ウルトラシリーズと藤子アニメ


 藤子不二雄先生原作による一連のアニメシリーズ――いわゆる”藤子アニメ”は、円谷プロのウルトラシリーズとの間に何か浅からぬ因縁があるのではないかと思われる。などと書くと少々大げさだが、一見まったく関係のないように見える両シリーズに意外な関わり合いや共通性があるのは確かなので、それについて記してみようと思う。だから何だと言われればそれまでなのだが、このコーナーの主旨がそもそも”ムダ話”なので、ご容赦いただきたい。なお、現在では藤子漫画をF先生とA先生の作品に区別するのが通例だが、ここでは敢えて単に藤子アニメとしてひとまとめにした。

 さて、ウルトラシリーズの第一弾といえば、もちろん『ウルトラQ』。そして藤子アニメの第一弾は、東京ムービー製作による白黒版『オバケのQ太郎』である。TBS系での本放送時には、日曜夜7時からが武田薬品提供による『ウルトラQ』で、続く7時30分からは不二家製菓提供による『オバケのQ太郎』という編成だった。『オバQ』の方が5ヶ月程先行して放送されていたが、昭和41年1月より『ウルトラQ』が放送されることで互いの相乗効果もあってか、両番組共30%以上の高視聴率を稼ぐ驚異の時間帯となった。
 ここで着目したいのは両作品に共通する”Q”の文字である。両作品共にその語感から来る不思議なイメージがピッタリだということからつけられており、何かのことばの頭文字という訳ではない。不思議な世界に普通の人々が入りこんでしまう『ウルトラQ』。不思議なキャラクターが普通の世界に入りこんでしまう『オバQ』。まるで方向性の違うようなこのふたつの作品も、根は一緒なのではないかと思えてくる。しかもこういった共通性はこれ以降の作品にも表れている。
 ウルトラシリーズ第二弾は、言わずと知れた『ウルトラマン』。怪獣と対決するためのヒーローが登場し、前作以上にテレビ的な作品になった。ヒーローのネーミングとしてはもっともポピュラーな「――マン」という名称は、国産テレビ映画ではこれが初めてである。そして2番目の「――マン」が藤子アニメの第二弾『パーマン』なのだ。スーパーマンを超えたウルトラな超人だから「ウルトラマン」、スーパーマンには力が及ばないのでスーパーマンからスーをとって「パーマン」。両者は実に対極にあるヒーローではあるが、そのネーミングのもとは共に「スーパーマン」であった。
 ウルトラシリーズは東映製作の『キャプテンウルトラ』を経て、再び円谷プロ製作となった『ウルトラセブン』で一旦ピリオドを打つ。そしてその後番組として円谷プロが製作したのが『怪奇大作戦』である。怪獣ブームが妖怪ブームへと変わりつつあった時期であり、妖怪&怪奇ブームへの便乗とも考えられるが、完成された作品は他の妖怪モノなどとはまったく異なるものだった。一方の藤子アニメもこの時期、怪奇映画のパロディともいうべき『怪物くん』を放送している。ギャグアニメとはいえ心理的に怖い話も少なくなく、どこか『怪奇大作戦』に通じるものがあった。
 ここまでのウルトラシリーズ(怪奇大作戦はウルトラシリーズではないが、その延長線上にある作品なので敢えて含める)、藤子アニメのタイトルに共通する文字を並べると、「Q」「マン」「怪」となる。これを見ただけでも両シリーズが共に[不思議→ヒーロー→怪奇]という流れになっていることは明確だ。それぞれ本格的特撮TVシリーズ、ギャグアニメのパイオニアである両シリーズが同じような変遷をたどっていた点は、とても興味深い。
 円谷プロ作品は『怪奇大作戦』の終了と共に日曜夜7時からの時間帯から退くことになり、その2週間後に藤子アニメも『怪物くん』の最終回をもってこの枠での放送を終了している。ただし、曜日と放送時間を変えて『ウメ星デンカ』がこれに続き、2クール放送された。この作品は宇宙人と地球人との常識の違いからくるおかしさが描かれており、ウルトラシリーズに無理やり当てはめるならば『ウルトラセブン』に相当するだろう。


 その後、ウルトラシリーズは71年4月に『帰ってきたウルトラマン』で復活し、藤子アニメも同年9月に日本テレビ系で『新オバケのQ太郎』がスタートした。しかもこの第二期からウルトラシリーズも藤子アニメ作品同様、小学館の学習雑誌に掲載されることとなり、80年代に至るまでウルトラマンと藤子作品は学習雑誌の2本柱となっていく。
 ところで、『新オバケのQ太郎』には当時の変身ブームを如実に反映したエピソードが存在する。ウルトラマンをパロった「ブルトラマン」がテレビのヒーローとして登場し、もうひとつの人気テレビヒーロー、仮面ライダーをパロった「カメ仮面」と対決するというものだ。ウルトラマン対仮面ライダーという夢の対決が藤子アニメの中で実現したのである。後にビデオソフトでこの夢の対決は本当に実現してしまったが、当時は考えられないことだった。
『新オバQ』は72年12月で終了したが、翌73年には2本の藤子アニメ作品が放送された。まず3月に毎日放送系にて『ジャングル黒べえ』がスタート。金曜夜7:00〜7:30という放映時間は当時『ウルトラマンタロウ』の裏であり、ここに来て藤子アニメはウルトラシリーズのライバルになってしまった。
 そして4月には日本テレビ系にて『ドラえもん』が初のアニメ化。こちらは、なんと日曜夜7:00〜7:30という、かつてウルトラ第一期シリーズが放送されていた時間帯だった。なんという因縁であろうか……という程、大げさな話ではない。単なる偶然だ。しかし、何が悪かったのか、低視聴率のため2クールで打ち切りになった。
 藤子アニメはこの後、ぱったりと製作されなくなり、79年4月、実に5年ぶりに登場したのがテレビ朝日とシンエイ動画製作による『ドラえもん』新シリーズであった。一度失敗した作品ということで他局には拒否されたが、小学館の「コロコロコミック」での絶大な人気によって再アニメ化が実現したという。この作品が大ヒットしたため藤子アニメは80年代に続々と作られることになる。一方、ウルトラシリーズも、時を同じくしてブームが起こり、アニメ『ザ☆ウルトラマン』で復活。翌年の『ウルトラマン80』は本来の実写作品として本格的に復活した。

 現在、『ドラえもん』はいつ終わるのかわからない程に延々と続いているし、ウルトラマンシリーズはテレビこそ途切れがちだが、劇場映画やオリジナルビデオも含めれば、新作が頻繁に製作され続けている。こうなると両シリーズが同じ頃に復活して同じ頃に大人気になるといった、かつてのような現象は起こりにくい。人気が安定した代わりに、熱狂的なブームも起こらなくなってしまった。そういう意味ではウルトラシリーズと藤子アニメは、いまだに同じ道をたどっていると言えよう。