そんなある日。今日の予定は広告の品で安くなっている女房の携帯機種変を終えた後、事前準備の本丸の一つ、ジャ○コさんとの打合せだ。前日には携帯カメラの使い勝手やメモリーに関するレクチャーも終了、手も空いたので行動・・開始・・・「何故携帯に誰かさんの写メやメールが沢山あるの??」・・・レクチャー時に不審に思ったらしくいつのまにか全てのデータを覗き見ていた模様・・・打合せであること、東京時に中学以来な面子からの要求で写メをやりとりしたこと、なにより同級生のノリってこうだろ?と言う物の、女房には全く理解できない模様。散々見てきたP.P.F.のノリ、ネットで知り合った人たちとのノリと一緒だろうに。。
喧嘩しつつ釈明しつつ謝りつつ、なんとか機種変に出かけることまではしたものの、様相は「マジ切れ」既に離婚の話題まで口にしている。。もはや打合せに出かけたら何をされるか分かったもんじゃない。そこから役員連中に詫びを入れるものの、資料は全て手元&内容も頭の中&誰も代役のスケジュールなど立てられない・・・実行委員長さん一人にお任せするも挨拶程度で済んだ様子、みなでホッと胸をなで下ろす。この日から、数日に一日は完全休業日にて作業に当たる&時折切れる女房の対応という地獄の日々へ。
2/25
この日の日曜も山車作業を完全休業、女房と二人だけで気分転換に出かけることにする。今年は雪も少なく天気も良いのでオープンのロードスターでGo!
向かったのは女川〜志津川間の未開ルートだったR398。これが予想外に良い! 長く続く気持ちよいワインディング、景色も変化に富んで飽きることがないとは。春には海を見ながらの桜並木になるそうな。是非また来てみよう。
相変わらず女房から攻め続けられる3月。「友達を悪く言うんじゃない!」「男女間に友情なんて有り得ない!」という一大平行線が続く。。時折携帯をこっそり覗き見てはまたまた切れる。やりたくなかったが携帯にロックを掛けることにした。人によっては当たり前だと言われるかもしれないが、自分にとってはこれが大きな転機になったような気がする。
そんな最中のホワイトディが近づいてきた日。実はバレンタインにCDと一緒にチョコを頂いていた(もちろん義理)。女房も知っていたので「お返しを返さなくてはいけない」という話しを持ち出してきた。品定めをしてもらい、難しいタイミングを見て渡すことに・・・渡したと分かった途端に切れる女房って何よ(大泣) 他にも沢山義理チョコ頂いたし、お返しもしたじゃん。。
この頃になると、事情を知っている同級生の間でも、あまりの仕事の不甲斐なさに疑問を抱く者が出てくる。更に詳しく知っている人間でも「自己管理ができないヤツ」のレッテルを貼ってきたらしい。学生時代も一人でやってきたことを思えばなんともないはずだが、さすがに3年間、更には33歳歳祝いから盛り上がってきたことに対しての思いは断ちがたく。
とにかくご機嫌取りと作業の進展に没頭することにする。
3/25
作業の大詰めの時期ではあるが、休みをもらって春休みの家族サービスに出かけることにした。向かった先は会津若松、宿も飛び込みで決めるように、初めての大内宿へ向かう。キャンセルでも有ったのか宿はとっても豪華な部屋に通される。翌日の鶴ヶ城、飯森山も含めてとても良い旅が出来た。
4月に入ると各部署とも既に開き直った気分で、とにかく目の前の事柄をこなして春まつり本番へ向かうだけとなる。自分の仕事も、不祥事(__;)以降、振り分けをお願いしてあるのでなんとか間に合いそうだ。細部は眺めるだけにし、大筋や逆に細かいところ、他部署で落ち度が無いか目配りする毎日へ。「総務副部長」らしくも有りor本来の「事務局」に戻ったようでもあり。100%自分達の運営である「前夜祭」準備だけはドタバタと。感覚的には半月〜一ヶ月の準備遅れか。お祭りとしての細かな演出面の根回しまではとうとう手が出せなかったなぁ。全てはプランニングを形通りになぞるのみ。。根回しした各テレビ局巡りも自分は出演するヒマなど無く、交通規制看板を立てた休憩時間に眺めてたりして。
オマケに土曜日の「前日祭」当日は雨の気配が出てきた。金曜夜は最終チェックをこなしつつ、9時近くになってから役員を緊急召集。体調を整えるってなんだっけ? 踊りの練習を最後にしたのもいつだっけ?(笑)
4/14
