2004年04月のばんしょ日誌

雑談
2004年4月30日(金曜日)
 こんにちは。

 菅直人!
 証人喚問しようとしていた「江角マキコ」に謝罪しろ!
 福田ジュニア!
 ちゃんと調べたのか?と苦言を言った「江角マキコ」に謝罪しろ!
 もちろん、本人も反省してね(w

 今週の日曜日に自民党の税臨のせんせいが民主党の議員に「あなたのところにも国民年金絶対払ってない人いますよ(笑」と言っていましたが、ひょっとして大臣経験者は全部未納だったのではないかと思いたくなります。
 
 では。

雑談
2004年4月28日(水曜日)

 こんにちは。

 実は現在またまた「風邪」をひいています。

 相変わらず「のど」の調子が悪いです。

 さすがにしつこい今回の風邪を治すには医者!といきたいところですが、前回の風邪をひいたときに「抗生物質」を貰いました。

 どうもあの抗生物質を貰ってから「おなか」が下るようになったみたいで、薬はもちろん飲みますが、今回は「食べ物」で直してみようと思っています。

 悪化しましたらもちろん医者へ行きますけどね(^^;

 ということで、「のどの痛み」と「腹痛」に効く食べ物を調べましたら「ネギ」「ショウガ」「梅」「れんこん」「だいこん」「りんご」「にんじん」「はちみつ」が良いとのこと。

 さっそく溶かして飲む「しょうが湯」を買いに行ったのですが・・・・無い!

 冬の間は山ほど店頭に並んでいたのですが、春とともに消えていったようです。

 しかたなく、しょうがは「ビン入りおろしショウガ」を、「梅」は「梅エキス」というのが薬局にありましたが高い(><

 ということで「ミツカン ビン入りねり梅」を買いました(^^;

 早速家に帰って「おかゆ」をよそった茶碗一杯毎に「ショウガ」や「ねりうめ」を入れて食べました。

 ・・・・案外いけます。

 そして夜は「鍋焼きうどん」。

 うどんをよそった一杯毎に「ショウガ」や「ねりうめ」を・・・・案外行けます。

 特に「ショウガ」は「のど」が痛い方にはおすすめです。

 食べた後「のど」が非常にすっきりします。

 体も温まりますし、これで「のど」と「おなか」がいっぺんに治れば医者いらず!

 ・・・そう簡単にいきますかどうか(^^;;;


 お風呂に入りながらラジオを聞いていると、ネパールで巡回「針治療」や「お灸」をしている「ティティパティ よもぎの会」の畑美奈栄さんが活動を報告していました。

 ラジオを聞くまでは全然知りませんでしたが、



 一人の日本人女性がトレッキング中に病院も薬もない山の村で病気の母と子供に会い、何も出来ない自分にショックを受けました。そして帰国後、わずかな道具と10本の指で治療の出来る鍼灸をネパールに広めようと一念発起して、鍼灸学校に入学しました。卒業と同時にネパールへ渡り、1993年2月ネパール赤十字と共同で東洋医学専門学校及び付属診療所を設立。5年後には職業訓練校としてネパール教育省に認可され、現地に引き渡しました。そしてこの女性、畑美奈栄の知人を中心に、彼女の活動に賛同する人々が集まり、彼女の活動の資金援助を目的として、1991年6月「ティテパティよもぎの会」が発足しました。


 1998年からは卒業生と共に無料巡回医療(AMAヘルスキャンプ)を年間10〜12回(1回7日間)を目標に活動しています。AMAとはネパール語で「お母さん」のことですが、


   A=ACUPUNCTURE(鍼)

   M=MOXIBUSION(灸)

   A=ANMA&ACUPRESS(あんま、指圧)


という東洋医学の三大治療法を用いて無医村を訪問して無料巡回医療(ヘルスキャンプ)を実施しています。ネパールに自生するよもぎから作ったネパール産のもぐさでの灸治療を行い、村での灸トレーニングやもぐさ作りなどの普及活動を行っています。



 ということをなさっているようです。

 ちなみに「AMA」は現地の言葉で「お母さん」という意味もあるそうです。

 今回ラジオに出たのはかねてから念願だった「ネパール」での「もぐさ工場」が今月25日に竣工されたことによるようです。

 お話の中で「巡回治療」を始めた当初はほとんど患者さんは来なかったが、1人治療を施して治ると、口コミでその家族、隣人、村民、隣村の住人とまたたくまに広がって、現在では10万人の治療の実績があるそうです。

 ネパールの主な産業は農業で機械化も進んでいないので、腰や足の関節を痛める人が多いせいか「もぐさ」によるお灸が多いそうです。

 そんな「ネパール」は良質の「ヨモギ」があるそうで、なんとかそのヨモギをネパールにて「もぐさ」に加工して日本へ輸出すれば「ネパール」の産業にもなり、重要な村の収入源にもなりうるということで尽力されてきたようです。

