NEW LOST RAMBLERS


 ■ NEW LOST RAMBLERS

  2004年2月12日(木)


ピーター・ポール&マリー 『ライフラインズ』

ワーナー / WPCR−198


曲目
Life Lines 01. THE KID
02. WANDERIN’ / NOBODY KNOWS YOU WHEN YOU’RE DOWN AND OUT
03. FOR THE LOVE OF IT ALL
04. HOME IS WHERE THE HEART IS
05. BABYLON / OH,SINNER MAN
06. HOUSE OF THE RISING SUN
07. TAKE THE CHANCE
08. SEPTEMBER SONG
09. OLD ENOUGH (ODE TO AN AGING ROCKER)
10. 24 GREEN STREET
11. THE GREAT MANDALA (THE WHEEL OF LIFE)
12. DEPORTEE
13. 75 SEPTEMBERS
14. BUT A MOMENT
15. RIVER OF JORDAN

  一般的に60年代のポップ・シーンを語る上で、決して外せない人物はボブ・ディランビートルズだと言われている。だが、この定説には“少し待てよ”とも言いたいものだ。まず忘れてはならないのは、あの時代にアメリカや世界中のファンの心をつかんだ〈60年代フォーク・ブーム〉のことだ。そこでの主役は、ピーター・ポール&マリー(以下PP&Mと略す)という若きフォーク・トリオだった。まずこのトリオが放った世界的なヒットを列挙してみよう。「風に吹かれて」「パフ」「レモン・トゥリー」「天使のハンマー」「花はどこへ行ったの」「500マイル」「くよくよするなよ」「虹と共に消えた恋」「悲惨な戦争」「朝の雨」などと、およそ枚挙にいとまがない。
 まさに怒涛の勢いをもったヒット曲の連発は、ただただ唖然とするばかりだ。早い話しが、こうしたPP&Mのヒット曲は、60年代のリアル・タイムで、アメリカやイギリスや日本の家庭に深く入り込んだというわけである。こうした点を踏まえると、60年代のポップスを語る上では、PP&Mの存在そのものはあながち否定できないものだ、ということがよく分かる。つまりこのフォーク・トリオは、ボブ・ディランビートルズの人気にも肉薄したスーパー・スターだったというわけだ。
 本作品は久々にPP&Mが古巣ワーナーで、かつてのグリニッジ・ヴィレッジ・フォーク・シーンの仲間達をゲストに迎えての素敵なコラボレーション・アルバムといえるものだろう。昔のフォーク友達を集めた、という点も大きな話題なのだが、このアルバムにはもうひとつの目玉が存在する。PP&Mと古くから親交のあった大物プロデューサー、フィル・ラーモンを迎えてのアルバム作りとなっている。余談だが、フィルPP&Mのヒット曲「悲しみのジェット・プレーン」が収録されているベストセラー・アルバム『アルバム1700』のプロデューサーを担当したことがある。ご存知のようにフィルは、今を時めく大物プロデューサーで、ビリー・ジョエルポール・サイモンフランク・シナトラ『デュエット』などのヒット・アルバムは、まだ記憶に新しいことだろう。さすが大物だけあって、PP&Mの新作は上質のアメリカン・ポップス風情を漂よわせての力作となっている。