そして迎えた前日祭。やはり朝から雨模様なるも、いくらか小降り〜晴れ間も期待できそう。それでもスケジュールは全て雨天時モードに切り換え済み。が!深夜に中止の張り紙をした唯一の会場でクレームが上がっているとの情報! 昼前から別行動を開始する予定だった副実行委員長と、予定を切り上げて餅まき一式を担いで観客の皆さんにお詫びをすることに。。移動バスの中は遠足のノリで相当盛り上がっていたらしいが、こちらは黙々とジ○スコ会場準備と、前夜祭会場準備に精を出す。2年間先輩方の手伝いをして酸いも甘いも見てきたので、この辺りの順調(?)な裏方家業は心の底から楽しめた。
昼前のジ○スコ会場での演舞披露には一旦合流、わざわざ来てくれたCurtis氏にも見せることが出来た。もちろんすぐさまとなりの「前夜祭」会場となるアスティ商店会へ、ぶつけ本番の会場準備に当たろう。大勢の観客に恵まれた前夜祭は、スケジュールをなぞるので精一杯、本部テント中心に活動するも”おもてなし”面がどこまでやれたかは自分でも不明。全ての会場撤去まで含めて、自分の行動に半分くらい記憶が無いような・・・。
4/15
深夜(だったと思う)に全ての片付けを終え、どの程度寝たかも覚えていないまま本祭へ。この日のために伸ばしていた髪型・・・女房にブローしてもらってもヘンなんですけど(泣) 唯一の救いは、昨年一昨年と前日のお手伝いだけで悲鳴を上げていた体が、大したマッサージ無しでもOKだったこと。今日一日なんとか保ちそうだ。
小雨が残る中での出陣式や踊り最終練習を、細かな最終チェックしつつ見守る。総務部長の完璧な段取りのお陰で安心してスケジュールをこなせるが、隣では財務さんが最後の最後までドタバタやっているようだ。そして、隊列に加わりいよいよ20回に及ぶ演舞披露の本番へ!
午前の前半を終える頃には、A部クンを中心とした生バンド演奏に”乗っていく”ことも覚えはじめ、段取りが順調なこともあり踊りに集中していける。女房もカメラ&ビデオを両手に駆けつけてくれている。体に不調を来すこともなく午前の部終了!
昼食時も体を休めることに集中できる段取りの良さ。さすがこの道のプロである総務部長。午後の部も全開で踊り続け、いよいよ夕方のフィナーレへ。先導する後輩の段取りで前代未聞のアンコール4回!文字通り踊りきった気分。仲間とのハイタッチに握手に盛り上がる。踊り隊列を組んだ(=演舞さんが決めた偶然)O形さんとE子さんともガッチリ握手。最後には静かに引けていく山車上のバンドに一人静かにガッツポーズでお見送り。最後の最後までバンドの面々は盛り上げてくれた。
感動のはずの到着式は、終了の乾杯からビール掛け、会長&実行委員長の胴上げへ変貌(自分が先導したんだけど)予想外にみんなニコニコ顔だ。さすがに最後の”山車への掛矢入れ”(この日一日だけでお役ご免になる山車へ、部長副部長が掛矢をたたき込む儀式、本当はここで全員涙涙・・・)では、悲鳴に似た声が聞こえる。。これで後は慰労会をスムーズに進めるだけのはずだったのだが・・・
実は乾杯時のこと。盛り上がるメンバーを横目に隊列を離れ、山車上のバンドメンバー&前列の役員みんなの所に乾杯行脚に出ていた。最後に部長へ「お疲れっ!!」と缶ビールを差し出すと・・・「なにやってんのや!進行妨げるんでねぇ!さっさと戻れ!!」・・・
この3年間心に決めてきたことがある。「何があっても同級生に対してキレないこと」大きな問題が持ち上がることもなかったし、最後にはどんな問題が起きても「あ、かんのはまたスルーしている」と他役員に突っ込まれる領域まで”達して”いた。それが、ここで途絶えた。自分はこの瞬間をどれだけみんなに盛り上がってもらえるかだけを考え準備してきたつもりだった。思考回路が止まったまま到着式を終え、慰労会への先導役に回ったような気がする。
去年は部長級を先輩慰労会に送り出して自分たちの慰労会に専念、バカ騒ぎで盛り上がっていた。一昨年は代表として先輩に混じり、その全員が感動にすすり泣く場面に感動していた。全く演出面に手を掛けられなかった自分たちの慰労会は、途中で会長&実行委員長の一言を入れるだけに。心残りがここに有ったのでいつでも裏から先導できる体制で席に着くことにしよう。
が、ここからまたしても部長からの指令が。「部員は直ちに事務所の撤去作業へ」・・・確かに山車部と財務部は全ての作業が終わる二次会まで慰労会には参加しない。しかしここで総務が抜けたら慰労会の演出はどうなる!? 片付けは予定通り明日でよいのでは!?
