NEW LOST RAMBLERS


 ■ NEW LOST RAMBLERS

  2004年3月8日(月)


アルバート・リー 『ハイディング』

ポニーキャニオン / D32Y3560


曲目
Hiding 01. COUNTRY BOY
02. BILLY TYLER
03. ARE YOU WASTING MY TIME
04. NOW AND THEN IT’S GONNA RAIN
05. ON A REAL GOOD NIGHT
06. SETTING ME UP
07. AIN’T LIVIN’ LONG LIKE THIS
08. HIDING
09. HOTEL LOVE
10. COME UP AND SEE ME ANYTIME

イギリス生れのカントリー・フリーク
  今を時めくカントリーの女王、エミルウ・ハリスを世に送り出した名プロデューサー、ブライアン・エイハンは、一人のイギリス青年に惚れこんだ。その名は、アルバート・リー。このCDの主役だ。1943年12月21日、英国で生れたリーは、幼き日の楽器初体験はピアノだったという。少年期に興味を抱いていた音楽はロカビリーだった。そのアイドルは、バディ・ホリージーン・ヴィンセントリッキー・ネルソン。1962年、何と16歳時にはこのリー、ナッシュビルのカントリー・ギターの職人、ハンク・ガーランドレッド・フォーリーエルヴィスのバックでお馴染み)を聴いていたというから凄い。英国という国、何故か伝統的にアメリカ南部音楽のドロドロした部分を好む。ブルーズ、R&B、ロカビリー、ウエスタン・スウィング。カントリーとロックン・ロールのルーツ・ミュージックが今でも盛んのようだ。
 アルバート・リーは、そんな英国でギターを独学でものにしたようだ。学校をやめてプロを志したのが十代半ば。19歳の頃、「クリス・ファーロウとサンダース」というバンドに参加する。「カントリー・フィーヴァー」というバンドにも一時在籍したようだ。そしてついに自身のバンド、「へッズ・ハンズ&フィート」を結成した。24歳のことだった。1970年代の初期は、アメリカでカントリー・ロックが大流行した。リーのバンドは英国生れのカントリー・ロック・バンドだった。3枚ものアルバムを発表したへッズ・ハンズ&フィートは、3年余りの活動で1972年に解散してしまう。その頃のアルバムは、日本盤として紹介されたこともあったし、事実かなりのファンがアルバート・リーのバンドに惚れこんでいた。その後、フリーのギター奏者として、リーは大活躍する。ピーター・フランプトンロリー・ギャラガーダン・エヴァリージョー・コッカーのバック・ギタリストとして修行する。ジョー・コッカーの口利きで、エミルウ・ハリスのバンドに参加、ジェームス・バートンの後釜ギタリストとして参加する。エミルウと言えば、70年代のカントリーの女王だった。キティ・ウェルズ以来女性のカントリー・シンガーとしてエミルウは当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。アルバート・リーは幸運だった。彼のギターはアメリカ人好みの正統カントリー・ギターだった。その枯れたヴォーカルも魅力的だったし、渋い味わいがある。エミルウのプロデュ−サーだったブライアン・エイハン、A&M社にアルバート・リーのソロ・アルバムの企画を持ち込む。そして実現したのがこのアルバム、1979年のリリースだった。エミルウ・ハリスホット・バンドでイギリス、アメリカ・ツアーを体験した彼の初のソロ・アルバムは、ゴキゲンなカントリー・ロック盤に仕上がっている。
ジミー・ブライアントとの出会い
 カントリー・フレイバーが売り物のアルバート・リーの速弾きギター、その影響を与えたと言われる50年代〜60年代栄光のカントリー・ギター名手達に少し触れてみることにしよう。サン・レーベル最大のスターは、ロカビリーを編み出したエルヴィス・プレスリー。そのバックメンは、ロカビリー・ギターの元祖と言われているスコッティ・ムーアが務めていた。このスコッティエルヴィスとのセッションで名を上げる以前、マール・トラヴィスという西海岸カントリー・ギター名手のテクニックをコピーしていた事があった。マールは、カントリー・シーンでもいち早くエレキ・ギターを導入した人物。マール・トラヴィスの他に西海岸カントリーには、エレキ・ギターの名手にジョウ・メイフィスジミー・ブライアントなどが活躍していた。 ジョウはロカビリー・シンガー、コリンズ・キッズの育ての親としても広く知られている。ロカビリー・シーンでの影響度は、マールと共にかなりあった。ジミー・ブライアントも捨てがたい存在だった。彼こそがアルバート・リーに大影響を与えた人物なのだ。話は遡って、1962年、リーは母国のラジオ局から流れるダイナミックなカントリー・ギターに耳を奪われた。「アーカンサス・トラヴェラー」という曲だった。アメリカン・フィドルの伝統曲をジミー・ブライアントが見事にエレキ・ギターの速弾きとしてアレンジしたこの曲。実は米キャピトル『2ギター・カントリー・スタイル』というアルバムに収められている。
 一端のカントリー・フリーク少年だったリーは、驚くなかれこのアルバムを友人から借りてギター・スタイルを完全コピーしたと言う。このアルバム、ジミー・ブライアント(フェンダー・ブロードキャスター)とスピーディ・ウエスト(スティール・ギター)のギター・バトルを徹底的にフィーチャーしたカントリー・インストゥルメンタルの名盤だった。ジミーのギターは、烈火の如くパワフルで速弾き。きっとリー少年、このカントリー・ギター奏法に完全にノック・ダウンされてしまったようだ。ちなみにこのアルバムには「ブライアント・バウンス」「ホップ・スキップ&ジャンプ」などの名演奏も収められている。こんな事情から察しられるように、アルバート・リーのエレキ・ギターは、フェンダー・ブロードキャスターから始まったと見てまず間違いはないだろう。つまりジミー・ブライアントは、今日のストレートなロックン・ロール・ギターの元祖と呼んでも過言ではないだろう。ソリッド・ギターの歴史の中でもジミー・ブライアントは、かなり重要な人物だった。それはフェンダー愛用者だったし、モニターでもあった。今では余り語られないジミーのギター奏法だが、彼こそカントリー・シーンでも稀な高度のテクニックと洒落た音楽センスを持った人物だった。その証として、彼の代表傑作アルバム『Country Cabin Jazz』(米キャピトル)は、ロック・ギターのバイブルとしてアメリカやイギリスのフリークの間で語り継がれている。アルバート・リーは、そんなジミーがアイドルだったというから今更ながら驚いてしまう。この『ハイディング』と題されたアルバムは、そうした意味からもロッキン・カントリー・ギターの名盤と思えるほどの力作だ。
エリック・クラプトンもたまげた早弾きワザ
 もうお聴きの通り、このアルバムのハイライトは「カントリー・ボーイ」だ。へッズ・ハンズ&フィート時代に発表されたこの名曲、ジミー・ブライアントを彷彿させ、驚異の速弾きは、まさにジミーの再来といってよいだろう。この曲に面白いエピソードがある。このアルバム発表後、数年たってアルバート・リーは、エリック・クラプトンのバンドに在籍する事になった。運よく日本公演ツアーにクラプトンと一緒に参加したリー、エリック・クラプトン目当てのフリークの前で、この「カントリー・ボーイ」を披露した。ところが、御大の弾くギターより、リーのギター・ワークがファンに受けてしまった。これにはクラプトンもびっくり。日本公演で主役の座をアルバート・リーに奪われてしまった。では収録曲に触れておこう。