 ホームページにはその起工式から竣工式までの経過が報告されています。

 しかし・・・現在ネパールには



ネパールに対する渡航情報(危険情報)の発出(2004/03/19)




 ●以下の地域

    :「渡航の延期をおすすめします」(継続)

     中西部(ロルパ郡、ルクム郡、サリヤン郡、ジャジャルコット郡、

     カリコット郡)

 ●以下の地域

    :「渡航の是非を検討して下さい」(継続、一部引き上げ)

     極西部(アチャム郡、カイラリ郡)

     中西部(ダン郡、バケ郡、スルケット郡、ダイレク郡)

     中 部(ヌワコット郡、シンデュパルチョーク郡、ドラカ郡、

         ラメチャップ郡、シンズリ郡、カプレパランチョーク郡、

         マクワンプール郡)

     東 部(モラン郡、オカルドゥンガ郡、ウダヤプール郡)

 ●以下の地域(首都カトマンズ、ポカラを含む)

    :「十分注意して下さい」(継続、一部引き上げ)

     極西部(バジュラ郡、カンチャンプール郡、ダデルドゥラ郡、

         ダルチュラ郡、ドティ郡)

     中西部(ジュムラ郡、ドルパ郡、バルティア郡、ピュータン郡)

     西 部(ムスタン郡、マナン郡を除く地域)

     中 部(ダディン郡、カトマンズ郡、バクタプール郡、チトワン郡、

         ラリトプール郡、パルサ郡、バラ郡、ラウタハト郡、

         サルラヒ郡、マハッタリ郡、ダヌシャ郡)

     東 部(モラン郡、オカルドゥンガ郡、ウダヤプール郡

         及びソルクンブ郡(クンブ地区)を除く地域)



 先の「イラク」における拉致事件もありますので、十分注意して欲しいモノです。

 

 では。


ソメイヨシノ15
2004年4月24日(土曜日)
 こんにちは。

 ちょっと疲れ気味・・・

 そういえば「バイオリズム」も身体がレッドゾーンに入っています。

 その代わり知性は安定期なので、寝てても頭の中は動き回っています。

 妄想で(^^;


 個人的に「サクラ=4月=日本軍」説が出てきた背景は「教師 対 軍人」の対立が少なからず影響していたのだと思っています。

 明治維新が始まり、学制発布により学校教育が始まると教師の需要が生じます。

 欧米の高レベルの授業は日本で分かる人間は当然いないので外国人を雇ったのは以前の日誌で述べたとおりですが、初等教育あたりになりますと日本人でも分かるレベルでは無かったのでしょうか?

 そんな教師に就任したのが「華族」や「士族」、特に「士族」出身者でした。

 士族、元「武士」だった彼らは識字率も高く、一般教養も優れていました。

 ・・・教師になるのは当然と言えば当然ですね(^−^;

 昔「教師」が怖い存在だったのいうのは、こういう事情だからだったのでしょうか?

 話を元に戻しますと、武士は「江戸幕府」以前は「軍人兼官僚」でありましたが、明治政府に変わってから「軍人」になった人間もいるでしょうが、江戸末期の武士の大多数は「官僚化」していたでしょうから、そのまま軍人として使える人間は少なかったことでしょう。

 この仮説が正しくないとしたら「庶民」出身の「新撰組」が「武士」の理想を掲げて登場して来ないはずです。

 江戸末期にはそれだけ「武士」の軍事力が落ちていた証拠です。

 そんなわけで「字」が読めて教養もあり、以前は官僚で庶民の上に立っていた「士族」は、徴兵制で明治政府の軍人になった「平民」という存在は煙たい存在では無かったのではないでしょうか?

 元「武士」のプライド。

 土佐の「坂本龍馬」と「武知半平太」を分けた物・・・

 また話がずれましたが、実際「教師」という存在は徴兵制の後の「兵役制」が施行された後も昭和18年まで徴兵延長猶予の特権が与えられていた訳ですので、「国を造る人材を育てる教師」という立場だけでなく、明治学制発布の伝統が根強く政府内で残っていた・・・と考えられる・・・かな(^^;


 さて、前回の「ソメイヨシノの秘話(ツーリストインフォメーション福島より)」の中で以下の文章があります。



その後、会津での戊辰戦争が終結し明治政府が安定すると、廃藩置県と同時に藩幕体制の象徴「城」を潰して、城跡をつぎつぎと公園化しそこにソメイヨシノを大量に植えたのです。現在、各地にある城跡が桜の名所となっているのは、明治以後のことなのです。


ではなぜソメイヨシノであったかというと、この桜の新品種は安く、丈夫で成長が早かったからです。当時の植木屋にとっての桜は、植木の中でも安物として低く見られていたのです。


そのソメイヨシノが金のない明治政府に買われ、城祉や学校、役所、兵舎に大量に植えられたのは、ちょうど満開の時期が新年度や入学、入営の時期と一致し、新しいスタートの象徴となったのです。