部員たちと手分けしたが、戻ってみた慰労会は既に収拾の付かない盛り上がり。もはや演出などカット。二次会場への移動段取りも苦労してここでまた部長のカミナリが落ちた。これで自分は完全にキレた。初めてたてついたのだ。慰労会は場の流れるままに、二次会の始まりを部長の段取り通りに進めた以外は、お互い放置する方向に落ち着いてしまった。部員数名と部屋の端に陣取り、大盛り上がりのその場を眺め続ける。遅まきながらそこで気がついた。「この会はは涙を求めなくても良い、この騒ぎこそ自分たちのカラーなんだ」 既に部長はふてくされて部屋を後にしている。もう一人の副部長も自分たちに見切りをつけて独自に解散の段取りに動いている。ひとしきり盛り上がりに乗っかった後は、会長&実行委員長に裏から三次会への流れを誘導するだけだ。残った数十名は、自分も含めその後カラオケボックスで殆どが眠りに落ちていたのだが。。
4/16
睡眠4時間、翌日は朝から全ての撤去作業が始められる。総務はゴミ処理〜事務所清掃、備品整理に力を振り絞る。10時の休憩には既にウトウトする部員も数名。もはや部長副部長との連携が途絶えてしまっているので、部員への指示は自分一人で行うことに。段取りを終え外回りへ出かけられたのは、到着が遅れた弁当を摂った2時過ぎだっただろうか。
5時には例年恒例となっている山車部の慰労会に顔を出す。この日一日で山車は解体を終えるのだ。が、事務所に残っている部員から指示を求めるSOSも順次入ってくる。本来部長級全てが揃う慰労会のはずが、事務所に大勢を残したまま財務部長と二人出席するのみと言う異常事態・・・後から聞いたら、慰労会会場が涙涙に明け暮れる頃合いでも、為す術のない部員たちが事務所でウトウトと待機する事態に陥っていたらしい。。その後の数日は、予定通りの後処理に一人各所を巡り、夜の事務所で次の隣町祭典での演舞披露準備に、それぞれ静かに事柄が進んでいく。
そして、大きな行事を終えた3~4日後にはいよいよ体力の限界も迎えたようだ。首の痛みも酷くなり、朝が全く起きられなくなる。夜も熟睡できていない。予約していた親戚の整体院に通い出した辺りから、日中は全くベッドから動けなくなる。なんとか次の演舞披露には復活、盛り上がることができたが、また翌日からベッドの上へ。そしてまた一週間後には復活して演舞披露〜慰労会参加まで通常通りに参加する。
5/3
続出する酔っぱらいへの対処で暮れた2度目演舞披露の帰り道。珍しくE子さんのクルマで送ってもらいながら体の状態などあれこれ話していた。たいしたことを言った記憶がないのだが彼女から発せられた言葉は「死ぬんじゃないよ」 この先のことを予言されたかのようでビックリした。ましてや早くに旦那さんを亡くしている人からの忠告だ。そんなに病人に見えていたんだろうか?
その最中にまたしても事件は起きた。クルマの中でそんなやりとりをしたこと、本祭当日の画像・映像をO形さん共々あげたこと、が女房のカンに障ったらしい。冬から引き続き激しく攻め続けられることに・・・その後の10日間、ベッドの上で全く思考回路と記憶が飛んでしまった。
激しい頭痛と目眩、何より止まったままの思考により、病院通いを始める。もちろん内科はたらい回しにされるだけでかえって不調を来す結果に。ある日、女房の助手席で違う大手病院に行ってみる。そこで長々と問診票を記入して連れて行かれたのは精神科だった。待合室の雰囲気、自分が精神科に居るという事実、何より担当医の「典型的な”鬱”の症状です。至急仕事を休んで投薬治療に専念しなさい」という言葉・・・ショックは大きかった。
投薬を始めた翌日からは、体調不良などという状況ではなく、後から考えると鬱で言われる症状全てが現れ始めたのだろう。二週間ほどのかすかな記憶は女房に反論しながら泣き叫んでいたか眠りと呼べない眠りに陥っていただけではなかっただろうか? 漠然と”死”という概念も浮かんできていたと思う。
ある日、髭が伸び放題だったことに気づく。何となく整えてみたくなり、気分転換に行った電気屋で髭剃りを購入したりする。投薬効果だろうか、一ヶ月も過ぎた頃合いから漠然と体を動かし始めていた。行ったことのないホームセンターを巡り、ガレージ用に予てから欲しかった本棚を導入。更にリサイクルショップでは除湿器を。開設以来の計画であったロードスターに関する資料いっさいをガレージにまとめる作業に熱中していた。