 まずPP&Mのメンバーと簡単な足跡を書いてみよう。このフォーク・トリオのリーダー格はピーター・ヤーロウという人物。生れは1938年5月。ニューヨーク出身。高校時代は絵に夢中で、ウッドストックにあるアート村で本格的に絵を勉強したという。その時に知り合った友人たちが、ウディ・ガースリーピート・シーガーバール・アイヴィス、といったフォーク歌手のレコードを聴いていたので、ピーターもいつしかフォークを歌うようになったとか。大学はコーネル大学医学部。1959年コーネル大を卒業したが、定職につかずグリニッジ・ヴィレッジのコーヒー・ハウスでフォークを歌うようになったというのだ。またボブ・ディランがデビューを飾ったことで有名なコーヒー・ハウス「カフェ・ホワッ」で歌っている時に、後のPP&Mのマネージャーとなるアルバート・グロスマンと出会い、その後トリオの紅一点となったマリー・トラヴァースを紹介される。
 ピーターとは違って、高校時代はロックンロール大好きキッドだったポール・ストゥーキーは、メリーランド州出身で1937年11月生れ。最初に手にしたのはギターで、11歳の時だったという。ミシガン州立大学に入学、この時代はカントリーに親しんだというのだ。大学を中退、昼間は働き、夜はグリニッジ・ヴィレッジのコーヒー・ハウスでフォーク歌手兼お店の司会者をも兼ねて生活の糧を得るようになったとか。その頃の友人に、本アルバムでもゲスト・ミュージシャンとしてクレジットされているランブリング・ジャック・エリオットデイヴ・ヴァン・ロンク等がいたという。この時代のポールは、ヴィレッジ・フォーク仲間から素晴らしいギタリストとして注目されていたという。
 フォーク・トリオの紅一点、マリー・トラヴァースは、ケンタッキー州ルイヴィル出身で、生れは1937年11月7日。両親は共に新聞記者で、10歳の頃ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに移り住んだという。14歳の時にピート・シーガー率いる〈ソング・スワッパーズ〉という子供だけのコーラス・グループに入団、フォークウェイズに3枚のアルバムを残している。ニューヨーク演劇学校へ入学、女優を目指したがフォークを歌うことが大好きだったマリーは、いつの間にかヴィレッジのコーヒー・ハウスで歌うようになったというのだ。「コモンズ」というコーヒー・ハウスでポールと知り合い、一緒に仕事をするようになり、アルバート・グロスマンの紹介でピーター・ヤーロウとフォーク・トリオを作らないか、と話をもちかけられたという。こうしてPP&Mは、1961年の春グリニッジ・ヴィレッジのフォーク・シーンから衝撃的なデビューを飾った。
 ヴィレッジのすずめたちは、PP&M誕生を「モダン・フォークの元祖、ザ・ウィーヴァーズ(ピート・シーガー、ロニー・ギルバート、フレッド・へラーマン、リー・ヘイズ)を凌ぐ強力なモダン・フォーク・チームだ」と、コーヒー・ハウスのあちこちでささやいたというエピソードが残っている。PP&Mの評判は、あっという間にレコード会社のディレクターの耳にとどき、めでたくワーナー・ブラザースの目にとまり、1962年4月デビュー・シングル「レモン・トゥリー / 天使のハンマー」を発表、たちまち大ヒットを記録してフォーク・スターの仲間入りを果たしてしまった。以降、ワーナー・ブラザースより多くのアルバムを発表、70年代前半にソロ活動のためという理由で解散する。が、1978年に突然再結成を宣言し、1枚のアルバムを発表する。ところが大ヒットとは行かず、PP&Mは再び休養という冬の時代に入ってしまう。“再びPP&Mの復活を!”という熱心なファンの声がとどいたのか、1985年7月下旬、〈25周年記念公演〉と銘打ったコンサートを契機に、われらのPP&Mは本格的な復活を宣言して今日に至っているというわけだ。1964年に初来日、つい先日のライヴ・イン・ジャパン・コンサートと、度々の日本公演はわが国でのPP&M人気がいまだに根強いことを物語っている。