 私は今回ソメイヨシノについてネットを巡回していて、この文章には疑問を持つようになっています。

 どの辺が疑問なのかは明日以降に。


 では。


ソメイヨシノ14
2004年4月21日(水曜日)
こんにちは。

 「サクラ=4月=日本軍」説の件はサラリといきます。


 本居宣長:儒教的道徳感(中国文化)への批判、中世歌学の伝統破壊



 「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」



 平田篤胤:復古神道→尊皇攘夷、国粋主義、霊魂論→明治維新、王政復古→国家神道→極端な国粋主義「竹内巨麿」「木村鷹太郎」「酒井勝軍」


 新渡戸稲造:客観的に見た日本人の伝統意識→「The Soul of Japan(武士道)1900」→「武士道全書(佐伯有義他 1942)」



「The Soul of Japan(武士道)」


CHIVALRY is a flower no less indigenous to the soil of Japan than its emblem,
the cherry blossom; nor is it a dried-up specimen of an antique virtue preserved
in the herbarium of our history.

It is still a living object of power and beauty among us; and if it assumes
no tangible shape or form, it not the less scents the moral atmospherel and
makes us aware that we are still under its potent spell.


桜の花が日本の武士道を象徴するとすれば、西欧の騎士道ないし哲学を象徴するものは薔薇である。

薔薇は強い芳香を持ち、優雅に咲く花である。しかし、その美しさの裏側には棘があり、枯れてもなお散らずに残りつづけようとする生への執着がある。

一方、我々は潔く散りゆく桜の花びらに美を見い出し、その淡い芳香に飽きることがない。



(岬龍一郎訳)




 山本常朝:葉隠(元禄時代)「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」→旧・日本軍の思想教育に利用


 三島由紀夫:葉隠入門(1967)→割腹自殺


桜、ソメイヨシノの秘話(ツーリストインフォメーション福島より)



 ソメイヨシノにはもうひとつ特徴がありました。それは一斉に花が咲き、パッと散るという特性でした。この”散華”の美学が軍国主義と結びつき、「同期のさくら」や「散りぎわ良さ」を戦場に赴く軍人の心得として、男らしい日本精神の象徴としたのです。



 では。


ソメイヨシノ13
2004年4月20日(火曜日)
 こんにちは

「サクラ=4月=日本軍」説ですが・・・・

 資料を集め出したらとんでも無い方向へ行きそうです(^^;

 はたしてまとめられるのかな・・・不安です。

 とりあえず「山本常朝」「本居宣長」「平田篤胤」「新渡戸稲造」「三島由紀夫」ときています。

 

 ・・・・やめとこかな(−−;

 扱うにはあまりにも膨大な資料を集めないといけないし、「本居宣長」が出てくると「国学」とはなんぞやという問題が出てきます。

 さらに「平田篤胤」が出てくると「本田親徳」「宮地水位」と来て「出口王仁三郎」に行き着きますし、その時代背景からすると「大石凝眞素美」「友清歓真」「矢野祐太朗」「中里義美」、さらには「竹内巨麿」「木村鷹太郎」「酒井勝軍」といったぁゃιぃ物まで紹介しないと・・・・

 ・・・・ここは薄くスルーしておくことにします(^−^;


 ということで明日から書きますです。


 では。


雑談
2004年4月19日(月曜日)
 こんにちは

 今日は仕事が山ほどあって疲れました。
 ですので、雑談(^^;

 先日、ナスとピーマン、そしてキュウリをプランターへ植えました。
 なんとか根付いてくれたようです。
 ただ、早くもキュウリに病気の兆しが(−−;
 耐病性の苗と表記されていたのですけどね・・・
 イチゴは花が咲き、実が見えてきました。
 ただし今年は付きがあまり良くなさそうです。

 16日の日誌でも触れましたが、サトイモを植える準備で家庭菜園にひさしぶりに行きました。
 3月頃行ったときには草とかはほとんど生えていなかったのに、一昨日行ったときは草だらけ。
 タマネギが植えてあるところも雑草が侵入していました。
 それが理由とは思えませんが、気づいただけでも5〜6個のタマネギがマルチの下で腐っていました。
 今回は変わった品種を植えたのですが、やはり例年通りOK種を植えれば良かったなぁと後悔しています。
 あと、畑に撒く「石灰」・・・・これも今までは「粒状」に固めた物を使っていましたが、溶けやすいだろうと「粉状」の物を買ったのが失敗に気づきました。
 今までは風の無い日に撒いていたので気づきませんでしたが、16日は西風が結構ありまして、撒いているそばから消石灰が舞い上がり口の中に入るは、メガネは白くなるは最悪でした。
 粉状消石灰は粒状よりはるかに安いので、1袋の量も多いのです。
 またそんなに使わないのですよね・・・・おそらく3年間は粉状を使わないといけません(−−;