更にもう一つ、撮影要員として参加することが出来た6月の「前沢牛まつり」時に、以前から交渉していたMクンのXLR250 BAJAを譲ってもらう確約を! 現物は過去の日記にも度々登場、新車に近い購入時には殆どナラシを担当した個体だ。10年間放置、固着したブレーキに、女房と二人悪戦苦闘しながら軽トラで引き取ってきた。キャブのガソリンも抜かれていない。長いレストアのお楽しみになりそうだ。
この辺りから、映画や作っていなかった模型作り、読書など、気が向いた物へ集中すると良いことが分かってきた。但しその後の落差は目に余る物が。お陰で物欲で精神状態が落ち着くことも判明(苦笑)ロードスターにはトレードインスピーカーを導入、BAJAは一気に純正部品を揃え、雑誌を買いあさり。プラモデルも数年ぶりに買った(殆どは数年分のストックを一生懸命作る方に専念していたかな。エアブラシも復活させたし)
どうしても出来なかったことも有る。クルマの運転!だ。外へ出かけることが出来るようになった辺りに一度チャレンジしたのだが、路肩のクルマをよけたら右ミラーが電柱すれすれだったりして・・・夏は全て助手席で過ごすことになったが、お陰でクルマの挙動がよく分かるようにもなった。スムーズじゃないと気持ち悪くなるとも言うか(笑) 3ヶ月で合格点を出せるくらいまで女房の運転を仕込めたのはうれしい副産物。
そして女房の運転で事務所の残務整理にも顔を出すように努力していた。何の役にも立ってないんだけど。但し、時折キレる女房への対応も付き物と言うことで。。
不思議な物で、毎日のように攻め続けられると自分が本当の加害者だったような気になってくる。少々意識するようになってしまったかも・・・。友達付き合いというのは不思議な物だ。学生時代に面識が無くとも盛り上がれてしまう&そのまま付き合いも続く人、毎日のように顔を合わせて&力を合わせていたのにちょっとしたきっかけで繋がりが切れてしまう人、やりとりが無くとも次に顔を合わせればツーカーで付き合える人・・・改めて振り返ってみると、色々有ったんだなぁ、とつくづく思う。この辺りには、彼女のことを除いても、会の残務整理&次の作業に顔を出せない(実際、自粛するしかなかった)ことが、一番のストレスの原因になっていたと思う。無理に参加して作業に加わったときに限ってミスをやらかし、ますます追い詰められもしたり・・・。
6/30~7/1
本来はとてもそんな状態にはないのだが、あまりの要望の多さに「シゴキ2007」を開催する。主催の全てをDテクニックさんにお願いし、自分と幹事連はそれぞれの分野で当日の運営に当たる形だ。
SSパークへの往路はダンナ助手席とナベエさんと共に。ETCを貸し出し(^_^;)楽をしながらダンナもこの道に引きずり込もうと魂胆。今年は岳温泉公衆浴場の営業時間に間に合ってひとっ風呂、幹事連とも無事合流。恒例前泊施設にて出来さんも交えて運営準備。
二日間の全てを片手に時計、片手にチェッカーフラッグで通す。タイムスケジュールがシゴキのシゴキたる部分だが、ようやく全うできた形になるかな。来年以降への専属スタッフという難問は変わらないままだが・・・。二日目には、前夜の宴会中の質問に答えるべく、初心者さんの横と運転席へも。言いたいことの半分も伝えられたかなぁ。収穫は、良質のブレーキパッドを奢ったNB2ブレーキが、とんでもないストッピングパワーを持っていたこと。そして、助手席に3ヶ月揺られ続けていたのも伊達ではなかったこと。クルマの動きが良く見える。来年はこの形態になって10周年、手を離れる時期が来ているのかもしれないがなんとか続けていきたいと思う。。
8/16
なんだかんだの中、今年最後の大規模な踊り披露となる夏祭りにはなんとしても踊りでの復活を目論む。毎月の行事は全て撮影要員に名乗り出るのみだった。夕方の宴会備品搬入からなんとか参加し、気持ちを込めて演舞披露・・・体が全く動かないんですけど(^^;; 息を切らしたところでアンコール。キレは無いものの最後まで踊りきることが出来た。しかし、その後のヨサコイ総踊りは覚えている人が少なく、前列に陣取ってゼイゼイ言いながら踊っていたりして。
花火を見ながらの宴会は最後まで汗をぬぐいつつ、会の最初の出店として参加した一昨年を思い出したり。撃ち上がる前に売り切れ閉店してしまい呆然と見ていたなぁ。
