えーこの映画はですね、事故で片方の目を失明した女性(片平なぎさ)が、角膜の移植手術を受けます。彼女の目は完治しますが、その時から視界の中に見知らぬ男の姿が現れはじめます。最初はその幻影に悩まされる彼女ですが、いつしかその男の姿に恋してしまい、その幻の男を追い求めます。しかし実は移植された目は絞殺された女性のものであり、男の姿はその断末魔の光景が角膜に焼き付いていたものだったのです。つまりその女性を殺した犯人とは…。そうとは知らず男(峰岸徹)と巡り会い、ますます彼に惹かれてゆく片平。そして彼女の目の秘密に気付いた峰岸は…。
…という話なんですが、これ読んでピンと来たかたも多いでしょう。御存じ手塚治虫の傑作漫画「ブラック・ジャック」の1エピソードの実写映画化であります。いやもうこの時点で「来たかー!!」って感じですね。冒頭のタイトルバックからして原作のコマをコラージュしたもので、漫画の実写映画化であることを全面に押し出しております。監督は大林宣彦。自らの名をピノコのパンチラ姿の上にビシッとクレジットしておられます。やはり噂通りこの人ってロリ(以下自粛)。しかしアニメ調のタイトルバックの次に実写映像が堂々と出るのって凄い居心地の悪さだ。なんだこれは。
で、肝心のブラックジャックは誰が演じているかというと、これが何と宍戸錠。いやあTVドラマ版の加山雄三も謎過ぎるキャスティングでしたが、こちらも負けていません。宍戸錠といえばあの大福のようなぷるぷるホッペですが、それはそのままに原作に忠実な髪型と顔色で熱演。なんだこの悪玉コレステロールみたいなブラックジャックは!しかも登場するたび風が吹いてマントがヒラヒラしています。室内なのに。あとピノコもちゃんと出てきます。髪型やコスチュームなどなかなか頑張って原作を再現していますが、本体はどうみても素幼女。しかも声だけは大人が物凄い棒読みで吹き替えているという凄まじくビザールな事態になっています。ちょっと前の宇多田ヒカルによる地獄のような吹き替えといい、ピノコの吹き替えっていうのはある意味鬼門なのかも知れません。あとは原作に忠実にパンチラも再現。やはり大林監督ってロ(以下自粛)。
でまあこの犯罪のようなコンビが片平なぎさの目を手術するわけです。宍戸錠がブラックジャックのロゴ入りカバンから器具をとりだしてオペします。助手のピノコは甲斐甲斐しく宍戸ジャックの汗を拭ったりしつつ、メスの代わりにトンカチを渡したりしてボケたおします。重ねて言いますが演じているのはヒナ人形のCMに出てくるような幼女です。ビザールです。
で、ブラックジャックなので手術はバッチリ成功。片平なぎさも憧れのテニスのコーチと断崖絶壁で抱き合って喜びます。お友達の志保美悦子もおお喜び。ここから先は冒頭に書いた通りですが、片平は網膜の幻にトキめくあまりに電波な発言を連発。憧れのコーチが無実の罪で逮捕されても夢うつつのありさまで、密かにコーチに恋している志保美悦子も「こらアカン」と片平を電波認定します。この悦ちゃん、後半に消えた片平を追ううちにコーチといい雰囲気になったりしますが、結局片平とコーチは何ごとも無かったかのようにくっついてしまうので不憫です。実生活を彷佛とさせる男運の悪さと言えます。
周りの心配をよそに、峰岸と片平は悪いものでも食ったかのような勢いで愛を語りはじめます。このへんのくどいメロドラマっぷりは筆舌に尽くしがたく、峰岸がパリ帰りのキザなピアニストという設定もあってケツにポキールが張り付いたような居心地の悪さが炸裂します。殺された女と峰岸との回想シーンでは、
「あなたを愛していたわたしはもう死んでしまったの!」
「まだ愛しているんだ!」
「わたしと居てはあなたの才能はダメになってしまうわ!」
「思い出さないのか!この曲を聴いても!」
バーン!と、突如産卵するシャケのような表情でピアノを弾きはじめる峰岸。そこには二人とピアノしかないはずですが、ドラムやブラスの豪華な伴奏付きなので感動的です。このように後半はこの手の化石のようなメロドラマが延々続きます。いいかげんグッタリするので誰だこの脚本書いた奴は!と思ってあとで調べてみたらジェームス三木でした。しかしこうしたド真面目なシーンの背景にいきなりヒョウタンツギの絵が飾ってあったりして爆笑させられるのは喜ぶべきか怒るべきか微妙なところです。
これだけでも十分すぎる破壊力ですが、この映画はそれにとどまらない異様な歪みを感じさせます。たとえば後半のサスペンスが盛り上がるハズの場面で、何の脈絡もなく千葉真一が登場。何か良く判らない事をひとしきりわめいたのち退場したり、手がかりを持つ人物が「ええ、知っています」と期待をもたせる台詞を言ったっきり黙りこくってしまい(次の台詞を忘れた?)、明らかに気まずい沈黙が流れるのを志保美悦子が微妙なリアクションでフォローしたり、本筋に全く関係なく壇ふみが特別出演してたり、特別出演と言えば映画評論家の石上三登志や映画監督の藤田敏八が限り無く楽屋オチに近い形で出演していたり、監督といえば大林宣彦自身もチョイ役で出演していたり、一見重要そうでない役に大女優の月丘夢路を起用、実は何かの伏線かと思わせておいて以後全く出番がなかったり等々、キャスティングと起用の仕方のバランスが異様なまでに歪んでおり、みていて無闇に不安になります。これに限らず大林作品には観ていて妙に不安になるシーンが多々存在し、これが彼の作家性なのかと思いますが、しかしこの映画のバランスの狂い加減はちょっと他には無い味がありますね。
そして最後、ブラックジャックとピノコのやりとりで映画は終わりますが、ピノコ(なんか幼いころの中嶋朋子じゃないかと思うんですが、どうか)が「あたちせんせいのコト、しぬほどあいしてゆ」と余りにもヤバい棒読みで語ったあとブラックジャックにキスするのをカメラがローアングルから狙ってパンツがチラ。という今となっては冷汗の止まらないシーンがあり、やはり大林監督はロ(以下自粛)。この後ピノコのドアップで例の「アッチョンブリケ」が出るのですが、観ていて猛烈にいたたまれなくなりました。
それはそうと、これとほぼ同じ内容のハリウッド映画で、マデリーン・ストウ主演の『ブリンク/瞳が忘れない』という映画もありましたね。これってちゃんと手塚治虫の名前がクレジットされてるんでしょうか?『ライオン・キング』みたいな無礼な事になってなければいいのですが
(2002年10月20日)