 現在のイスラエルと1940年代のナチスドイツとどこが違うのか?
 2ちゃんねるでときどきコピペされているを見ました。
 違いは明白です。
 敵が抵抗しているか抵抗していないか。
 当事者が当事者でなく、後ろに巨大な影が動いていることでしょうね。

 結局、イラクで拘束された日本人が救出されたのはイスラム聖職者協会のおかげなのでしょうか・・・
 だとしたら最初から頼めば良かったのにね(^^;
 下手にヨルダンに行って、対外債務を帳消しにしてなんてたからられなくてすんだのに。
 もっともアメリカと違い、イラクへは人道支援に行っている人間ばかりなので、悪いのは「退避勧告」を無視して入国した人間よりも、善意にイラクへ来た人間を片っ端から捕まえる「イラク人」ですけどね。
 しかし・・・これだけの混乱状態を見るとフセインって結構すごい政治家だったのかもしれませんね(^^;;;やり方は別にして。

 では。

ソメイヨシノ12
2004年4月17日(土曜日)
 こんにちは

 なんとか17日の更新に間に合ったかな?


 実は、昨日の「日本軍介入」説も非常に有望であり、半分は考えられると思ったのですが、そのページでも疑問になっている。


1号: う〜ん・・・でも、なぜ軍関係学校は4月始まりだったんだろう?もし、軍関係学校と一般学校の始まる時期が逆だったら、今は9月始まりだったかもしれないね。


 この「軍関係学校」が、なぜ4月新学期であったのか?

 日本軍を創設する際、旧来の「武士道」にのっとった教練では無く、西洋式軍術を基礎としたはずですので、教官ももちろん「欧米」の外国人教師が雇われたはずです。

 百歩譲って「陸軍」は日本人が指導できたとしても、「海軍」になりますと、日本は徳川幕府の政策で「海軍力」が発展できませんでしたから、絶対にこの分野は外国人教師が指導したはずです。

 だとしたら「ソメイヨシノその9」で書いたように、新学期もほかの学校のように「9月新学期」となっていたはずです。

 そこで以下のページを参照することにします。



陸軍士官学校期別卒業者数及び輩出大将数

海軍兵学校期別卒業者数及び輩出将官数



 はい、見事に「軍関係学校」の「4月始業式」説は崩れました。

 さらに追い打ちをかけるように、以下の文章も見つかりました。


■海軍兵学校沿革



の中に

 明治3年(1870)11月4日,海軍操練所を海軍兵学寮と改称したが,翌4年1月10日大政官布達をもって「海軍兵学寮規則」が公布された。その通則の一部を抜粋すると次のとおりである。

第1条 兵学寮は海軍士官並びに下等士官教導の為に設置

第3条 兵学寮を分かって,幼年,壮年,専業の三学舎とす

第4条  幼年学舎は19歳以下15歳以上の有志の者を教導し,後日の大用に具うる者故,専ら考究を旨とし傍ら術芸を教ゆべき事

 なお,同年1月8日の始業式には有栖川兵部卿宮が臨場され,生徒はこの日から金釦一行の短上衣を着用した同年6月15日「富士山」を海軍兵学寮稽古艦と定め,8月5日教官を武官制に改めた。



 すなわち「明治3年」までは新学期は従来の日本式の事始めである「1月」であったということです。

 かならずしも「4月」が主流では無かったことになります。


 では、なぜ「サクラ=4月=日本軍」説が生まれたのか?


 では。


ソメイヨシノその11
2004年4月16日(金曜日)
こんにちは。

 今日は仕事が終わってから歯医者へ行き、家庭菜園へ行ってサトイモを植える準備として耕してきました。

 耕作時間2時間・・・

 昔の人って朝から晩まで耕したのですね。

 すごく尊敬・・・というか丈夫だったのですよね?

 何かで聞いたのですが、戦国時代の足軽くらいの人が現代に来たら、どんなプロレスラーでもかなわないくらい力持ちだそうです。

 足軽です。戦になったら前線突入する「下っ端」です。

 

 すこしずれましたがソメイヨシノのお話。

 前回は、4月新学期=会計年度合致仮説を紹介しましたが、今回はもう1つの説をご紹介します。

 まずはこのページに書いてある文章を引用させていただきます。



 教育制度といいうものが日本に本格的に導入されたのは明治時代に入ってからです。

教育制度開始当初は、9月が新学期と定められていました。しかし、なぜそれが4月になってしまったのでしょうか。

 それは、9月に新学期の始まる一般の学校の他に、士官学校等の軍関係学校というものが存在していたからです。

当時、軍関係学校は一般の学校と区別するために新学期を4月と定めていました。

9月に一般の学校に入学する学生には徴兵の免除という特典(?)が与えられていた為に、徴兵をいやがる学生は軍関係学校ではなく一般の学校へ入学するようになります。すると、軍関係学校への入学希望者が減り、優秀な学生のほとんどが一般の学校へ行ってしまう結果となりました。