 本作品の聴きどころといえば、多彩なグリニッジ・ヴィレッジ・フォーク仲間、そしてカントリーの女王エミルー・ハリス、黒人ブルース界の巨人B・B・キングとの心温まるセッションに尽きる。各トラックに触れておこう。

01. THE KID
 アルバム冒頭は、PP&M黄金時代のモダン・フォーク・サウンドと何ら遜色のない出来映え。時を経ても衰えを見せない絶妙なコーラスに感動を覚える。
02. WANDERIN’ / NOBODY KNOWS YOU WHEN YOU’RE DOWN AND OUT
 初期ボブ・ディランに多大な影響を与えたホワイト・ブルース・シンガー、デイヴ・ヴァン・ロンクがゲスト。ブルース・ハーモニカは、ヴィレッジ〜ウッドストック・フォーク派のジョン・セバスチャンが務めている。なお、「ワンダリン」ピーター・ヤーロウの1975年発売の異色ソロ・アルバム「Hard Times (WB2860)」にも収録されていた。デイヴ・ヴァンのダミ声と、PP&Mのヴォーカルが絡まったストレンジ・ブルース。
03. FOR THE LOVE OF IT ALL
 ポールエミルー・ハリスのセッション。ご存知70年代カントリーの大スター、エミルーが参加とは…。表情豊かにポップ風味のアレンジが、とても気持ちよい。余談だが、彼女は、ワシントンDCでフォーク歌手を目指したこともあった。
04. HOME IS WHERE THE HEART IS
 80年代のグリニッジ・ヴィレッジ・フォーク・シーンの話題を独占したホリー・ニアマリーとの共演。しっとりとした女性シンガーならではのヴォーカルが、心の緊張をほどよく解放してくれる。
05. BABYLON / OH,SINNER MAN
 90年代のPP&Mサウンドがじっくりと味わえる作品。「オウ、シナーマン」は、ザ・ウィーヴァーズの十八番だったことでも広く知られている。
06. HOUSE OF THE RISING SUN
 「朝日のあたる家」は、誰しもが驚くゲストを迎えてのセッション。本アルバムの白眉は、ブルース界の重鎮B.B.キングとのブルース・セッション。マリー・トラヴァースのけだるいブルース唱法は、その昔から定評があった。B.B独特のギターも間奏で堪能できるのだから、これはもう絶品のコラボレーションとしか言いようがないようだ。
07. TAKE THE CHANCE
 豪華なフォーク・シンガーを招いての共演。特別ゲストは、ジョーン・バエズキャロリン・へスターと共に60年代フォーク・シーンを大きくリードした歌姫ジュディ・コリンズピーター・ヤーロウのセッションは、大人のうたの素晴らしさをアピールしているようだ。余談だが、このジュディは先頃『ボブ・ディランに捧げる』アルバムを発表、健在ぶりを示してくれた。
08. SEPTEMBER SONG
 ポールのギター弾き語り。まるでジャズ・レコードを聴いているような気分だ。それもそれ、この曲は、ジャズ・ヴォーカルの大御所、フランク・シナトラの名唱でも有名。
09. OLD ENOUGH (ODE TO AN AGING ROCKER)
 PP&M録音では、異色作といってよいだろう。ちょっぴりラップっぽい。だが、本作はモダン・フォークの先駆者、ジ・オールマナック・シンガーズ「Talking Union」の歌詞を流用したもので、侮れない作品。
10. 24 GREEN STREET
 80年代のフォーク・ヒーロー、ジョン・ゴーカマリー・トラヴァースとの共演。まだまだジョンはわが国では無名だが、かなりの実力派ニュー・グリニッジ・ヴィレッジ・フォーク・シンガーだといわれている。
11. THE GREAT MANDALA (THE WHEEL OF LIFE)
 ゲストはパワフルなギターさばきと、ワイルドなヴォーカルを看板としたリッチー・ヘヴンスと、懐かしのサイモン・シスターズ(カーリィ&ルーシィ)とのセッション。フィル・ラーモンがその昔プロデュースしたPP&Mの名盤『アルバム1700』に、この曲は収録されていた。恐らくフィルの個人的に大好きな曲なのだろう。
12. DEPORTEE
  アメリカン・フォークの父ウディ・ガスリーが書いた曲だ。ゲストは、ウディ最初にして最後の弟子として有名なランブリング・ジャック・エリオット。60年代ボブ・ディランの師匠でもあった人だ。語るように歌うジャックのヴォーカルは、もはや芸術の域に達しているかのようだ。古くからのアメリカン・フォーク・ファンにとっては、まさに夢の共演と呼べるものだろう。
13. 75 SEPTEMBERS
  華麗な曲だ。ソフト・ロックの傑作と捉えても良いかも…。ここはゲストなしのPP&Mだけの録音。まろやかなコーラスが胸に心地よく響く。いまさらながらこのトリオは、かなりの実力者だったことが理解できた。
14. BUT A MOMENT
 ポールが書き下ろした作品。ヴォーカルは、妖艶なヴォーカリストとして評価が高いマリー・トラヴァース。ボッサ・ノヴァっぽいアコースティック・ギターは、ポールが弾いている。優しく語るヴァースが、もう涙ものだ!
15. RIVER OF JORDAN
 アルバム・ラストは、モダン・フォークの元祖として名を馳せたザ・ウィーヴァーズの元メンバー、ロニー・ギルバートフレッド・へラーマンをリード・ヴォーカルに迎えてのPP&Mセッション。バンジョーは同じくザ・ウィーヴァーズのリーダーだったピート・シーガー。ハーモニカはジョン・セバスチャン、ハーモニー・ヴォーカルが凄い。ジョン・ゴーカB.B.キングエミルー・ハリスジョン・セバスチャンデイヴ・ヴァン・ロンク、そして60年代プロテスト・フォークの雄トム・パクストンなどがクレジットされている。モダン・フォークの定番ソング「ヨルダン河」をアルバムの最後という配慮は、いかにもPP&Mらしい。
(1995年3月 / 2004年2月加筆)



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