えーこの映画の解説をすることは豪雨の日に河原へ遠足に行くぐらい無駄でかったるい行為でして、そんな事するぐらいなら庭のアリでも観察してた方がはるかにマシという気もしますが、このかったるさを皆様にお伝えするのもわたくしの務め、と信じてヤル気アクセルを空フカシ、貴重な休日を棒に振って頑張ります。
まあタイトルの通りどえらいクモが地球にやってきて狼藉の限りを尽くす訳です。ビデオのパッケージはゴジラのようなスケール感のクモ君が都市を破壊し、パツキンのセクシー姉ちゃんが逃げまどうという迫力のシーンが生頼範義先生のような力強いタッチで描かれていますが、パッケージ裏を見れば黒いカニ道楽のようなハリボテの写真が。このウソ・オオゲサ・マギラワシイの三拍子揃ったJARO大笑いのイラストからも映画の底の抜け方が伺えます。
早速ビデオを観てみましょう。開巻、地球へ向かって謎の彗星が突進してゆくさまが往年の円谷プロのようなチープな効果音とともに描かれます。この素晴らしく覇気の無いオープニングにいきなり停止ボタンを押したくなる衝動にかられますが、とりあえずガマン。先は長いです。
所変わってアメリカの田舎町。とある農家。父ちゃんは伝導集会に行くとか言いながら愛人の家にシケこみ、母ちゃんは酒に溺れて妹の恋人に色目を使い、その妹は恋人とデート先で不純異性交友、という山田太一のドラマのような家庭環境。おそらくはこの映画の人間ドラマ部分を一手に担っていると思われる家族ですが、描写が妙に牧歌的なのでギスギスした人間関係の割には雰囲気は和やか。何か「テキトーに撮ってたらこうなっちゃった」みたいな天然風味を感じます。
この農家夫婦が痴話ゲンカしている最中に、先ほどの彗星が農場に落下。空が真っ赤に燃え、爆風が吹き荒れます。これは大変だ!どうしよう父ちゃん!
「今日はもう遅いから、明日見に行こう」
椅子からズリ落ちるわたくし。オマエそこ自分ちの庭やないか!と突っ込みを入れても空しく、万事このノンキな調子でお話は進行。
翌日、異変に気付いた科学者たちが調査を開始する一方、あの夫婦は「ほらみろ、なんもねえじゃねえか」「うるさいわねこの甲斐性ナシ」と心あたたまる会話を交わしながら裏庭を探索。唐突に母ちゃんがコテッとワザとらしさ120%で転んだかと思うと、そばには血まみれの牛の頭蓋骨が、という感じでじわじわと恐怖が小出しにされて行きますが、例によってノンキな感じが炸裂しておりますのでサスペンスは皆無。
次々と見つかる牛の死体。「大損害だわ」と嘆く母ちゃん。しかし父ちゃんは相変わらずのノンキな口調で
「んなことない、肉にして売りゃいいんだよ」
「そんな…毒でも入ってたらどうするの?」
「知るか」
…はっきり言ってクモ云々よりもこの夫婦の方が面白いです。
科学者達が「放射能が…」「ガイガー・カウンターを…」「ブラックホールは…」などと何となく徒労感の漂う会話を交わす一方、例の夫婦は現場近くで謎の石を発見。割ってみるとダイヤのような石がバラバラ出てきたので大喜びですが、欲に目が眩んだのかその石から小さなクモがヒョッコリ出てきたのにはちっともお気付きでない御様子。ついでに言えば宇宙からきた隕石になんで地球のクモ君がお入りになられていたのか、という点には我々もこれ以上気付かないフリを続けるのは不可能です。
その後、母ちゃんは巨大化したクモに食われてアッサリ死亡。父ちゃんは例によって愛人の所に日参、帰って来たら来たでダイヤをエサに母ちゃんの妹を口説いたりと股間のサブ・マシンガンを連発、母ちゃんが消えたのをいいことに「男子の本懐ここにあり!」とこの世の春を謳歌しますが、呑気にダイヤをほっくり返しているところをクモに丸のみにされ死亡。妹はフロあがりのサービスカットを連発したあとクモに襲われ意識不明に。
以後この家族は映画に全く出てこなくなります。よって自動的に人間ドラマ部分は終了。あとはハリボテのクモが微笑ましい挙動でノタノタ走りまわるのをボケッと眺める羽目になり、面白さはゼロメートル地帯に突入。この時点で映画はやっと折り返し地点です。何かこう大事な物をドブに放り捨てているような気もしないでもありません。
巨大化したクモは田舎のチンケな祭りを襲います。一大パニックシーンですが、逃げまどう人々が何となく嬉しそうな上に、つまづいて転んだだけで死ぬ人が続出するのでサスペンスは動かざること山のごとしです。このとき暗い画面にこの映画を観ているわたくしの顔が映りこみましたが、やんちゃな子供をあやす時のような目になっていました。
一方科学者たちは、「ブラックホールがヤツらのエネルギー源だ」などと科学的に底の抜けまくった台詞を連発。「ヤツらを倒せるのは中性子弾しかない」と物騒な事をいいますが、街では普通の乗用車とぶつかって動けなくなっているクモがいたりするので説得力は皆無です。
親玉クモに銃で立ち向かった保安官が、弾切れの果てにブチ切れて素手でクモに挑みかかり死ぬという爆笑シーンが繰り広げられるうちに、例の中性子弾が到着。早速投下するとボヘッとしょぼい火柱が出て親玉クモはあっさり死亡、ショッカーの怪人のようにズルズル溶けて成仏します。その光景をみながら科学者たちはトドメの一言。
「こんなことがまた起こるの?」
「…判らない」
この殺意を憶えるほど投げやりな台詞で映画は終了。その後エンド・クレジットとともに旧約聖書だかなんだかの一節が思わせぶりに流れますが、そんなのものを真剣に聞くほどわたくしのフトコロは広くありません。
あ、そうそう、この映画、なんと76年に日本でも劇場公開されているそうです。いやーいろんな意味でいい時代だったんですねえ…。何がよくてこんなバッタ物を輸入したのか、この映画を買い付けた当時の配給会社の人に話を聞いてみたい。まさかこの手の映画のポンコツぶりを愛でる、という楽しみ方が当時すでに確立されていたとは考えにくいですが、さりとてこの映画にシリアスなものを期待して公開したとも思えない。思える訳がない。謎です。
まあそれはいいんですけど、こんな天気のいい昼下がりにこういう映画を観ている自分を省みると、なんだか無性にやり切れなくなってきますね。気晴らしにちょっと酒でも飲んできますよ。じゃーまた。
(2000年)