というわけで『ブルークリスマス』(英題"BLOOD TYPE:BLUE")を見ました。この春に逝去された岡本喜八監督作品であります。あの『新世紀エヴァンゲリオン』にて「パターン青、使徒です!」という台詞の遠い元ネタになった映画ですね。実は隠れた名作です。
世界各地でUFOの目撃事件が続発。その目撃者は何故か血液が真っ青に変化してしまう。しかし政府は青い血の人間を侵略者の手先とみなし、謀略と陰謀とトンチを駆使して彼らの根絶やしに精を出すのであった…真相を追う新聞記者!運命に翻弄される若い恋人たち!暗躍する政府の手先…と書くとなんだか壮大なロマンっぽい。いや実際かなりスケールの大きなSFロマンであり、地球規模のポリティカル・フィクションであってなんだか原作は手塚治虫ですよと言われても激ナットクの内容なのですが、なんとオリジナル脚本は誰あろうあの倉本聰でした。あの「北の国から」の人がこんな24時間テレビのアニメスペシャルみたいな話を書いていたとは…と驚きの余りさだまさしの毛根も死滅します。それ繋がりなのかちゃんと田中邦衛も出ていましたよ。ヒロインの兄という役どころでしたが、ヒロインがあの清純メーターが振り切っていた頃の竹下景子なので実の兄妹なのかどうかはいまいち確信が持てません。
まあそれはそれとして、一見SFと見えたこの映画ですが、UFOも宇宙人も姿は全く出てきません。実は中身はバリバリのマイノリティ迫害物語で、体制側があの手この手の謀略を駆使して青い血の人間を人類の敵に仕立て上げ抹殺してゆく様を外堀を埋めてゆくように描いており薄ら寒いものがあります。マスコミを利用した個人抹殺や世論操作。事故や自殺に見せかけた謀殺。迫害される人間の「処理」。UFOとか青い血とか、そういうオブラートが無ければ観るにはツラい話でしたね。まあ現代日本を舞台にマイノリティ迫害の物語を波風立たない方法で商業映画として成立させようとするなら、こういう方法しか無いのかもしれません。
「青い血」というのはイコール「冷血」「非人間的」というイメージを抱きがちですが、この映画では青い血になった人間はみな穏やかで平和的な性格になってしまいます。全くといっていいほど無害、というよりむしろピースピースという感じで、それを何となくよく判らないからというノリで冷酷に抹殺しようするのは赤い血の人間たち、というアイロニー。つか政府の黒幕としていろんなところでインボーをフル回転させているのが誰あろう天本英世と岸田森という日本2大血が青そう男優だったりしますから、このアイロニーは強烈というかギャグ寸前です。
豪華キャストにも注目。ヒロインの竹下景子はとても三択の女王などとは呼べない可憐さで、金田一シリーズの坂口良子に続いてまたしても嫁に欲しい。その恋人に勝野洋、同僚に沖雅也の太陽にほえるコンビ。事件の謎を追う新聞記者に劇中全くまばたきをする気配がない仲代達矢。その上司に哀愁の黒縁メガネこと中条静夫、微妙に若い大滝秀治、小沢栄太郎。青い血の人間の存在を学会に発表してガイキチあつかいされる科学者に岡田英次。その妻に八千草薫。いやあ濃いぜ!なんて濃いんだ!しかし物故者ばっかりだな。あまり昔を振り返るばかりなのもよくないですが、しかしこの濃さはどうだ。やはり昔の邦画はあなどれない。
残念なのはこれだけの壮大な内容ながら予算の制約を受けているのがハッキリと分かってしまうところで、終盤のカタストロフィたる世界規模のジェノサイドのシーンのあっけなさには思わず血涙が出そうになります。まあ予算があったらあったで安いシャンデリアみたいなUFOとか血色の悪いエイリアンがカクカク跋扈していた可能性は否めないのでそこはそれ痛し痒しですが…。
岡本監督は職人的な立場でこの映画に関わっている印象が強いですが、それでも独特のリズミカルなカッティングに監督の刻印が見て取れます。この映画は岡本喜八の、というよりは倉本聰のもの、と言った方がいいんでしょうね。クリスマスに白い雪を青く染める血、というウエットな詩情は普段の岡本監督なら照れくさくてやらないような気がします。
(2005年09月07日)