 その為、軍関係学校の学生の質が落ちることを懸念した軍部は文部行政に圧力をかけ、軍関係学校と同時期に全ての学校が新学期を迎えるように変更をさせました。そして、すべての学校が4月に新学期を迎えることになったのです。

 その後、日本の敗戦により軍部は無くなりますが、この制度は変更されずに現在まで至っています。



 なるほど、旧・日本軍が強引に人材確保の為に新学期を軍関係の学校と同じく4月にするように圧力をかけたという説です。


 しかし、調べていくうちにこの説は怪しくなっていきました。

 続きは明日以降。(実はもう書いちゃったけど(^^;)


 では。


雑談
2004年4月15日(木曜日)
 こんにちは

 ひさしぶりの夜勤が終わりました。

 あまりにひさしぶりだったので疲れました。


 夜勤明けはもちろん朝風呂温泉に行き、毎度毎度のなか卯で朝食でした。

 なか卯の親子丼・・・気持ち上に乗っている卵が少なくなったような気が・・・

 しかし、まだ「豚角煮丼」売っているのですね。

 あんなもの売っているからなか卯の株価が上がらないんだ〜!

 にしても、なぜゼンショー(すき家)の株がどんどん上がるのだろう?


 そうそう、昨日はプランター用の土と「いも」用の肥料、サトイモの種芋(八名丸、早川早生)とピーマンの苗を買ってきました。

 サトイモは去年は冷夏でしたので、今年は出来がいいといいですね。

 ピーマンは一回失敗しています。

 ピーマンってナスと同じで適枝することを知らなくて、葉っぱばかり育ってしまい、肝心な実が全然成りませんでした。

 実がならないなぁならないなぁとシーズンオフまで不思議に思っていたら、本を見てびっくりしました。


 ソメイヨシノの連載は明日以降。


 では。


ソメイヨシノその10
2004年4月12日(月曜日)
 こんにちは。

 イラクでの日本人人質事件は昨日で解決すると思ったら、なんかややこやしい方向へ行っているみたいですね。

 一日も早い解決を望みます。


 さて続き。

 調べれば調べるほど謎が吹き出してきました。

 某大学史学科卒業の方も見えられるのですが、高卒のばんぺいくんがどこまで歴史の真実を伝えられるか一抹の不安が・・・もし指摘ありましたらよろしくです(^^;

 前回の表を見て頂くと「予算年度」と「学校年度」とぴったり重なっているのは「日本のみ」であることが分かります。

 この「4月〜3月」の会計年度が定められたのは1886年、明治19年のことです。

 ここでまたインターネットで一番引用されている文章を載せます。


 <新会計年度>

  4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括ります。

  江戸時代までは、暦年とは別の「年度」というものはなく、1月から12月までで会計を行っていました。  しかし、明治維新の後、政府の財政が苦しく、暦年と合わせることができなくなって

  「年度」が作られました。その為、当初は年度の始期が頻繁に変えられました。

  1886(明治19)年に、現在の4月から翌年3月までとなりました。

  会計年度の始期が4月1日となったのは、秋の収獲後の徴税の都合の為であるとされています。

  また、イギリスでかつて3月25日を新年としており、金銭の精算に一週間の猶予が認められていたから

  とする説もあります。


 この「3月〜4月」にした理由は「イギリス」の会計年度である「3月〜4月」をそのまま採用したもと思われます。

 ここで思い出していただきたいのは2004年4月9日(金曜日) の「ソメイヨシノその8」で引用した文章で


  1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、

  1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになりました。


 すなわち明治政府(大蔵省)が会計年度を「4月〜3月」に定めたまさにその年に高等師範学校が新学期を4月から始めています。

 ただ、この学校の4月新学期についてはある説が存在しています。

 続きは明日以降


 では。


ソメイヨシノその9
2004年4月10日(土曜日)
 こんにちは。

 一見、ソメイヨシノとは関係ない方向へ行っているとお思いでしょうが、ちゃんと関連がありますので(^^;

 さて、明治政府は維新後に国家を欧米化するにあたり、欧米式教育を重視します。

 それは、江戸幕府が倒れ、明治政府が成立したときに出された「五箇条の御誓文」の中の「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振興スヘシ」にあるように、従来の「日本式教育」に囚われず欧米式教育を積極的に求める姿勢が現れています。

しかし、今まで日本式教育を受けてきた人間はいても「欧米式教育」を受けた人間は極限られた、というか無しに等しい状況でした。

 ではどうしたかというと、欧米式教育を受けた人間、つまり「欧米人」を教師として雇いました。

 単純明快ですね(^^;

 もちろん「欧米式」医学、「欧米式」法学、「欧米式」文学、「欧米式」理学などなど教育学に限らず、広く人間と国家に役立つ物は貪欲に吸収しようと外国人知識人をせっせと雇っていったのですが、もちろん外国、特にアメリカやイギリスでは学校の新学期というのは「9月」から始まりますので、自然と外国人(特にイギリス人)が多かった学校では9月新学期が定着していきました。

 従来の日本ではどうだったのでしょう?