01. COUNTRY BOY
 ロックの王者、エリック・クラプトン公演で喝采を浴びたワケがわかる見事なピッキング。カントリー伝統の速弾きといっても侮ってはいけない。スモーキーなヴォーカルだって最高だ!フィドルは、盟友リッキー・スキャッグス
02. BILLY TYLER
 一転してカントリー・マインド満点のバラード。ストリングスを配し、ロンサムなハーモニカと時代にクロスした音作り。かすれ声が哀愁を呼ぶ。
03. ARE YOU WASTING MY TIME
 カントリーのヒット曲。ジミーと同じくキャピトル・カントリーの大スター、ルーヴィン・ブラザースがうたったもの。リーはクロス・ハーモニーの達人だったルーヴィンを意識して自らオーバー・ダブでそれを再現しているようだ。
04. NOW AND THEN IT'S GONNA RAIN
 骨太なアメリカン・ロック仕上がり。スワンプ・ロックと捉えてもよさそうだ。湿っぽい南部の風情がたまらない。
05. ON A REAL GOOD NIGHT
 ブライアンが育てたロドニー・クロウェルの作品。リーの甘いヴォーカルとシットリしたギター・ワークが魅力的な作品。
06. SETTING ME UP
 ダイア−・ストレイツのヒット曲まで料理してしまうアルバートマーク・ノップラーの作品カヴァー。南部ブラック&ホワイトのロックンロールの伝統が見え隠れし、サウンドに息づいている点が見逃せない。
07. AIN’T LIVIN’ LONG LIKE THISTAKE THE CHANCE
 こちらもロドニーの作品。初期ロカビリーの香りが漂う。ジェリー・リー・ルイスのセッションでリーは、本物のロカビリーを習得したのだろう。カントリー・タッチのピアノと、素朴なヴォーカルこそ、プリミティヴなロックン・ロールの美だろう。
08. HIDING
 スティヴン・ライムの作品。これもカントリー・バラード風。ドン・エヴァリーがハーモニーでお付き合い。ちょっと昔の流行り言葉でいうと「ロッカバラード」というところか。
09. HOTEL LOVE
 リーのヴォーカルは、相変わらず好調だが、スワンプ・ロック名手、トニー・ジョー・ホワイトを彷彿させる。ギターもチェックものだ。ザ・バーズ時代のクラレンス・ホワイトのストリング・ベンダーを意識か・・・。
10. COME UP AND SEE ME ANYTIME
 ダイア−・ストレイツは、J.J.ケイル・フリークで有名なのだが、どうもリーも負けず劣らずJ.J.がお好きのようだ。J.J.特有のモコ・モコ・エレキ・ギターは、独特の土臭いブルースとして日米の若者を魅了したものだ。アルバートもそんな若者の一人なのだろう。うたい方、ギター・ワークもJ.J.ケイルそっくりで微笑ましい作品となっている。
(1987年 / 2004年3月加筆)



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