実子、大場久美子、神保美喜などの当時のアイドルたちが、時にたわむれ、時に恐がり、時に脱いだりしながらほとんど素に近いような女子高生っぷりを発揮。そんな彼女らの一夏の思い出っぽい感じで映画は進んでゆきます。


しかし、当の洋館に入ってきたあたりからボチボチと怪異が起きはじめ、一人、また一人と消えてゆく少女たち。井戸に生首が転がり、骸骨は踊り、ピアノに全身を食いちぎられ、壁からは血糊が吹き出し、そこいらじゅうにバラバラになった五体がまき散らされ…とこう字面では『ブレインデッド』のような大残酷祭りのような感じですが、ホラー描写が合成と操演を多用した、ともすれば妙にマンガチックなものばかりなので残酷さはほとんどナシ。カット割も、恐怖をあおるようなネットリしたものではなく、次々と畳み掛けるようなテンポの良さ。


このバカ高い乙女チック度とマンガっぽさが、ホラーという題材と融合した結果、他に似たものがどこにもない映画になってしまった…という青春ホラー映画の傑作です。大林宣彦の持ち味は、セット撮影をベースに書き割りやワイプや合成を多用した人工的な画面と、チョコチョコと細かいカット割りによる畳み掛けるようなテンポだったりするわけですが、それはともすれば映画全体を嘘っぽく、空々しくしてしまいかねない諸刃の剣といえます。特にカット割の細かさは、映画の余韻成分を根こそぎカットしてしまうような危険な性格のものですが、それらがこの映画においては全てプラスに作用して、映画全体を独特の高揚感のあるファンタジーとして成立させております。おそるべし大林宣彦。おそるべし70年代日本ガーリー映画。劇中チョイ役で出演しているあの不審人物のようなヒゲオヤジがここまで濃い少女趣味を炸裂させるとは…にわかには信じがたい。ここはやはり大林はロ(以下略)ということで納得するより他は。


そういや女の子たちのアダ名が「オシャレ」「ファンタ」「ガリ」「クンフー」「メロディー」「マック」「スイート」だったりするあたり、強烈に当時の少女漫画センスが炸裂してます。もうアレですよ。こいつら絶対に「…なのダ☆」みたいな語尾で文章しめくくるタイプですよ。実際に「オヌシら」なんて言ってるヤツもいたな。とにかくその手の70年代少女文化が琥珀の中の化石のように現世に残されたという、あの時代の雰囲気を後世につたえる貴重な一本。


えーもうひとつ。音楽がゴダイゴ。これもこの映画のスイートな夏休み感を盛り上げている重要な要素と言えます。ああ、甘ずっぺえ。あと、残酷さが薄いとは言え結構インパクトのあるホラー描写が連発されてたので、これは幼稚園児にはキツかったかも知れない。もし当時見ていたら確実にトラウマのひとつやふたつは背負っていたでしょう。たぶん。


(2004年06月30日)
HOUSE ハウス
1977年 日本
監督:大林宣彦
出演:池上季実子 大場久美子 神保美喜 南田洋子