 昨日の日誌で「年中入学可」とは言いますが、一般的な日本の暦では「立春」が何事にも「始まり」と決められていました。

 年賀状に「初春」と書く人も見えると思います。

 現在の「立春」は2月の4日頃ですが、これは「太陽暦(グレゴリウス歴)」での話でして、明治以前に使われていた「太陰暦」では立春は、太陽暦でいうと「元旦」付近にあたります。

 つまり明治以前(江戸時代でしょうね)は立春に「仕事始め」や「学校始め」だったでしょう。

 おそらく学校・・・私学などでも「立春(正月)」が一つの節目の始まりだったのではないでしょうか?

 (確信が持てない(^^;)

 ちなみに現在の日本での区切りは、もちろん「4月」に始まり「3月」に終わりが来るようになっています。

 現在問題にしている「学校」しかり、会社の会計しかり、もっと大きな所では国家予算しかりです。

 しかし、世界のすべてが「4月」に始まり「3月」に終わるわけではありません。

 国家予算年度の場合、日本と同じく「4〜3」を採用しているのは「イギリス・インド・イスラエル」、明治以前の日本と同じく「1〜12」を採用しているのが「中国、韓国、フランス・ドイツ・イタリア・ロシア」「7〜6」は「オーストラリア・スウェーデン」、アメリカは独特で「10〜9」になっています。

 学校が始まって終わる期間も国家予算年度と同じ時期かというと、そうは問屋が卸さず、「1〜12」がオーストラリア、「3〜2」が韓国・ブラジル、「8〜7」がドイツ、「9〜5」がアメリカ・ロシア、「9〜7」がイギリス・フランス・中国となっています。

 ちょっとややこやしいので表にしてみました。

















































期間


予算年度


学校

1〜12 中国、韓国、フランス・ドイツ・イタリア・ロシア オーストラリア
3〜2   韓国・ブラジル
4〜3 日本・イギリス・インド・イスラエル 日本
7〜6 オーストラリア・スウェーデン  
8〜7   ドイツ
9〜5   アメリカ・ロシア
9〜7   イギリス・フランス・中国
10〜9 アメリカ  

 ここで、上の表を見て「おや?」と気づかれた方がいらっしゃると思います。


 この「おや?」が重要な点なのです。


 では。


ソメイヨシノその8
2004年4月9日(金曜日)
 こんにちは。

 サクラ前線は現在東北地方を北上中です。

 なんとか、日本列島を駆け抜ける前にソメイヨシノについての連載を終わらせたいなぁ(^^;


さて、ソメイヨシノが全国へ広がった理由ですが、新学期や新学年が4月から始まることに大いに関係があります。

 明治政府は「欧米」特にイギリス(後にドイツ)をお手本にして国作りを進めていく訳ですが(支援国がイギリスなので・・・ちなみに江戸幕府はフランスが援助してた?)、イギリスの新学期&新学年が9月から始まっていたため日本でも当初は9月から始めるところがほとんどでした。

 次の文章はインターネットを検索すると必ず当たる文章です。

 何かの本に書いてあるのでしょうか? 残念ながら出典が分かりません。

 その文章にはこう書かれてあります。



<新学年>

  学年度始めの日。4月1日から翌年の3月31日を「年度」として括ります。

  元々日本では、特に入学の時期は定められておらず、年中入学可となっているのが普通でした。

  1886(明治19)年10月に、高等師範学校が学年暦を4月1日からと定め、

  1888(明治21)年から全国一斉にこれにならうようになりました。

  ただし、大学や高等学校では欧米の習慣に合わせて9月に新学期を始めていました。

  4月1日生まれの人は、前年度の3月生まれの人と一緒に入学することになります。

  これは、学校教育法で保護者は、子女の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初から

  (中略)就学させる義務を負う。と規定しているためです。

  「年齢計算ニ関スル法律」では年齢ハ出生ノ日ヨリ之ヲ起算スとし、「民法」第143条では年を

  単位として期間を定めた場合には、起算日の応答日の前日に期間が満了することとしています。

  つまり、4月1日に生まれた人は、その6年後の3月31日をもって五歳の期間が満了することになり、

  その翌日の4月1日に始まる学年から小学校に入学するわけです。



 と、書いてるのですが「年中入学可」って本当だったのでしょうか(^^?

 私塾でしたら分からないでもありませんが、高等教育まで「年中入学可」というのは、現在の「新学期&新学年」制に慣れている私は信じがたいのですが・・・

 ともあれ、高等師範学校が4月にしたから4月になったというのが大きな理由みたいです。

 ではなぜ高等師範学校は9月新学期から4月新学期に変更したのでしょうか?


 では。


何をしにいったのか
2004年4月8日(木曜日)
 こんばんは。

 ソメイヨシノに関する連載はまだ続きます。

 原稿も3回分くらいは出来ていますが、今日はこれを言いたいので・・・・


 フセイン政権を倒し、イラク国民を解放するために行ったのは良い。

 その後イスラム教「シーア派」、そして「スンニ派」まで敵に回し、一体



 アメリカ兵はイラクへ何しに行ったのか?!