またしてもCDをお借りしてしまいながらの(もちろん事情知らないもの)帰宅後は、踊り疲れだけでなく、春祭り後からみんなで思い出として語り合えなかった悔しさから、数日ダウン。。
暑さも和らぐ頃合いには、ちばクンの手を借りながら、リンクグリスアップ・フォークオイル交換・タイヤ&チェーン交換等々BAJAも順調に仕上がり(残すは大物、キャブの組み上げのみ)、段々とクルマよりバイクに乗りたい病が蔓延し始める(^^;; ある日曜、調子がよいのでロードスターを洗車し(以前にプレマシーを洗車したら翌朝まで動けなくなった)近所をグルッと一回り。ガレージに戻ったところで、お盆に弟に動かしてもらおうと復活させておいたTZRが目にとまる・・・そのまま装備を引っ張り出し、同じルートを一回り・・・直線は何とかなるがコーナーは全く集中することが出来ない! 危険なのでまたまた封印。。次はBAJAの復活試運転時にしよう。
8/26
ひょんな事から、この日はDテクニックさんの一部走行枠を譲り受ける形でSSパークへ走りに行く。もちろん自分はまだまだ走れないのだが、参加を決めたP.P.F.若手から運営&指導役のご氏名が来たためだ。前日には発病後初の片道50キロを走破(この半月で10キロ〜20キロ、と距離を伸ばす努力はしていた)CROSS-ROADクンガレージにお宿を借りる。当日はそのまま助手席でSS入り。
現地では既にはにびさんとそのジムカーナ仲間の方がコース作成中。挨拶もそこそこに&Dテク参加者の激しい走行を横目に運営準備。ドライビングスクールの生徒さん、更にはパーティーレース参戦者限定の走行にはとっても痺れる物があった。その脇で、ジムカーナが初となる若手に少々アドバイスなど。午後には全員走行も様になり始め、さほど教えることは・・・そんな深いことを聞かれても的確なアドバイスはできないって(苦笑)帰宅時も含めて無事走行終了、ロードスターはやっぱりしっくりくるなぁ。
9/8
今年の「常禅寺ジャズフェスティバル」にもA部クンを筆頭に春まつりでお世話になったバンドの面々が出演する。何の因果か(!?)今年も開催運営することになった「な〜んもしないミーティング」が翌日に控えていたため、両方を言い訳にCurtis氏の市内ロフトにお宿を拝借することで出かける。前回に続きついに片道100キロだ。
土曜の夜はちばクンも交えて久しぶりの夜の街へ。沢山のアドバイスも頂く(ね、これっぽっちも”浮気”なんかしてないでしょ >ちばクン^^;;) いや、本当に人生とはなんぞや、と考えさせられた夜だった。・・・寝たの何時だっけ。二日酔いでダウンのCurtis氏を置き去りに、一路泉が岳へ。なんとかかんとかミーティングをこなす。例年にも増して”な〜んもしない”ことが申し訳なかったです。。
9/16
休む間もなく翌週は「ハイランドR&R」に参加。こちらも自分が走るのではなく、たくちゃんに車両を貸し出しての撮影隊になることが目的だ。前夜は引き続き(?)お泊まり宴会。若手にちばクン、kohさんも交えて久しぶりのノリを堪能。
残念ながら第一の標的だったすがさんは欠席。慣れないクルマで(しかもウエットに溝無しタイヤ)若手やお友達を次々標的にとらえる辺りは、さすがNゼロレーサー。助手席で&数年ぶりに入るグランドスタンドで思う存分楽しませてもらった。模擬レースは出るだけでなく見るのもこんなにおもしろいとは(^^) 強行軍お疲れ様でした >たくちゃん
9/17
だいぶ気分転換ができた、と”思っていた”翌日。女房の態度がおかしい・・・「このCDは一体どうしたの!!??」 夏に借りて返せないままのCDを、留守中に鞄の”家捜し”をして見つけたらしい。。もう何の話にもならなく、ひたすらキレまくる。。最後には対抗する体力も全て使い果たし、ただひたすら打たれるのみ。もう何も考えられない。
翌日から完全に女房もダウンしてしまった。二人で横になって居るのみ。病院に行ったがやはり異常なし、精神科への紹介状を出してもらう・・・・・予約が取れた日までは寝たり起きたりのみで誤魔化す。が、三日も経った頃合いで今度は何の脈絡もなく婆さんが怒りだした! それが病人に対する態度か!?
・・・その週末には身の回りの荷物だけを持って家族5人で家を出た・・・