 最初から石油利権の為と言われていても、毎日イラク国民や多国籍兵が死んでいくニュースを聞いて、私は分からなくなりました。


 では。


雑談
2004年4月6日(火曜日)
 こんにちは。

 今日はサクラの話は小休止。


 先日植えた「キタアカリ(ジャガイモ)」の芽が出ました。

 昨日1つ2つ出ましたが、今日の暖かさで一斉に出ました。


 アスパラガスも1週間ほどまでに芽が出て、もう30センチの長さになりました。

 でも太さは2〜3ミリほど(^^;

 まだまだ食べられる太さにはほど遠いですね。


 そろそろサトイモを植える準備をしないといけませんね・・・


 昨日、ザラ場で日経平均株価が12000円を超えましたが、今日、終値でも12000円を超えました。

 市場でも12000円をいつ超えるのか関心を持っていましたが、ついにその山を越えました。

 市場関係者の間では「12500〜12600円」が一つの頂点と見ているので、その付近になったら一旦逃げようかと思います(^^;

 とにかく昨年から株を始め、現在78万円のマイナスを記録していますが、3月後半からの上げ相場で含み益ですが損失を上回り、少々のお小遣いができるところまで来ました。

 正直、負け続きはつまらなかったです(;_;)

 さて、これだけ大々的に報道され始めると「プチバブル」の様相が出てきます。

 今日、お風呂に入りながらNHKラジオを聞いていましたら、兜町の証券会社の4代目(30才)が現在修行のためニューヨークで取引をしているのですが、その人は昨年のニューヨーク株の上昇を早くから言っていた人で、周りが軟調と言っても聞かなかったそうです。

 結果的にニューヨーク株は上昇し、大相場になっていますが、その人が今年は「下げ相場」と言っているそうです。

 実際ニューヨークに住んでいて、ヘッジファンドの人間とかと付き合っていますが、

 いわゆる「株成金」が大枚をはたいて(数千万円)芸能人との食事券をヘッジファンド主催のチャリティーオークションとかで落札する様子を見て、どうもバブル的な雰囲気が漂っているそうです。

 ばんぺいくん的には日本株はまだまだ上がると思っていますが、アメリカが調子悪ければ、日本にも波及してくるのが相場ですので、今年後半は株はひとまずお休みかなぁと思っています。


 では。


ソメイヨシノその7
2004年4月5日(月曜日)
 こんにちは

 一体何が問題となるのでしょう?

 すべて同じDNAであれば、なにか「ソメイヨシノ」を襲う「壊滅的」ともいえる「遺伝予約的」な問題が発生した場合、日本はおろか「世界中」の「ソメイヨシノ」が一瞬にして滅びる可能性があるということです。

 もしくはソメイヨシノのDNAに食い込む、新たなウィルスなどが発生した場合も同様です。

 「ソメイヨシノ60年寿命説」というものがあります。

 ソメイヨシノの親のエドヒガンなどは樹齢が数百年の物もありますが、どこから「60年」であると算出したのかは不明です。

 はたしてそれが「遺伝予約的」な寿命なのか?

 しかし実際には「青森」の「弘前公園」には樹齢110年とも言われる最古の「ソメイヨシノ」があるということですので、少なくとも100年は遺伝予約的問題は発生せず、手入れによっては100年以上育つようです。

 その弘前の例を元とした『サクラを救え「ソメイヨシノ寿命60年説」に挑む男たち』という本があるそうなのですが、ばんぺいくんは読んでないので詳しいことは分かりません。

 そこを考慮して考えると、ソメイヨシノが60年しか寿命が無いということは、手入れをそれほど行ってこなかったということでしょう。

 つまり「接ぎ木」で容易に増えるものに「手入れ」をするよりも、その命尽きようとしている「ソメイヨシノ」から枝を取り、新たに植えれば10年も経てばまたサクラの花が楽しめる・・・・

 そうやって江戸時代からつながってきたと・・・

 本の見出しには「日本の春を埋め尽くすソメイヨシノ。だが、終戦直後に植栽された並木は衰退期を迎えようとしている……」

 こういう衰退期は江戸中期から繰り返されてきたことで、今に始まったことではないはずです。

 それでもなお「ソメイヨシノ」は滅びず、現在もこの季節になると美しい花を楽しませてくれます。

 さて、江戸時代から続く「ソメイヨシノ」はどうやって日本全国へ広がっていったのでしょうか?


 では。



ソメイヨシノその6
2004年4月4日(日曜日)
 こんにちは。

 しつこく続きます(^^;


 dobonさんなどはブルーベリーなどを接ぎ木で増やされているのでご存じかと思いますが、私は知らなかったので、ここで書きます。

 ご近所で、学校で、河川敷で、桜の名所で、全国で見られる「ソメイヨシノ」は元は「1本のソメイヨシ」であったことをご存じでしたでしょうか?

 あくまでも現在の大勢を占めている説ですが、どうも全国に広がっている「ソメイヨシノ」は「染井」で売り出された「ヨシノ桜」から接ぎ木され続けたものらしいのです。

 すなわち、近所の学校などにある「ソメイヨシノ」も、上野公園にある「ソメイヨシノ」も「アメリカ」にある「ソメイヨシノ」も世界中に散らばっている「ソメイヨシノ」も実は「兄弟」・・・というレベルでは無く「江戸時代」に生まれた「ソメイヨシノ」そのもの。DNAは全く同じ(但し交雑したものは除く)

 つまり「クローン」なのです。

 「クローン」羊が発端となり、ついには「クローン」人間が問題になりましたが、「ソメイヨシノ」は「クローン」として世界中に散らばって「桜はソメイヨシノ」と言われるまで、浸透しているのです。

 それもこれも「接ぎ木」しやすく、花も見事で、世界中の人に愛された故ですが、ここで一つの問題が浮上します。


 また明日。

 

 では。


ソメイヨシノその5
2004年4月3日(土曜日)
 こんにちは。

 一昨日の続き

 「ソメイヨシノ」は「吉野桜」と呼ばれていたと書きましたが、誰が「ソメイヨシノ」と呼んだのか?

 最も古い文献では明治18年に博物局、今の東京国立博物館の植物学者「藤野寄名」が染井で売られている「吉野桜」というものは、実際に吉野山にあるヤマザクラでは無く、別の品種であり紛らわしいので、「ヨシノ」というブランドは確立していたので、上に「染井」を付け「ソメイヨシノ」と命名したそうです。

 ちなみに「ソメイヨシノ」が「エドヒガン」と「オオシマサクラ」の交配であると主張したのは、国立遺伝学研究所の竹中要博士(アサガオで有名)で、サクラの交配実験の中で数多くのサクラを作りました。

 さて、ここからがまたややこやしいのですが、「オオシマザクラ」と「エドヒガンザクラ」を交配させれば「ソメイヨシノ」だけが出来るのかというと、そう簡単には問屋がおろさず、先に紹介した竹中要博士は「ソメイヨシノ」の親である「エドヒガン」と「オオシマザクラ」を交配させ「イズヨシノ」「アマギヨシノ」」といったような「ソメイヨシノ」とは違う品種を作ってしまいました。

 さらに、現在日本全国に広がった「ソメイヨシノ」ですが、その「ソメイヨシノ」と「エドヒガンサクラ」「オオシマザクラ」と交雑したと思われる品種も現れているというややこやしい状況です。

(ソメイヨシノ同士は受粉しても種は出来ないが別のサクラだと出来てしまう)

 故に未だに「ソメイヨシノ」は本当に「オオシマザクラ」と「エドヒガンザクラ」との交配によって生まれたのか?という議論が繰り広げられています。


では。


ソメイヨシノその4
2004年4月1日(木曜日)
 こんばんは。

 昨日の続き。

 ソメイヨシノはなぜこれだけ広がったのでしょう?

 一番の理由は、日本人に「エドヒガン」や「ヤマザクラ」よりも受け入れられたことが大きな理由です。

 ・・・これを言ったら元もこのないですね(^^;

 受け入れられた理由を考えなくてはいけません。

 ざっと上げてみますと



  1.  ソメイヨシノの方がエドヒガンよりも花が大きくて派手である。

  2.  花付きがよいので、より華やかに見える

  3.  成長が早いので10年で十分観賞に堪えられる大きさまで育つ

  4.  接ぎ木で増えやすく安価であった


 この「接ぎ木で増えやすく安価であった」ことが、ソメイヨシノが江戸(東京)から全国へ広がるきっかけになりました。

 その前に、みなさんは「ソメイヨシノ」の種は見たことがありますか?

 昔、近所で桜の木があり、桜の花が散ったら「サクランボ」が出来るはずなのになぜ無いのだろう?

 そんな疑問を持ったことがありませんか?

 結論から言えばソメイヨシノに実は成りません。

 すなわち種が出来ないのです。

 ソメイヨシノはバラ科の植物ですので子房は不稔性でして基本的に種が出来ないのです。

 しかし、ごくまれではありますが出来る場合があります。

 ただ、それを土に植えても「ソメイヨシノ」の芽は出てきません。

 「オオシマザクラ」か「エドヒガンザクラ」の芽が出てくるのです。

 すなわち「ソメイヨシノ」という植物は人間が接ぎ木をして植えてやらなければ「種の保存」が出来ないという植物なのです。

 さらに寿命がおおむね60年くらいと言われていますので、仮に人間が滅んでしまい、また増やし方をしらない人間しか生き残ってしまったら「ソメイヨシノ」は地上から消え去ってしまうのです。


 続きは明日以降。


 では。



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